【長編小説】分岐するパラノイア-weiss-【S19】
<Section 19 安いコーヒーとセンチメンタル>
「・・・と言われておりまして、我が街では大変貴重な展示物となっています。」
若い男は展示物についての説明を続けている。
僕はそれを頷きながら、たまに相槌を入れながら聞いていた。
多少説明がくどく、飽きてきてはいるがこの男が一生懸命なのが伝わって
何かすごく貴重なことを言っているようで遮る気にはなれなかった。
「少し長くなっちゃいましたね。申し訳ないです。」
「いや、大変勉強になりました。貴重なものばかりで驚きましたよ。」
「そう言えば何か目的があって来られたのではないですか?もしかして
わたし邪魔してましたか?」
男は急に気が付いたかのように私にも用事があるのではと思い立ったようだ。しかし僕は実際何の用事もないし、むしろこの展示すら目的ではなかった。ただ招待状が来たから軽い気持ちで寄っただけだ。
もちろんあの老人のこともわかるのでは、と思っていたが
是が非でも見つけたいという気持ちではなかった。
「いえ。目的なんてありません。
せっかく招待状を送っていただいたので
軽く見ておこうと思っただけです。でもこんなに興味深い、おもしろいものだったなんて。」
若い男は不思議な顔をした。
腰にぶら下げた端末を確認する。
「今回の展示は、法科資料をお借りになっている方限定です。
実際に数冊法科資料としてお借りになってますよね?履歴によると
まだ貸出中のようですが。」
「そうなんです。本は借りてます。でも残念ながら研究者や学生ではないんです。」
「そうなんですね。いや失礼しました。研究者や学生の方だと勘違いをしておりました。一般の方にとってはさきほどの説明は退屈だったでしょう?」
「とんでもない。むしろ興味深くもっといろんなことを知りたくなりましたよ。」
僕はこの若い男が嫌いではない。
ミハイルよりも他人の目線でものを考えられる人間のようだ。
「できればまだいろいろ案内をお願いしたいのですが、お時間ありますか?
他のお仕事でお忙しくなければですが。」
僕はもう少しこの男の話を聞きたいと思った。
「ぜひご一緒させてください。」
若い男は、すぐ端末に何かを打ち込んでいた。
打ち込んだ後、腰に端末を戻すと胸につけている
図書館の職員専用のID色が白から青に変わり
“WITH”の文字が表示された。
対応中を意味する表示だ。
他の来館者や職員同士が見て判断できるようなシステムである。
端末で自分の状態を逐一変更しなければならない。
ちなみに白は“NOMAL”で通常勤務中。
黄色は“BREAK”で休憩中。
赤は“EMERGENCY”で緊急対応中というふうに色分けされている。
「と、その前にコーヒーでもいかがですか?」
僕はいいですね、と答えちょっと先に見えている喫茶室まで案内された。
喫茶室に入るとコーヒーの香りが漂ってきた。
懐かしい感じの香りでつい「いい香りですね。」と言ってしまった。
僕はこの若い男が相当気に入ったようだ。
「ありがとうございます。でもそんなにいい豆は使ってないんですよ。お口に合うかどうか。」
「焙煎されてる人の腕がいいのかもしれませんね。」
「ふふ。厨房の人間に聞かせてあげたいです。」
窓際の席に座り、テーブルのタブレットでコーヒーを注文した。
たわいもない話を数ターン続けたところで提供用アンドロイドがコーヒーを運んできた。
「ところで、どうしてあの法科資料をお借りになったのですか?なかなか珍しい作家ですよ、トリスタン・ロックウェル・ギャロという作家は。」
「そうですね、なんと言うか・・・」
僕がどこから説明したらいいものかと考えあぐねていると、若い男は
察したようで「あ、いや。すいません。わたしもまだここにきて日が浅くて
どの本が法科資料なのかさえよくわかっていない上に、トリスタン・ロックウェル・ギャロという作家でさえここにきて初めて聞いた名でしたので。
かなり不躾な質問でしたね、申し訳ない。」
この若い男の距離の保ち方には感服した。
“聞きたいが言いたくないのなら言わなくてもいい。”をかなり丁寧に伝えてくる。
「いえ。正直僕もなんです。」
僕はどうしてトリスタン・ロックウェル・ギャロの本を法科資料として借りることになったかを説明した。
“長くなりますが”ときちんと前置きをした。
まず自分がとあるアパートの管理者になったこと。
そのアパートの5階に謎の老人がいること。
その老人が作家らしいという話を聞いたこと。
その老人の作品を本屋などでは見かけないこと。
図書館にあるかと思ってミハイルに頼んで探してもらったこと。
この5点をできるだけ簡潔に話した。
「あぁ。ミハイルさんが探していたのはこれだったんですね。」
「ミハイルさんを知ってるんですか?」
「もちろん。私は彼の後任ですから。歴史書コーナーの引き継ぎをしていただきました。」
「ではあなたも【記録士】なのですか?」
「一応、まだ駆け出しも駆け出しですが。ミハイルさんはもう【記録士】としてはかなり上の地位ですよ。」
それは知らなかった。ミハイルはけっこう地位のある人間だったのか。
「その引き継ぎの際に、かなり忙しくされてまして。
わたしの引き継ぎと通常業務をこなしながら何か調べ物をされてるようでした。それがこのトリスタン・ロックウェル・ギャロだったんです。
私がその名前を知ったのはその時です。」
「そうだったんですか。何か余計な手間をかけてしまったようですね。」
どうせ暇つぶし程度で探したものだろうと思っていた。
そこまで忙しい中探してくれたとなると申し訳ない気持ちになる。
「彼はどこかに出張というか、図書館をあけているそうですが【記録士】の関連か何かで?」
若い男は困った顔をした。
「そうと言えばそうなんですが、なかなか急な人事でして。
こちらも深いことはあまりわからないんです。
配属先も“業務円滑化推進部”というできたばかりの部署で何をする部署かも定かではないんです。」
「そんなことあるんですね。」
「いえ、本来はありません。ミハイルさんはこの街の【筆頭記録士】ですから簡単に異動なんてことはないんです。【筆頭記録士】は生涯職業ですから
異動も転属も、ましてや転職や辞職さえも基本的には許されてはいません。
わたしが後任として配属されたのも異例です。そもそも“後任の配属”は前記録士の病か死亡時のみとされています。」
ミハイルは何かしたのだろうか。病や死亡と同じ次元の特例を突き付けられるほど何か大きなミスでもしたのだろうか。
「館内ではさまざまな噂が飛び交っています。【記録士】としての仕事の最中に何か大きなミスがあったとか、実は助からない病であったとか。
どれも噂で信憑性はありませんし、真実はわかりません。」
「そうなんですか。大変だったんですね。」
「いえ、大変だったのはミハイルさんの方ですよ。
ミハイルさんがきちんと引き継ぎをしてくれたおかげで、
少し内容は変わってしまいましたがこの展示会も開くことができました。」
僕は彼に5階の老人の作品を探してほしいと伝えた日のことを思い出していた。
図書館で会ったあの大きい体の役人。
制服を身にまとい、左胸にはキラキラ光るバッジがついていたのを覚えている。あのバッジには見覚えがある。
それがなんだったか今は思い出せない。
「さぁ。ではこの後は“幻の作家、トリスタン・ロックウェル・ギャロ”を巡ることにしましょう。」
若い男はうまそうにコーヒーを飲む。
うまかったがこのコーヒーは、安物だ。