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鬱の私に推しができて同人活動を始めたら社会復帰した話

こんばんは。羊です。
noteを開いたら「#ハマった沼を語らせて」なんてタグができているじゃないですか。

沼。それは一度ハマったら抜けられない、推しへの愛の道。

そしてその沼に、人生を救われた人間がここに一人。大げさではなく、本当に人生を塗り変えられました。
まるっとぐるっと、想像もしていなかった日常が、ある日突然始まります。

これは、双極性障害と診断され、社会生活をドロップアウトした私が、推しに目覚め、推しの力で社会復帰し、推しの同人誌まで発刊し完売させてしまった、とある字書きの闘病物語です。

2006年 パワハラに遭って鬱を発症

2006年、私は作業療法士の新卒でした。3年間みっちりと勉強し、夢と目標を持って、地方の老健に就職します。
当時、パワーリハビリが出始めて、介護予防事業にも興味を持っていた私は、それらの地盤のある職場を選びました。
そこで私はパワハラに遭いました。

  • 分からないことがあっても「自分で考えろ」と技術的なことは何も教えてもらえない

  • 皆の前で大声で怒鳴られたり罵倒される

  • 出勤しても使い物にならない、帰れと言われ、体調が悪い、休むと言えば出てこいと怒られる

  • 出ても全く仕事をさせてもらえず、一日中デスクに座らされっぱなし。給料泥棒と罵られる

  • 訛りや声のトーンを否定される

  • 試用期間中、早く自己退職しろという趣旨の発言を何度も言われる

これでも一部です。

次第に眠れず、深夜にやっと眠れても2〜3時間ですぐ目覚めて、食欲も落ち、疲労感が抜けず、心配した同僚のすすめで心療内科にかかりました。
半ば洗脳状態で、自分が悪いと思い込んでいた私は「せめて利用者様の前では笑顔でいなければ」と自分で自分を追い込んだところ、笑顔の仮面が張り付いて、やがて笑うどころか泣けなくなってしまいました。

仕事は半年で辞めました。
その次に挑戦したアルバイトの書店員も人間関係が築けず、派遣バイトも体調不良で続けられず、このままでは生きていけないと判断し、実家に帰ることになりました。


2007年 抑鬱まっただなか、人生の夏休み

実家に帰ってからの私は正直しんどすぎて記憶があまりありません。

不眠が酷くて、夜はどう頑張っても眠れず日が昇る頃にやっと眠る生活。
体が怠くて重くて動かない。階段が山登りに感じる。
洗顔や入浴すらも億劫。最長一週間入れなかった。
お薬は何種類試しても効いた感じがしない。
自殺未遂を何度も繰り返す。
リストカットも繰り返す。
大量服薬を繰り返す。
家族を困らせる行動を何度も取る。

あとにも先にも、普段は優しすぎるくらい優しく決して声を荒らげない父に「病気じゃなかったらぶん殴ってた」と言わしめた、荒れに荒れた時期でした。

引っ越しで心療内科も変えなければならず、近所に心療内科も精神科もなかったため、片道90分かかる二件目のクリニックには1年ほど通いました。
しかし「薬物療法以外は認めない」という主治医の方針に疑問を感じ、三件目のクリニックを探します。
今度は市役所で「デイケアを開設している病院」と指定してリストをもらいました。私も一応作業療法士、デイケアがあればリハビリが受けられると考えたのです。
そこでたまたま、学生時代に精神医学を教わっていた医師が開業したクリニックが見つかり、転院することにしました。

そこでは二件目のクリニックで大量に処方されていた薬を最低限まで減薬し、薬物療法と並行してデイケアに通いました。
スタッフさんに話を聞いてもらったり、手芸やスポーツをしたり、絵を描いたり、ドライブしたり、薬剤師さんによる服薬の講習を受けたり、精神保健福祉士法さんから社会復帰の講習を受けたり、臨床心理士さんによる認知行動療法を受けたりして、2009年、念願の社会復帰を果たしました。

2009年 念願の社会復帰。でも……

再就職したのは地元の老健でした。当時老健はまだまだセラピストも人手不足。私は系列の小さな老健を任され、上司のサポートのもと、一人職場で頑張ります。
しかし前職場で大したことを教えてもらわなかった私は技術的にかなり未熟。
仕事は増える一方、新人時代に終わらなかった研修にも出なければならず、優先順位もうまく付けられず、再び休みがちになります。

