賢者になるためには(無知の知)


死ぬまでに何か遺したい人です。

ソクラテスの「無知の知」っていう考え方を知って、これは哲学、ひいては議論や人間関係など、様々な場面で活躍する考え方だなーと思ったので、半ば紹介みたいな形で書いていきます。


○無知の知とは…

自分が無知であることを知っていることをいいます。(そのまんま)

無知とまで自覚するのは難しいので、まあ謙虚な姿勢、くらいで考えたほうが分かりやすいと思います。


○賢者になるために

結論から言うと、この「無知の知」を自覚し、謙虚な姿勢で思い上がらずにいることが、賢者への最大の近道です。


というのも、「自分は知者だ」と思っていれば、相手の意見をなかなか聞き入れることができないからです。「自分は無知だ」と心から思っていれば、どんな意見、言葉でも真剣に受け止め、考えることが出来ます。

賢者になるためには、情報をたくさん得て、それらを自分の中で咀嚼することが必要です。これをもっとも効率的にやるために、謙虚でいる。そうすれば、純粋な目で見て情報を手に入れることができるし、自分に有利な解釈をすることもありません。

私は頭がいいのに周りが認めない…「他責」

私は無知、だから周りが認めないのは自分のせいだ、もっと向上しよう…「自責」

前者と後者で、どちらがより賢者になり得るかと問えば、言うまでもないでしょう。「自責」を続ければ、歩みが止まることはありません。


○討論について

ご存知の方も多いと思いますが、ソクラテスの「無知の知」という考え方は、ソフィスト(弁論をする人)批判から生まれたものです。この考え方は、討論も否定するのです。「無知の知」が討論をどう批判するのか、ということについて下記に示します。

討論をするということは、相手の論を打ち崩して自分の論を押し通そうとすることです。これは先程の言葉を使うと「他責」に当たってしまうので、賢者になるためには、討論ばかりしていては駄目ということになります。


じゃあ賢者になるためにはどういう営みをするべきなのか。自分の殻に閉じこもるのは、独善的(他責的)考えが生まれ得るので、そればっかりするのは危険です。

討論ではなく、議論をする。大事なのは、自分が勝つことではなく、相手の考えを謙虚に受け止め、よりよい結論を出すために努力することです。


○総括

賢者を目指す最短の方法

→謙虚な姿勢で万物と向き合い、「自責」の姿勢を崩さないこと

これを出来るようにするためには、「対等な人間関係」が必要です。まず、自分が誰にでも公平に接することができるように努力することから始めるのがいいと思います。

※決して卑屈になれというのではありません。卑屈とは、自己防衛のために予め自分の評価を落とすことであり、「自責」とは全く別の概念です。

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