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社会に蔓延る悪魔、悪平等。あなたの隣にも。

■問題です。

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人を満員バスに乗せて脳波を測定するという実験。
被験者は不快な時の脳波となる。
ところが今、満員バスの中にいるのに脳波は不快を示さず、ニコニコしている人がいる。
さてどうしてでしょうか?

これは何かの小説の一説であったと思うが、
どうしてニコニコしている人がいるのかおわかりだろうか。

答えはこの記事の一番最後に書こうと思う。読みながら考えてみてほしい。

■平等と公平

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・平等
偏りや差別が無く、みな等しいことである。

平等という言葉でのマックスイメージは「憲法第十四条」であろう。

日本国憲法第十四条
1項
すべて国民は、法下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

2項
華族その他の貴族の制度は、これを認めない。

3項
栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴はない。
栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者の一代に限り、その効力を有する。


上の画像では右の絵にあたる。
三人ともが同じ高さの台に立っている。“同じ高さ”でありこれは“平等”である。しかし一番右の子供は試合を見ることができないでいる。
3人の人間を【同一に】扱った結果がこれである。

・公平
公に平らなこと、偏らないことである
画像だと左の状態。右端の子供は台を3つ与えられ試合の観戦ができている。左端の大人?は台は一つも与えられていない。
与えられずとも身長が高いので難なく観戦できるからだ。

この状態を見ると誰でも当たり前でしょ、と思うかもしれない。
思うかもしれないが、社会はそうではないのだ。

・社会は平等なんかじゃ無いし、公平でもない
まず社会は平等を何がなんでも「みんな同じ」にしたがる風潮にある。
よく言われる「手を繋いでゴール」もまさにそれである。

■その間に潜む“悪平等”

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・悪平等とは
悪平等とは、結果の平等である。
本来の平等は機会の平等であり、結果の平等ではない。

悪平等は、公平であるべき結果を平等にしてしまう。
みんな同じにしてしまう事で、皆が努力する理由がなくなってしまう。

要するに悪平等は、“働かない働きバチ”を増殖、大量生産してしまうシステムである。

・悪平等の実例
+中国の人民公社。

人民公社では給料が皆一律同じであった。まさに結果の平等である。
頑張った人間も頑張らない人間も同じ給料なので、頑張った分だけ損だという事になり、人民公社は疲弊していった。

“働かない働きバチ”が増殖したのだ。

+校則・社則
昨今、ツーブロックの問題が話題になった。
あの髪型がなぜふさわしくないと言われるのか。
そもそも“ふさわしい”基準はどこにあるのか。
どこぞの権力ジジィが好きか嫌いかの基準ではないだろうか。

私は髪型も対外的に主張する自己表現であると考える。
髪型だけではなく、制服も甚だくだらない。

学校だけでなく、仕事でも同じだ。
私は一般の大人の中でもわりと髪を長く保っているのだが、
これがなかなか受け入れられ難い。

アルバイトなどはほぼ業種は限られるし、大抵は奇人変人の類にされる。
だったら切ればいいじゃないかとなるが、この髪型は私の根底や信念に従ってやっているものである。

そもそも学校や職場で男性の長髪がなかなか容認されないのはなぜか。
例えば飲食店などは衛生のためと言われるが、女性は長髪の方だっている。
よく長髪は不潔だ、とか清潔感がないと言われるが、長髪であること自体が不潔であるなら女性のほとんどは不潔であるのか。

個人的に嫌いだ、みっともないという理由だった場合は単純な差別であると考える。

■平等とルール

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・憲法の矛盾
日本最大のツールである憲法で規制されている平等。