何度目かの休職で、これ以上迷惑はかけられないと思い、一度は辞めると伝えました。
ところが理事長が「待っているから戻ってきなさい」と言ってくれたのです。
理事長は「早く働きたければ早くしっかり治すこと」との方針で、私のように休職している職員が他にも何人もいることを知ったのは何年も後でした。
上司からも「休むならしっかり休みなさい」と言われ、私はその言葉に甘えて、2年もの間休ませてもらうことになります。


2010年 再び人生の夏休み

今回も前回の夏休み期間同様、全く動けなくなりました。
そしてこのとき初めて双極性障害と診断されました。それまで「鬱から抜け出した」「病気が良くなった」と思っていたのは実は軽躁の症状であり、病気自体が回復したわけではなかったようです。
処方薬も変わりました。それまで飲んでいた薬を時間をかけて減薬し、新しい薬にまた時間をかけて少しずつ慣らしていく。
この期間が鬱期真っ只中で、とにかく、とにかくしんどかったです。
しかも今回は抑鬱にプラスして過食が加わりました。
なにか食べないと眠れない。嘔吐ができないので栄養分は体に貯まる一方。
このせいで私は体重が10kg増え、人生最大に太りました。血液検査でも引っかかりました。見た目で笑われることもありました。

毎日泣いている。
連日の不眠、昼夜逆転。
何も楽しいと思えない。
好きなことがわからない。
過緊張で近所のスーパーにも出かけられない。
通院すらストレスでお腹を下す。

この先良くなることなんてないんじゃないか、どうせ良くなってもまた繰り返すんじゃないか。
お先真っ暗状態、希望なんて持てなかった。
それが突如、思いがけないところから光明が差すことになります。


2012年春 初めての推しができて体調回復

当時、私はmixiをしていました。それも少し過疎になり始め、あまり投稿者がいなくなった頃。
mixiには「つぶやき」という機能があり、そこにある日こんな投稿が。

「けいおん!を今さら見始めた」

私はもともとオタク気質でした。
小学生の頃はジュニア小説(今で言うラノベ)が大好きだったし、中学校では少女漫画に目覚めたのと同時に封神演義に夢中になりました。
高校に入って最遊記にハマり、さらに腐女子となったのもこの頃です。
一回目の鬱のときも、体調が良いとBLEACHのDVDを観ていて、つまり、どうしようもなく、二次元が好きな体質だったんです。

そこで、たまたま見かけた「けいおん!」のタイトル。
けいおん!か。
よく聞くな。
気になるな。
観てみようかな。
とりあえずGEOで借りました。

ハマりました。

オープニング、かわいい。典型的な花の女子高生って感じ。
本編、日常系は安心して観られる。
そしてエンディング。何これめっちゃかっこいい。

「けいおん!」も「けいおん!!」も一気見しました。
しかもいま劇場版が公開中?
行かねば!!!!!
使命感に駆られて映画館に行きました。

いいやん………………(涙)。

しかしけいおん!のアニメはこれ以上ありません。
そもそも原作が最終回を迎えています。
なんで!
もっと見たい!!!
他に方法はないのか!!?!?!!?!

ここで私はけいおん!について情報収集を始めます。
「けいおん!」でGoogle検索をかけるとpixivという創作サイトに行き着きました。
アプリをダウンロードして、再度検索をかけるとたくさんのけいおん!二次創作作品が見つかり私大歓喜。
そのうち「百合」というジャンルに辿り着きます。つまり女の子同士の恋愛。

ハマった。

pixivでイラストはもちろん、小説作品も読み漁りました。さらに小説作品だけを集めた有志のホームページがあるのを知り、そこでも片っ端から読みまくります。

百合、めちゃくちゃ尊い…………(拝)

そして読むうちに、自分の好みを発見します。
この子とこの子のカプが好き。
この二人ならきっとこんな会話をする。
こんなこと考えてたらいいな。
こんな葛藤があったらいいな。

推しができた瞬間です。
読んでるだけじゃ満足できない。
これは自分で書くしかない。

この年の春、私は初めてpixivに自分で書いた小説作品を投稿しました。

pixiv初投稿作品「AM11:00」の冒頭。カップリングは律澪。

投稿直前、過呼吸でも起こしそうなほど緊張したのを覚えています。
受け入れられなかったらどうしよう。
厳しいコメントが付いたらどうしよう。
誰にも読まれないかもしれない。
怖い。止めようかな。でも読んでほしい。

