見出し画像

ぼくは元気

 外出禁止令が出てぼくが部屋から出なくなってからかれこれ10年がたった。テレビでは相変わらずマスクを購入するために長蛇の列ができている様子が映されているし、トイレットペーパー類も品切れが続いているらしい。スーパーマーケットの店員が怒鳴られたり暴行を受けたりと言ったニュースも月に一度は必ず見る、毎月20日にだ。

 自己紹介がまだだったね。ぼくはいま30歳で、10年前は20歳だった。当たり前か。きみもそうだろ、10年前はいまの年齢から10引いた歳だった。
 ぼくは、居酒屋というものに行ったことがない。ぼくがお酒を飲めるようになる年齢になったのとほぼ同時に外出禁止令が出され、居酒屋は閉店してしまったり、お酒やおつまみ類の通販販売のみに切り替えて営業していたりする。そんなぼくをかわいそうに思ったのか、実家から『居酒屋大全』という、父が昔から愛読しているという文庫本を送ってくれた。消毒済みの印が押してある。だいたい5年前くらいからこうなんだ。郵便物は一度、衛生管理局の消毒科に預けられ、しっかり消毒された後でそれぞれの宛先に配達される。「消毒済み」の印は、この『居酒屋大全』はきみの父親の手から衛生管理局の消毒科に渡り、そこで丁寧な消毒をされて真空パックにされた後、配達員の手に渡り、それでやっときみの手に届いたんだよ、ひとつのものが配達されるにはこうして多くの人が関わっているんだよ、きみは長いあいだ部屋でひとりで過ごしているかもしれないけれど、決してひとりぼっちでも孤独でもないんだよと、そんな意味も含まれているのだ。
 ぼくのひとりきりの生活は、こうしてたくさんのひとと関わることによって成り立っている。
 本はすごく面白かったよ。ぼくも赤提灯の店に入ってみたいなと思った。それで周りの常連客の会話にかき消されないくらい大声で言うんだ「ホッピーセット、白で」ってね。

 ぼくはwebライターの仕事をしている。10年前からずっとね。いま流行の、というかもう10年前から流行の疫病の記事を、10年前から書き続けている。疫病についてはかなり詳しくなったと思うよ。自分でできる対策はすべて行っているし、最近発売された、予防に効果があるとされているサプリメントも注文済みだ。届くのは半年後だってさ。それまでできるのはやっぱり、手洗いうがいくらいだろうか。10年前と変わらずに。
 頻繁に手を洗うから、ぼくの手には指紋がほとんど残っていない。そのためスマートフォンの指紋認証が使えなくなり、スマートフォンを使うときはもっぱら暗証番号入力だ。

 ぼくの疫病に対する知識は、そこらの専門家よりも確かだという自負もある。なんせ10年間、土日祝以外は毎日4記事ずつ流行りの疫病に関する記事をひたすら書いてきたのだからね。平日だけじゃない、仕事のために休日もネットや通販で購入した資料で疫病について学んでいる。いわば疫病対策のプロ一般市民だ。
 そんなぼくの立場から言わせてもらうけれど、一昨日の昼の情報番組に出ていた疫病科の伊師葉医師。彼は良くないと思う。あんな言い方をしたら国民の不安を煽るだけだ。10年経ってもまだ「あの疫病には380度の熱湯が効く。380度以上であれば20ccでもじゅうぶんに殺菌できる。熱湯を飲んでください」だなんて馬鹿げたことを言う医師が存在するなんて驚きだ。
 彼はこの10年のあいだになぜ医師免許を剥奪されなかったのだろう。あれじゃ伊師葉医師というより医師廃止だ。と冗談めいた怒りを抱いていたら、それもそのはず。人物名のテロップをよく見ると【伊師葉意思】と書いてある。つまりこの伊師葉氏は、自らの意思を伝えるためだけにお昼の情報番組に出演した、意志の強い一般の方なのだ。意思を伝えるだけにとどまらず、デマまで伝えてご満悦だ。くそったれ。紛らわしい名前をいますぐ変えちまってくれよ。

