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#1 社会不適合者が「社会の敵」だというのは本当か?

社会の要求に応えて生活することが困難な者。
“社会に適合できない人。うまくやっていけない人”らしい。
幼い頃のトラウマや親の虐待や過干渉、過保護、
そういったもので著しく生活に困難を抱いている方ももちろんいる。
しかし、そういった方を「不適合」と呼称してしまうのはいかがなものか。

今回は数回に分けて【社会不適合者と底辺】の関係性について書いていこうと思う。これはあくまでも私自身が【社会不適合者】であり、
その経験と今現在の心境として書き綴っているもので、
文章内に出てくる事象や論説などは出典元は記載することはあるが
私の解釈であり、私にはそう見えているということである。

実際の事実、解釈とはおおいに違う部分もあるかもしれないが、
一社会不適合者の視点であることを前提とさせていただく。

■社会不適合者の定義

私がここで【社会不適合者】として定義したいのは社会の隙間、グレーゾーンに生きる人間であり、心理学や精神医療の対象には該当せず、
なおかつ【パブリックエネミー】の要素を備えた人間である。

精神的な病や、性質を持つ者ではなく、そういう症状、疾患があると認められない者。思想や価値観が著しく一般的な大衆と相違があり、
その点で社会生活に困難をきたす者のことを指す。

【反社会的勢力】の“勢力”と言えるほど集団ではない物。
それほど力や権力を持たない者。

前者である精神疾患が理由として生活に困難が生じる人間の中には
「社会参加したいが精神的に無理です。助けてください。」
というニュアンスが含まれる一方、
【パブリックエネミー】の要素を備えた【社会不適合者】というのは
「こんな社会なんていやだ!」という反社会的な思想や価値観を持つ者である。

助けてくださいと言われれば、健全なる精神を持つという優越感から手を差し伸べるのが「社会」である。
もう一度社会の奴隷になるための教育をリハビリ的に行ってくれるのだ。
これは心理学業界や精神医療業界に対しての批判ではない。
あくまでも【パブリックエネミーの要素を備えた社会不適合者】
の書き手による駄文である。

もちろんそういった業界の功績は偉大だ。
【社会不適合者】という漠然とした人種の内情を解明し、仕分けし
「医療」というカテゴリーまで導いたことはすばらしいと考える。

実際、昔は「キチガイ」と言われ一般人とは違う気質や性質を備えたものは否応なく座敷牢に沈められた。
しかし現代は心理学の優秀な人材たちにより、座敷牢に沈めるべきではない人種を救おうと尽力している。
ある種の【障害】と決定づけ、社会参加が難しい者にはきちんと治療を行い人間的な生活を送れるよう手助けをすることはとてもすばらしい。

しかしその一方で、その心理学業界から漏れた者は【臭いモノには蓋の理論】によって封殺される。そういった者【パブリックエネミー】という気質にあたる。要するに「社会の敵」だからである。

私が問題視しているのは「社会の敵」という文言の「社会」という部分にある。この社会というものの正体は一体なんなのか。

個人の気質や性質は社会というものより軽視されるものなのか、
「臭いモノ」とされる【パブリックエネミー】は
その社会枠の限りではないということなのだろうか。

一つ例を出そう。


■パブリックエネミーとしての事件


吉本興行の闇営業問題。
お笑いタレントが反社会的なグループの会合に会社の許可を得ず、
出席し金銭を受け取ったという事件であった。
私の勝手な考察であるが、
各視点からのいくつかのツッコミポイントが存在し、
その各視点が非常によく燃えたということだ。

①まず、会社の許可を得ず金銭を受け取り営業を行なったという点。
この点に関してはまず、会社の許可を得ずという部分において吉本興行の儲け分という問題がある。
通常、仕事は事務所を通して行う。
事務所に所属している以上、マネジメントをしてもらっている関係上仕事をした分丸儲けとはいかず、いくらか事務所に収めることになっている。
闇営業ではこの「事務所の取り分」がなくなる。
この闇営業が横行すれば、事務所は立ち行かなくなってしまう。
これが「吉本興行の視点」である。

②次にこの日本のシステム、法律という視点である。
事務所を通しての仕事の場合、もらったギャラから引かれるのは事務所の取り分だけでなく、各種税金も引かれるが、闇営業の場合、基本手渡しで税金が引かれることはない。文字通り丸儲けである。
この税金の点に関しては別の吉本興行のお笑いタレントが制裁を受けている。