祈るような気持ちで、心臓バクバクしながら投稿ボタンをクリック。
自分の作品をインターネットの海に流すのは初めてです。何が起こるかわからない。吐きそうなほどの緊張に耐えきれず、パソコンは閉じ、スマホも放置。
しばらく経って恐る恐るスマホを見返すと、閲覧数がちゃんとカウントされている。
数時間後、幾つかのブクマが付きました。
数日後、温かいコメントもいただきました。

自分の解釈が受け入れられた。
賛同してくれる人がいる。
同じものを好きな人がいる。

とても嬉しくて、心強くて、安心しました。
思えばこれが初めての「成功体験」だったのかもしれません。

2012年秋 今度こそ社会復帰を果たす

推しができた私は「人生を楽しむ」ということを覚えました。
気分が沈みそうになったときは、推しのことを考えて気分転換。眠れないときは作品を執筆する。
つまり趣味ができたのです。
小説を投稿すると毎回必ずブクマが付き、時々はコメントもいただけました。名前も覚えていただけました。
初歩的なミスをして落ち込んだり、荒らしに遭ったこともあります。
でもそれ以上に「好き」が勝る。

この頃私は、心療内科でも臨床心理士さんと認知行動療法をおさらいしていました。
お薬も効いてきたのか、少しずつできることが増え、ダイエットも成功して20kgほど痩せました。

その相乗効果だったのかもしれません。
「早く働かなければ」が「早く働きたい」に自然と変わり、勇気を振り絞って職場に連絡を入れます。
何度か訪問し、上司と復帰後の業務や体調に関する擦り合せを行い、11月、一週間に一日、たった一時間の勤務からリハビリ出勤をすることが決まりました。

2013年 職場が変わってひとり立ち

社会復帰は少しずつ、本当に少しずつ進めました。
数ヶ月に一度、主治医と相談しながら30分ずつ勤務時間を伸ばしていき、やっと一日2時間働けるようになった、ある日。
系列外の施設が人員不足で、セラピストの応援を頼まれます。それに上司と二人で出向することになりました。
一週間に出る日数が2日に増えてからも、やはり数ヶ月に一度、30分ずつ、勤務時間を伸ばしていきました。

そうやって何年もかけてようやく、一週間に3日、一日4時間働けるようになりました。
上司のサポートがなくても、なんとか仕事を回せます。
時々ストレスで休むことはあっても、長引くことはありません。
体は大丈夫。
メンタルも大丈夫。

私は所属している職場の都合で契約更新ができなくなったのを期に、出向先の老健で非常勤で働くことが決まりました。
やっと、作業療法士としてひとり立ちができたのです。

2015年 二度目の推しができる

さてこの頃、私は「けいおん!」を推しつつ「艦隊これくしょん」にもハマっていて、育成ゲームの良さに気付きつつありました。

そんなある日、Twitterを見ていたら、艦隊これくしょんを運営しているDMMから新しいゲームが出ると情報が。

その名も「刀剣乱舞ONLINE」

登場キャラクターは進行役のこんのすけを除いて男性キャラのみ、女性向けのゲームです。

男か……。

その時すでにリリース後でしたが、深く考えずぽちっと登録。
始まりの一振りは新選組の沖田総司の打刀、加州清光を選びました。
いざ、プレイ開始。

なにこれキャラの解釈が美味しすぎる。

刀剣乱舞に登場するキャラクターは艦これ同様、実在した刀剣または現代まで伝承された刀剣たち。
多くの刀剣は何百〜千年も昔に打たれており、その間、主を転々としていきます。

主とともに埋葬されたものの掘り起こされて、現在は御物となった刀。
第二次世界大戦後、GHQによって没収され、今も行方不明となっている刀。
火災で一度は焼失したものの、時の将軍によって再刃された刀。
戦で一度も振るわれることなく、天下人の刀剣として主を渡り歩いた刀。

エピソードが!!!濃い!!!!!!

さらに追い打ちをかけたのは、たまたまCS放送で視聴した「舞台刀剣乱舞 虚伝 燃ゆる本能寺」
通称刀ステ、いわゆる2.5次元の舞台です。

再現度たっっっっっか!!!!!!

