#3 「底辺」の正体はこれで決まり。
●「社会不適合者」と「底辺」の関係性①
●「社会不適合者」と「底辺」の関係性②
今回はタイトルの後半部分の【底辺】について書いてみよう。
この【底辺】という言葉を改めて調べてみるとどうやらネットスラングのようだ。お察しの通り2chが発祥という説やニコ動が発祥などの説があるがこういうものの発祥はもともとわからない。
ルーズソックスがどこから火がついたかはわからないのと同じようなものだ。
例のごとく、また定義から初めてみよう。
■【底辺】の定義
一般的にはニートやフリーター、日雇い労働や派遣社員、正規雇用ではあるが低賃金の人が該当するらしい。
いわゆる「無職」であったり「底辺職」とよばれる職業に就いている者を言うらしい。
名誉のためにURLなどは伏せるが、
どこぞの“就職を応援している”と謳っているサイトに
【底辺職などと言われる社会的地位が低いとされる業界の特徴】と銘打たれてわざわざ平均年収と社会貢献度を星で評価している表があった。
就職を応援するはずのサイトが、
【底辺職などと言われる】や【社会的地位が低いとされる】など不遜な言葉を使っている時点で美しくない、下品であると言わざるを得ない。
嘘をつけとは言っているわけではない。
ただ主に就職を目的とする者は大半が高校を卒業したり、大学を卒業したりで本格的に社会に参入しようとする若年層だろう。
あまり綺麗事は言いたくないが、希望に満ち溢れ、反面不安もあるまだ
孵化したばかりのオトナになろうとする者に向けて、
就職を応援する側が使う言葉ではない。
若年層自体が自分たちの感覚でそう見えるのは仕方のないことだろう。
孵化したて故、一部しか見えていないことは往々にしてあることであり、
すばらしい職業につきたいと思うことは当然であろう。
孵化したての新参者が使う言葉を就職を応援する側の人間が喜び勇んで
こういう言葉を使うということはもうすでに「毒」は大人側にも
まわっているのだ。
ちなみにそのサイトで紹介されていた【底辺職】とされる職業らしい。
(平均年収と星の評価は省く。下品極まりないので。)
土木・建設作業員
清掃作業(ごみ収集)
警備・誘導員(ガードマン)
長距離トラックドライバー
居酒屋・飲食店スタッフ
介護福祉職(ヘルパー)
保育士(幼稚園、学童など含む)
看護師(准看護士)
清掃業・スタッフ
アパレル販売員
アミューズメント施設(パチンコ屋)店員
工場作業員(溶接・組立・検査)
おもしろいことに【底辺職】と紹介されていた職業はかなり社会で必要不可欠なものが大半を占めている。
土木系は自分たちが使用するであろう施設や道路などを作る。
使用するのは私たちである。
長距離ドライバーもアマゾンやメルカリなどでお世話になっているはずだ。
保育士や子供関連の職業だって、清掃だって飲食店のスタッフであっても
確実にこの今の現代に必要不可欠であり、【底辺】などと紹介される筋合いはないのだ。
しかしながら実際は世に出てみるとそういう【底辺職】であるという認識に“させられている”という感覚はひしひしと感じるものである。
それは【待遇】と【賃金】に起因するだろう。
長時間労働、長時間拘束、サービス残業などの【待遇】、
実際の業務の内容量と給料の割合があっていない【賃金】、
もしくはその両方。
私はそういった区分けを職業差別に近いものを感じる。
よってこの一般的な定義よりもっと踏み込んで定義したいと思うのだ。
上記のような職業に意味ややりがいを見出し、
家族のため、社会のため、そう思いながら働く方々を私は尊敬する。
つらい状況でも歯を食いしばり、一歩一歩踏み出す姿は美しい。
【底辺】などでは決してない。
むしろこの社会を支える【基盤】であり【基礎的職業】であると考える。
その上で、私が思う【底辺】というのは
①収入が少ないことに不平不満を言う者。
②その割に何の努力もなしにその階層に居座り続ける者。
③努力をしたところで何も変わらないと思っている者。
