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なんもしない

 駅前、パン屋が開いてる。おいしそうだなあ。パチンコ屋の広告に隠れて、新作パンが控えめに並んでる。おいしいんだろうなあ、たぶん。ひとつ買って、ベンチで食べたら、教えてあげたい。駅のパン屋のあたらしいパン、焼き立てでね、それから。ちょっと甘くて、あとは忘れちゃう。

 コンビニ、ずっと開いてる。眠らないのは分かるなあ。眠れないのはどこかで夢を見るひとがいるからだといいなあ。ずっとしあわせな夢が見られたら、きっとそれはいつまでもあったかい、焼きたてのパンみたいに。コンビニでは売られない焼きたてのパンのこと、今日まで知らなかったなあ。いつも知らないあいだにたくさんのことを知らせてくれる。天気や季節にちょっとだけ似ていて、都市開発計画書にはちっとも似てない。でもきっとまたあたらしく高い建物ができるはずだよ。ちょっとずつ完成していく様子を想像するのは気持ちいい。
 コンビニ、まばたきしてるあいだにもまだ営業していて驚いてしまう。おでんの湯気、毎シーズンおいしくなるおにぎりのお米、ほぐし水を飲んだ友人、お前ホントに読んでいるのかと問えば乱闘になるであろう経済新聞購入客のシワのないスーツ、早く家に帰りなと言いたくなる年寄り客(朝のコンビニは危険だよ)。わたしは公共料金の請求書のにおいを思い出している。38番の煙草1つ、レシートは結構です。ありがとうございます。ちら、と見る45番の煙草、誰が吸ってたっけ。

 改札前に入場券が落ちてる。またねって言えないままわかれたふたりはきっと電話でつぎの約束をするから大丈夫。わたしがもう少し優しかったなら、どこまで行ける切符を買うのだろう。パスモに片道ぶんだけチャージしたとして、笑ってもらえるのだろうか。10円単位でチャージできるから、たぶん面白いはずだよ。ホームにおかかおにぎりが落ちてる。さっきのコンビニの。おいしそうだなあ。拾いたいなあ。おいしそうだなあ。今朝はビスケットにマーマレードジャムを塗って、何だかとてもしあわせな心地がしたから、そのまま捨てたんだよ。つぎのゴミの日までさようなら。ビスケットのことはきっとずっと忘れないけれど。

 54分発の電車の困り顔、一駅ごとに音量が大きくなっていくイヤホンのなかの音楽がそろそろ泣いてしまいそう。きみはきっと夢のなか、わたしが都市計画書を書き直すとしたら、もうすこし夜を長くしたいと思う。まっくろで大きな傘をつかえば、きっとうまくいくと思う。雨の日だって洗濯物がいやなやつにならなくて済むし、夜中に発光するまだ名前の無い花にはすぐに名前がつくはずだ。

 誰かが忘れてしまったら、誰かが思い出せるようになっている。誰かが失くしてしまったら、誰かが見つけられるようになっている。誰かが捨ててしまったなら、誰かが拾えるようになっている。
 おかかのおにぎりをポケットにしまって、きのうからポケットに入れっぱなしになっていた紙の買い物リストを思い出す。そういえば、気分も良いし、と、こっそり開いて「・チョコレート」と書き足す。寒いんだかあったかいんだかよく分からない気温だけど、風邪ひかないでね。

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