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大きな夢をあきらめないためには

現実は不確定だ。君の人生も現実も、元々無設定なもの。ただ、君の人生は君が設定することもできる。それに関しての話だ。


現実を対象にして研究などをやっていると途方に暮れることだらけだ。そんな時、「やりたくてやっていた」ことなのに、頭打ちで他のやりたいことに目がいくことがあると思う。

その時にやりたいことをやろうという話に惹かれてしまうと思うし、それを深い意味で把握していたらいいのだが、大抵は浅い意味合いの理解が流通しているようだ。

そもそも「元々のやりたいこと」をやっていく姿勢が身についていないから、元々あった大きな夢が頓挫したのだ。

そのやり方がわからないと、次のやりたいことにシフトしてもまた頭打ちになるだろう。もしかしたら、次は夢を小さくし、レベルを下げるなどして達成することができるかもしれない。しかし達成はできても、達成するためのやり方を把握したわけではない。


不確定なものに対するその姿勢、そのやり方はいくらか長文になると思うのだが、そうならないように端折りながら書いてみようと思う。科学の姿勢なのか、守破離なのか、そんなところだ。


無設定なものは、現実、自然、人生などがあるし、社会もそうらしい。不確定なものを観察研究分析などするために、あることをしなければならない。

それは「三点で考えること」だ。二点では机上の空論かファンタジーになってしまう。自分にとっての価値に見合うもので計測してしまう。他はどうでもいいという態度で測定されたものは他人には関係のないものではないか。それで現実のタイミングは理解することができるようになるかもしれないけれど。つまり現実に向けていた視線が2次元の視界になってしまう。アニメならそれでもよかったのだが、ここで求めている状態に限ればそうではない。


必ず三つの視点で行う。現実はとても複雑で三点どころではないのだが、「主要」三項目に着眼点を絞る。例えるなら、立体、器を作るようなもの。だから二点では足りない。三点により器を作り、その中に入るものを眺めていくことができるかどうかだ。

3項目の中の1項目を選ぶ。その中のいくつかの要素を仮固定する。絶対ではないが例外を除いてこれはいつも適応させる。そうしないとタイミングなどその時によるものが扱えなくなってしまう。こうやって不確定なものを眺めつつも混乱を防いでいく。

仮固定されたいつものそれらで、物なり条件なり、測り続ける。そうしていたらそれらが、その時、その時代、その状況を「教えてくれる」。仮固定された軸を持っているからだ。ここが動きすぎてしまうと測定ができない。何しろ測定するのだから、固定された何かが必要なのだ。


こういった技術を身につけなければ、大きな夢、やりたかったことも頓挫してしまう。次に夢のレベルを下げて手に入れることができたとしても、すでにやり方や進み方や前例がある物事から出ることができない。次のステップでそのうち手に入るものではなく、次元を変えていかなければ手に入らないのが大きな夢だ。

いや、大きな夢ではなくやれると理解できることをやっていくことも悪いことではない。一度夢をあきらめたとか、しおれた心には必要なことかもしれない。なのでこの話は、夢を取り替えようか考えている人を対象にしている。

ただ、スケールの大きなものを諦めて、手前の満足の獲得に満足してしまう人が増えてしまうなら残念だ。満足を手に入れることが過剰になる程、地球の将来にも自分の将来にも負担を残すだろう。

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