そこに何かしらの矛盾があるようでならない。
憲法と社則や校則にあまりにも相違があり、違和感がある。

上記に書いたツーブロックや男性の長髪について言えば、
髪型を制限することは【表現の自由】の侵害である。

元政治家の橋下徹氏は政治家時代に市役所職員の入れ墨を禁止した。
これも何か釈然としないが、橋下氏のコメントにはかなり納得した。

・橋本氏のコメント

若者がファッションで(タトゥーを)入れる風潮も分かるが、市職員としてはだめだ。どうしてもやりたいなら公務員を辞めて個性を発揮したらいい。

まさにこの通りである。
実は憲法は国民に対してのルールではなく、国家権力に対してである。
国民に対してのルールは【法律】である。
憲法は国家権力が暴走しないよう作られたルールである。

そして、公務員の雇い主は国家であり、地方公務員法において
【信用失墜行為の禁止】が定められている。

地方公務員法第33条(信用失墜行為の禁止)
職員は、その職の信用を傷つけ、又は職員の職全体の不名誉となるような行為をしてはならない。

公務員は読んで字の如く、公の立場である。
よって橋本氏のコメントの公務員を辞めればいい、という話は納得である。

学校はどうだろう。
高校は義務教育ではないしそれこそ辞めれば良いのだ、と言って吐き捨てる前に考えてほしいのだ。

ほとんどの企業が高卒は当たり前、大卒でやっと就職戦線が戦えるという状態ではやめづらいに決まっている。

それが意味のわからないルールや校則でがんじがらめにされ、まさに将来を人質にとっているうようなものだ。

・民間の会社や企業
そして民間の企業はもっとひどい。
何の権限もないのに髪型や髪色が必ず指定されている。
よく言われるのは「お客様が不快に思うから」である。

髪が金髪の店員がいて何が不快なのかわからない。
長髪の店員がいて何が不快なのかわからない。

この社会は多数決である。
とある誰かが「不快だ」と言えばそっちに追従し、
数が多くなり【民意】となる。
その【民意】が大きく膨れ上がり【同調圧力】となる。
そして集団は排他的になる。

多数派は“仲が良い”ことで、仲間内では多少のことならば許してしまうが、
そうでない者は叩いて殺す。
仲間内ではその責任を問わず、原因追求もせずなぁなぁで済ませてしまう。

だって同じ【仲間】という宗教だから。

【平等】と【ルール】を混在させた時、悪魔の集団が完成する。

■冒頭の問題の解答

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冒頭の問題の答えは「周りが全員友達だから」である。
そういう場合、人間は縄張りを侵されても不快を感じないのだ。

【同調圧力】により【悪平等】はどんどん感染してゆく。
平等が悪平等に姿を変え、「みんなが同じ」ことで
「仲間」という宗教を形作る。

その集団や組織では「同じ」であるというだけで、
問題が起こっても、その責任は問わない。
それは【悪平等】が【同調圧力】によって蔓延した結果である。

■まとめ

【平等】は“条件”に関係なく、全てを同じ様に扱うことであり、
【公平】はかたよりがなく、全てを同じ様に扱うことである。

平等である“条件”というのは憲法のとおり人種や信条、性別、社会的身分又は門地(生い立ち)であり、この条件のもと同様に扱うことである。

この【平等】とは生きる上での“機会”なのである。
人種で機会が奪われてはならない、
信条で機会が奪われてはならない、
性別や身分、生い立ちで機会が奪われてはならない、ということである。

しかし、物事の“結果”まで【平等】にしてしまうことで、
【悪平等】が生まれる。

公平であるべき結果を平等にしてしまう。
頑張らない人間も一律にしてしまうことで“働かない働きバチ”が増殖し、
集団や組織は弱体化し分断、崩壊する。

そしてその増殖を助けるのが【同調圧力】である

現代の社会では周りと違う人間がこんなにも活躍しているのに、
それはTVや映画の話だと信じ込み、平等思想を掲げ、学校でも職場でも洗脳する。これからは違いが強みになる時代だと考える。

誰もが同じではない。
平等は、存在しない。あるのは【悪平等】である。

それに打ち勝つことができるのは類稀なる【過負荷】と【能力】を秘めた
社会不適合者であると考える。


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