 テレビもラジオもネットニュースも、ぼくは10年間、例の疫病に関するものしか見聞きしていない。できるだけ多くの情報を得るため、専門家の意見だけでなく、デマのようなニュースも、バズっているだけでソースの無い情報も同じように一旦自分の中で咀嚼するようにしている。
 情報というのは、その正確性はもちろん重要だが、それを受け取る自分自身が、与えられた情報に対して疑問を持つことのほうが重要だ。たとえそれが専門家や国から与えられた情報であっても。
「メディアのデマに踊らされるな」とよく言われているし、「メディアのデマに踊らされないためには」という記事もよく見かける。ぼくは、メディアに踊らされるなという文言もメディアに踊らされないためにはというメディア批判を含んだ記事も、まったく同じ"メディア"からの情報であると考え、そのどちらに対しても同じ態度を取ることに決めている。
 その内容を同じ知識と感情を以て理解し、疑問を持つことだ。そしてその疑問について自分なりに情報を集め、集めた情報に対しても疑問を持つ。考えるのをやめないことが、メディアに対する誠意ある向き合い方だとぼくは考えている。

 最近は「もうすぐ完全なワクチンができる」ともっぱらの噂だ。この類の噂は10年前から年に1度、秋ごろに出回る。毎年初出は10月10日だ。今年もそうだった。これまでの経験からして、99%の確率でワクチンは出来上がらないだろう。なぜ99%なのか、10年間毎年出来上がらないのだから100%だろうと思うかもしれないけれど、残りの1%はぼくの願いであり希望だ。希望くらい持ってもいいだろう。希望があってもいいだろう。希望に賭けてもいいだろう。希望を持つことはこの10年、禁じられていない。国民が希望を持つようにと、希望法という法律がつくられたのも事実だ。何の効果も持たない法律だが、希望を持つことが国から推奨されている。

 ヘアカットも上達したんだよ。鏡を見なくても襟足を上手に揃えられる。最初の頃はボウルをかぶって、ボウルの縁に沿って切っていたものだからおぼっちゃまくんのようなヘアスタイルしかできなかったが、月に1回のセルフカットを10年だ。国家資格も取れるだろう。ぼくはセルフカットの達人。バスルームでひとりきり大暴れしていた20代前半も過ぎ、いまじゃ分別もついて歳をとった。ツーブロックだってお手のものだよ。SNSにセルフカットの様子をアップロードすると「#外出禁止から生まれた神セルフカットマン」というタグが必ずつけられる。神と髪がかかっていて面白いよね。いまのぼくのヘアスタイルはちょっとアンニュイで神経質な感じだ。あまり日光に当たらないので肌の色も白く、近眼のため眼鏡をかけているから、"何か知っていそう"な感じの見た目をしているんじゃないかな。
 SNSのコメント欄には「最近読んだ面白い本や素敵な音楽を教えてください」とよく書き込まれるが、ごめんね、ぼくは疫病に関する資料しか読まないし、音楽はそもそも興味が無い。

 ほんとはぼくはもう気付いているんだ。この一連の世の中の動き、疫病のこと、それらがぼくだけに起きていることだってね。ニュースもラジオもネットニュースもSNSも、ぼくだけに他のみんなと違う、疫病だけの情報を与えてくる。
 外では普通に10年前と変わらない生活が(もしかするとそれより便利になった生活が)送られている。たのしいことに溢れている。セルフカットなんてせず、代官山あたりのおしゃれなサロンで素敵なスタイルに仕上げてもらってる。マスクの行列もないし、キャンディを落としてもすぐに拾えば余裕で食べられる。若者も年寄りもカラオケで歌いまくるし、ラブホテルだって満員だ。もちろん衛生管理局の消毒科なんて存在しない。父は健在だが、下戸で大の酒嫌いだ。そんな父が『居酒屋大全』なんて愛読していたはずがないし、赤提灯の店は毎晩その提灯にあかりをつけ、客がひっきりなしに出入りしている。