この3点が【底辺】と呼称されても仕方のない人間ではないかと考える。
①収入が少ないことに不平不満を言う者。
勘違いして欲しくないのは正当な理由があり、かつ昇給などを打診している者、したことがある者、明らかに水準を割っているものに対して声を上げる行為を否定しているのではない。
むしろそれはおすすめしたいところである。
わたしがここで定義したのは、場末のスナックや居酒屋でうっぷん晴らしのために口に出したり、昇給が認められるべき能力の獲得をしていなかったり収入が少ないことが自分に原因がある場合である。
中には居酒屋などでの愚痴を言うぐらいいいじゃないか、と思われるかもしれない。
甘い。
その「いいじゃないか。」が私にとってはすでに【底辺】としての姿なのである。
②その割に何の努力もなしにその階層に居座り続ける者。
①の続きになるが、自分で能力の獲得をしようとしない者は収入が低いと言える立場にはない。しかしそもそもその昇給制度がない企業や店舗もあるかもしれない。その場合諦めるかと言えばそうではない。
能力を獲得しさえすれば、どこか今より賃金の高い職場が見つかるかもしれないし、能力が身についたという自覚さえあれば自ら探すこともあるだろう。それさえせず、「収入が低い」と文句を垂れるだけ垂れて、
その場所に止まり続ける者は私からすれば【底辺】であると言える。
③努力をしたところで何も変わらないと思っている者。
努力は大半が報われないと思っておいた方がいい。
これは社会不適合者である私自身が肝に銘じている言葉である。
努力は報われることは奇跡に近い感覚があるからだ。
しかし逆に努力だけは裏切ることはないとも言える。
努力したところで何も変わらないと思っている者はおそらく今まで
自分の身が削れるような努力をしたことがないのだろう。
それでも努力したんだ!と言いたい者は言えばいい。
それは自由だ。
しかし何も変わらなかった、ということはその努力が
何かを変えるほどのパワーになっていなかったということである。
さらに能力を獲得できてもこの社会の「毒」は持てる能力での活躍を許さないシステムも存在する。それを打ち砕くパワーと精神力が身に付いていなかったということだ。
努力して能力や資格を身につけたとしても、それよりも肝心な人間としてのパワーが足りなかったということではないだろうか。
努力の量と努力の方向さえあっていればおのずと道は開けるものである。
だからこそ私は“努力は大半が報われない”ということを諦めの言葉とはせず、もう一歩もう一歩と進む言葉として忘れないにようにしているのだ。
以前私の友人は底辺だった。
30歳にもかかわらず、生きてきて一度もPCを使ったことがなく、
30歳にしてバイトで初めてワードでたかだか
文書の作成を頼まれて揉めるぐらい拒否した。
その時の上司は
勉強だと思ってやってみてと完璧を求めず、挑戦してくれのスタンスだったにも関わらず彼は不満だった。
理由は
・pcを使えても意味がないから。
・これから先もpcを使うような仕事にはつけない。
と言うことだった。
30歳でPCを使ってこなかったことが【底辺】などではない。
彼の人生でPCを使う職業にはつけないことはないはずだ。
彼はお金がもっとあれば、とよく言っていた。
地方のため時給や月給も多くはなく、
生活費と養育費を捻出し贅沢にもソシャゲの課金に1万弱使う。
趣味や楽しみのために自分が稼いだ金を使うのも結構だ。
現状のギリギリの生活で満足なのであればそれでいい。
現状でなにも望むところはなく、夢もなく、
今のようなただ絡繰人形のように動いているだけで
恐悦至極ならば何もいうまい。
しかしそれでお金がない、収入が低いと言うわりには
収入をあげようという努力さえしない。
そこが【問題】であり【底辺】たる所以ではないかと考える。
次回はもうひとつの【底辺】と、それらの【本質】について書いてみよう。
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