見た目、声、立ち振る舞い、殺陣の個性。全てが解釈一致な上にしんどいストーリー進行。
私の好みにどんぴしゃりでした。
この頃私は、疲れて創作をしばらくお休みしていたのですが、再度やってみようという気になりました。

なぜなら「夢女」の扉を開いたから。

Twitterのアカウントは百合がメインだったため、区別するために刀剣乱舞専用のTwitterアカウントを創設。
同じ趣味のフォロワーさんたちと交流しながら、今度はpixivで公開する前にTwitterで公開するようにしました。

鶴さに現パロ「眠らない夜」冒頭。
鶴さに現パロ「ショートケーキはいかが」冒頭。
鶴さに現パロ「夏の日」冒頭。

さすが大人気ジャンル、反響がすごい。
私はずぶずぶと沼にハマっていきました。

沼は、刀剣乱舞やけいおん!、艦これといったコンテンツそのものだけではありません。
創作そのものが沼だったんです。

2021年 推しの同人誌を作りイベント参加

とうらぶ二次小説もそこそこの話数を書いてきて、一度形にまとめたいと思い始めました。
しかしいきなり本を作るなんて、初心者の私にはハードルが高すぎる。
作ったところで売れるのか。
イベントだって、一般参加すらしたことがないのに、いきなりサークル参加なんて無謀じゃないか。

……ということで、利用したのはコンビニのマルチコピー機でできるネットプリントサービス。
データを登録すれば一定期間、そのマルチコピー機のあるコンビニであれば全国どこでも、紙代だけで作品を印刷することができます。

実際に印刷した初めてのコピー本。

いきなりイベント参加は無謀だと思ったので、イベントは関係なく、とりあえず一ヶ月くらいかけてデータを完成させて登録しました。
Twitterで告知したら、印刷してくださったフォロワーさんがちらほらといらっしゃる。
しかも「本を出したら買う」と仰る方まで現れました。

もう本を作ろう。

このコロナ禍、非接触で販売から発送まで完遂できるオンラインイベントが発達し、パニック障害持ちの私にはもってこいでした。
直近のイベントにまずはサークル参加登録、そして約4ヶ月かけて準備し、発刊したのがこちら。

鶴さに現パロ短編集。9話収録、124ページ。
鶴さに短編集。10話収録、64ページ。

4月から作業開始、7月下旬には脱稿し、8月下旬のオンラインイベントで頒布した結果。

(少部数でしたが)2冊とも完売御礼。

う、嬉しい……!!!!!
達成感がものすごい。
本を作るって、知らないこと、調べることがいっぱいで、有識者にたくさんたくさんアドバイスをいただきながら少しずつ乗り越えて、すっごく大変で、でもすっごく楽しい、貴重な体験でした。
ぜひぜひまた作りたい……!!!!!

さて、ではこのコピー本や同人誌を作成している間、私の体調はどうだったのか?
実は一度も調子を崩しませんでした。
社会復帰したての頃なら、仕事でいっぱいいっぱいで、帰ってきたらぐったりで、他のことに時間を割く余裕なんてありませんでした。
だけど「好き」のパワーってものすごい。
「好き」のためなら頑張れる。

ここで私はやっと気付きます。

仕事=人生 ではない。
生きるためにするのが仕事、生きるのが嫌になるような仕事はすべきではない。


2010年頃の私へ。
あの頃、鬱が酷くて動けなくて、日々を無駄に過ごしているような気がして、時間が勿体ない、自分なんか価値がない、と思っていたね。
でも生きていていいこと、あったよ。
世の中、楽しいことがたくさんあるよ。
今はまだ見付かってないだけだよ。
大丈夫だよ。だから安心して休んでおいで。


2023年 現在

二次創作活動は現在も続けています。
ですが本を作るのはしばらく難しいでしょう。なぜなら、昨年父が亡くなり、母も病気をきっかけに要支援状態になったから。やることすべきことが多くて、今は自分のことより家庭のことが優先です。
さすがに短期間でいろいろありすぎて、昨年体調を崩しましたが、勤務日数を減らして今もなんとか非常勤で働いています。

生きていれば辛いことも苦しいことも悲しいこともあります。むしろ9割それでできてるような気さえする。
生きるってしんどい。
生きるって難しい。
だけど「好き」があれば、ほんの少し、一瞬でも、荒立った気持ちが穏やかになるような気がします。

ここまでお読みいただきありがとうございました。
ハマった沼とともに、私はこれからも生きていく。


#ハマった沼を語らせて

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