 ぼくの働く職場の10畳ほどの会議室では毎週お弁当を配られながら6〜7人ほどの役員が集まってぼくに関する会議をしているし、ぼくの疫病に関する記事はどこにも公開されていない。ぼくのパソコンのぼくのネット環境からしか見ることができないんだ。最初から分かってたよ。10年前、ぼくが新入社員だった頃、ぼくの勤める会社がとんでもないデマを記事にしてバズらせようとしていた。そこには大きな額のお金が絡んでいて、新入社員であるぼくは鉄砲玉のような役割を担わせられてしまった。そこからだ、おかしくなったのは。

 10年半前くらいにちょっとした胃腸炎が流行ったのは事実だが、それは一過性の流行だったため3ヶ月も経たないうちに収まったし、症状も軽く、重傷者や死者はもちろん出なかった。
 それまではぼくの部屋のテレビではお笑い番組も音楽番組も放送されていたし、動物園でキリンの赤ちゃんが生まれてすくすく育っているよというニュースものほほんと流れていた。

 しかし、あの鉄砲玉事件以来、ぼくの生活は一変した。すべてが疫病中心になった。会社はぼくを疫病の外に出さないようにした。ありもしない疫病の情報以外のすべての情報が、会社の機密に大きく関わるものだからだ。つまり、世の中すべての情報──キリンの赤ちゃんが生まれてすくすく育っているということまで──が、会社がぼくに隠したいことだったのだ。
 それはなぜか。簡単なことだ、会社はぼくという新入社員を利用して精神実験・人体実験を行っている。10年間欠かさずに。人畜無害の新入社員だったぼく。面接では趣味は散歩と答えたぼく。大学時代はボランティア活動に力を入れていたと答えたぼく。魅力的な会社なのでどうしても入社したい思いが募り、ここではもう正直になろうと思い、「友達と呼べる方はいませんが御社の"真の友情は真の労働から"という社訓に惹かれ、御社での成長を通して生涯の友人と呼べるひとと出会いたいです」と熱弁してしまったぼくは、模範的な人畜無害だったのだろう。
 会社はぼくの模範的な毎日を監視し、ライター業は平日のみだが、被監視業は平日も休日も問わず25時まで行われている。ぼくだけの情報番組やぼくだけの新聞、ぼくだけのラジオ番組、ぼくだけのSNS、ぼくだけの政府、ぼくだけの法律、ぼくだけのネット記事をでっちあげて。

 ぼくたちはみんな嘘つきだ。散歩なんて死んでもしたくない。時給の発生しないボランティア活動に興味は無い。友達なんてほしくない。ぼくは嘘つきで人畜有害だ。セルフカットの腕前だけはほんとだよ。

 だけどぼくはありとあらゆる嘘を信じているふりをしている。なぜって、これがぼくの世間に対するもっとも小さくてもっとも攻撃的な抵抗だからだ。抜かりなく騙せよ。一切の手を抜くな。ぼくにすべてを信じさせてみろ。ぼくは全力で信じるふりをしてみせる。
ぼくは疫病に関するものにしか興味が無いと前述したが、あれはもちろん大嘘だ。まったく興味が無い。インフルエンザの予防接種も怖くて受けたことがない。
 バーボンと濃い目のコークハイとナッツとラムレーズンのハーゲンダッツとナパームデスが大好きだ。ハタチ前には赤提灯の飲み屋の常連になっていた。俺はハイライトを愛煙し、焼き鳥はカシラが大好きなんだよ。

 毎晩、会社からの監視が切れる25時から壊れたように酒を飲み、When All Is Said And Done を聴いて踊り狂ってる。監視カメラにはガムテープでフタをする。誰も俺を見るな。俺はこうして嘘をつく。ちゃんと騙され続けろよ。
 俺からしてみれば、"When all is said and done, this is such a bad idea at all for me."ってことだよ。全部わかってんだよ、ボケ頭。
 ほんとの嘘つきは俺とお前、どっちだろうな? ロクデナシの嘘つき野郎。とっととまとめて全員くたばっちまえよ。希望もクソも無え。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?