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ポストヒューマニティーズとはなんぞや⑥

まだまだ構造主義を追いかけていて、ポストヒューマンにはほど遠いのだが、今回はミシェル・フーコー(といっても、あとレヴィストロース、ロランバルト、ラカンがいるのだが、飛ばして一気に現代に飛ぶかもしれない。時間がかかりすぎるので、一旦割愛して、また時間のあるときに戻ってこようと思う。とにかくポストヒューマニティーの棚を作らねば本末転倒)。とはいえフーコーの著作は、最近の哲学の本を眺めていても引用されていることが結構多い気がするので、まとめておきたい。

『寝ながら学べる構造主義』をもとにさらにコンパクトにフーコーの考えたことを自分なりにまとめると、、

フーコーは「歴史を貫く一本の線」を粉砕しようとした。

「歴史を貫く一本の線」とは、私たちが歴史を捉えようとするとき、一直線に、私が今いるところまで進化してきたと考えたときに現れる、人間主義(いま、ここ、私、を中心に考える主義)の線。

そうではなくて、歴史は無数の転轍点において、「選ばれた方」と「選ばれなかった方」の連続から成り、「選ばれた方」だけを線のように辿っても、本質は見えてこないのではないかとフーコーは考えた。

フーコーは、選びとられたただ一つの線だけを残して、そこから外れる出来事や、不都合な出来事を視野から排除し切り捨てることをよしとせず、

それ以外の、「語り継がれなかった部分」「記録されなかった部分」に注目し、その時本当に何が起きていたかを、「歴史的判断」や「後世の評価」で汚される前の、その出来事が起きた瞬間に立ち返って考察するというアプローチをとった。

これはニーチェの系譜学を継承したものだという。

フーコーはこの方法で、幾つもの「常識」を覆して行った。性のこと、狂人と健常の境目のこと、身体のこと…

『寝ながら学べる構造主義』の中では、「精神疾患における、健常/異常の境界という概念」について詳しく述べてある。

フーコーが指摘した驚くべきことは、

正気と狂気が「科学的な用語」を用いて厳密に分離可能であるとする考え方は、実は近代になってはじめて採用されたものだ

ということ。それまでの「狂人」はヨーロッパにおいては、悪魔という超自然な力に「取り憑かれた人」と見なされていたらしい。それは、「罪に堕ちた」から取り憑かれたのだと考えられ、信仰を持つことの重要性を説くための「生きた教訓」として、社会的な役割を果たしていた。「狂人」が身近にいることは自然なことで、有意義なこととされていたのだという。

それが17世紀になると、人々の中に、「狂人」に対する新しい感受性が芽生える。それまで、別世界から到来するものとして歓待されていた「狂人」は、「貧民、窮民、浮浪者」などと同格になり、この世のものになり、そして排除された。

さらに18世紀にはまた様子が変わる。狂人だけが別のカテゴリーに分類され、「治療」の対象になる。管轄が「司法」から「医療」に移り、症状は観察され、分類され、カタログ化される。

この流れを、フーコーは人間の「標準化」と名付け、近代の知と権力は、なんであれこの「標準化」の方向を目指している、とする。

フーコーの言う「権力」とは、国家権力とかではなく、

あらゆる水準の人間的活動を、分類し、命名し、標準化し、公共の文化財としての知のカタログに登録しようとする、「ストック趨向性」のこと

なのだという。

あらゆる知の営みが、情報をまとめてストックしようという欲望によって駆動されている限り、それらは権力的に働く、というのがフーコーの指摘。

だけど、それらの膨大な資料なくして過去に立ち返ることは出来ないし、またフーコーの考えがまとめられ、また哲学者の必読文献としてまとめられればまとめられるほど、このストック趨向性が発揮され、権力的に働いてしまう。内田樹は、

この不可能な望みに有り金を賭けた無謀さによってミシェル・フーコーの仕事はこの先も長く敬慕され続けることでしょう

とまとめている。

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