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表現以上の感情を

つくづく自分は
感情表現が下手だなと思うことがある。

例えば美味しいものを食べたとき。
心から美味しい!と思っても、
自分の喉を介して出てくる言葉は
「コレスゴクオイシイネ」という
平坦すぎるものでしかない。

だから、本当に思ってる?
と言われる事も多々ある。

私は思っているのだけど、
そう言われてしまうのなら
私の表現する「おいしい」は
世界ランク648064618位くらいの
「おいしい」になるのだろう。

もはや世界基準の「おいしい」には
到達できていない可能性だってある。

逆に、お腹が一杯で
正直もうこれ以上入らないよ、、
という時に発動する「オイシイ」には、
そうかいそうかい、じゃあこれもあげるよ!
と逆を突かれることもある。

高校時代ファストフード店で
アルバイトしていた頃は、
誰にも対等に対応できる部分を
肯定的に捉えられ、
おもてなし係に昇給したことがあるし、
大学時代にカラオケ店で
アルバイトしていた頃は、
具合が悪くて早退したかったけど言えず、
態度で示そうとだるそうに
掃除をしていた結果、
すれ違ったお客様に
「お姉さん元気ね!」
と声をかけられた。

小学生の頃は、
謝恩会用のダンスの練習中、
私だけ楽しそうに見えないと
先生に名指しで怒られた事があるし、
球技大会では私だけ
表情が辛そうじゃないという理由で、
もっと走れと怒られた。

良くも悪くも感情が表に出ないのだ。

悲しい時にみんなと同じくらいの
悲しさを抱きながら、
共有することがうまくできない。

嬉しい時、みんなと同じくらい
嬉しく思っているのに、
嬉しさを共有できないことはとても辛い。

出来ることなら悲しみと喜びと、
心情を数値化して可視化できるシステムを
構築してくれていれば、
私もみんなと同じように
悲しんだり喜んだりできるのに…と思う。

しかし表情に出ない分、
言葉で伝えることは得意だったりする。

ただこれについて
私はあまり長所とは思えていない。

なぜなら普段はクールなやつが、
文章にした途端熱い想いを述べるのだから、
他の人よりもパッションが強いと
思われがちだし、
心の中ではこんなに考えてたんだ、、
と驚かれる事もよくあって、
なんとなく恥ずかしさが勝るのだ。

最近、結婚だったり出産だったり、
人生の一大イベントを
打ち明けられる機会がとても多い。

もちろんおめでとうとかお幸せに!
とかそういった言葉をかけるのだけれど、
1人になった途端に、
テンション低いと思われてないかなとか、
おめでとうが素直におめでとうに
聞こえなかったんじゃないかとか、
要らないことばかり考えてしまう。

そもそも私の言うおめでとうは、
きっと世間で言う4割程度にしか
聞こえていないだろうから、
何がどうめでたいのか
しっかり伝えた方が良かったのかな?とか。

結局その後LINEなどで、
自分がおめでとうを発した
理由みたいなものを長々と述べてしまい、
結婚とは知らないもの同士が家族となる、
それはそれはとても奇跡的なものだ、
みたいな説法を垂れてしまう。

感情を表現することはとても難しい。

ただ感情の100%は
それぞれ平等に
自分のみぞ知るものである。

だから私は心の中だけ熱いやつで
あるべきなのかもしれない。

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