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いまひとつ映えきれてない写真を添える勇気と、物語やつぶやきから感じたことを信じる勇気

これはいつぞやの松山、コロナ前最後の旅行で撮った写真ですね。映えてないぱせりんです。

わたしのスマホのフォルダって、構図とかなんのこっちゃみたいな画像がたくさんあるんですよ。思い出だから消しはしないけど、映えてないから世に出してないっていう。

インスタは、いちおうアカウント持ってはいるんですけど、写真を一切投稿したことのないまっさらな感じのアカウントになってます。フォロワー0、フォロー1(推しがインスタライブでフォロワー○人まで増やしたいとか言っててついつい押してしまったフォローボタン)(後悔はしていない)、なんとも陰湿な感じです。推しがストーリーやる時に見るためだけの、ほんとうにそれだけのアカウント。

ほんとは、映えてなくたっていいのよね?かっこよくなくても、加工しなくても、おしゃれじゃなくても、見栄張らなくても、いいのよね?

でもわたし、どこまでも見栄を張り通したいタイプなので(笑)手を出さないことでチョモランマのプライドを維持してます(笑)

その代わりTwitterとかここに上げます。フォロワー0のインスタよりは、映えてなくてもいいじゃないって思ってくれる人がいるはず。たぶん。。

ここから後半!全く話変わりますけど、作風とかツイートとかって、どうしてもある程度は人柄が出ますよね。よくネットで知り合った人と会っちゃいけない、みたいなことも言われますが、わたしは今のところ、とても恵まれた出会いをしているなあと。もちろん共通の趣味で知り合ったフォロワーさんたちは、今となってはもう古くからの友達、みたいな感じですし(笑)

創作界隈の方々は、最初の頃、作風とか、ツイートの雰囲気とか、あと、とくに、召し上がっているものの写真を見たときに、あ、この方は、繋がっても大丈夫そうだ!本当に会っても大丈夫なはずだ(フットワーク軽)!と本能的に判断していたような気がします。そこから繋がったり繋がったりで、おかげさまで、今、とても居心地の良いTwitter環境を維持できてます。

でもわたし、この今回上げたお城の写真とかを見て、この人は会えそうだろうか…って考えたら、絶対会いませんね。なんかやばそうだもん。映えてないだけだけど、映えてないだけでもう闇抱えてそうだもん。写真のイメージってやっぱり大事なのかもですね。


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