③そして、最後に「社会の敵」の視点である。そのお笑いタレントが出席した会合というのが反社会的勢力であるということだ。要するににヤクザだった。この点で「社会の炎」は一気に加速したように思う。
そのお笑いタレントはCMや出演、レギュラー番組などがあり、
ある種「影響力」があるタレントだった。
反社会的な集団【ヤクザ】と交流や親交があることはスポンサー的に良しとしなかった。この【ヤクザ】は「社会の敵」であるから、一般人にはイメージが悪いということである。

この3点においてワイドショーが詰めていたのは記憶に新しいだろう。
当のお笑いタレントはまるで本人が「反社会勢力」がごとく糾弾され、
記者会見での態度や言動も逐一揚げ足をとられ「社会悪」のような
扱いを受けることとなった。

反社会的勢力と言えば、東海テレビで放映された「ヤクザと憲法」の中で
実際のヤクザの会長が自分たちの置かれた状況について述べている部分がある。

(関東関西のヤクザの現状、実際に起こった事例をまとめた資料を見ながら)
“ほとんどの(組員は)通帳止められてるね、解約されたとか。
保険入られへんとかね、宅急便でヤクザの事務所にはモノ送れんとかね。(中略)
親がヤクザやから幼稚園来てくれるなということですわ。
反社会性力の子供やからやね、通園をお断りしますっていうような形で断られた。子供はヤクザやないんやからね。”
(資料には“幼稚園の行事等の参加もお断りしますと言われたとの記載もあった。)
“ヤクザ認めんて言うことやろ?暴力団や言うて。
ホントに認めんのやったら全部なくしたらいい。
選挙権もなくしたらいい、剥奪したらいい。
まともな仕事もできたらアカン、生業もうつなってゆーてんねん。
”(記者:「だったらヤクザをやめたらいいのでは?」)
“(やめたところで)どこで受け入れてくれるん?”


話は逸れるがそもそも【暴力団】と【ヤクザ】は違う。
暴力団とは違法行為などで金銭を得る集団を指す。
ヤクザは任侠のような特別な思想、人間関係の上成り立っている個人、
または集団である。
任侠は思想の呼称であり、生業としては「極道」であると考える。
確かにヤクザや極道と言われる個人、または集団でも違法行為を行う者も多い。しかし、前提が「何かしらの狭義の上行われた行為」かどうかである。暴力団はお金や個人的な欲望において違法行為や人を騙したり、
搾取したり、傷つけたりする。

ヤクザ、極道は法を犯すこともあるが、全てが暴力団と同列の悪だとは言い難い。現在では暴力団と一緒くたにされ、暴対法により任侠という思想感も廃れ、「テキ屋」と言われる職業が細々と続いている。

そして、ヤクザがヤクザとして生けないような暴対法や、社会からの圧力があるにも関わらず、選挙権もあり会長が言う「すべてを剥奪」されないのは
ある意味、その存在によって恩恵や、利益を受けている者たちがいるということである。

この話はまた別の機会に詳しく書いたいと思う。


■反社会的勢力と社会不適合者の類似点


話を戻すが、反社会勢力と社会不適合者は
【パブリックエネミー】という点では同じではないだろうか。
むしろ【社会不適合者】が寄り合い、集まった結果
【反社会的勢力】になるのではないか。
どちらともある種の教義や信念に基づいて生きるのだが、
一般の社会からは認められることはない。
前述のヤクザの現状のように、思想、信念によって人として持つべき権利を制限されるいるのは【社会不適合者】も同じである。
ただ【社会不適合者】は一個人であり、
全員がヤクザのように困難を無理矢理突破したり、何かを起こすことは難しい。

ただ「社会の敵」【パブリックエネミー】として
【その他大勢】から迫害を受け、「社会」という枠の隅っこで
あわやひえを喰って生きるか、社会の枠からそっと抜け出し、
自分の世界で生きることを選ぶか、である。
【社会不適合者】は力もなければ権力もなく、大勢に対抗する余力はない。ただゆっくりと精神力をすり減らし長い時間をかけて死んでゆくのである。

【ヤクザ】には「任侠」という思想があり、【社会不適合者】には
それぞれの思想感がある。
思想は自由である。よって精神科医などに強制されるべきものではない。
しかし実際問題、歪な思想というものは何かしらのトラウマや生きてきた環境や過去により形成され、一般大衆の価値観に相違が生まれてしまい
「社会の枠」の中では【悪】であったり【敵】として認識されてしまう。

【悪】や【敵】には手を差し伸べることはおろか認めることすらなされない。

次回は【社会不適合者】が社会不適合者たる所以、パプリックエネミーであることの理由を綴る。


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