幸とも不幸とも呼ぶ、27歳
こんにちは、こんばんは、お久しぶりです。
昨日今日とどうも睡眠薬の効きが悪くて
眠れない静かな夜は誰かに話を聞いてほしくなるわたしです。
6月に不穏な更新をしてそのままだったのですね
仕事を始めてから、色々あったんだ
わたしは幸せなのか、不幸なのか、なんて
今はまだよくわからない
消えてしまいたいほど辛くても幸せはそこにあって
逆にどれだけ幸せな時間でも心の奥底に何にも埋められないものがある
目の前の幸せに目を向けられず消えたいと考えることは
果たして罪なのでしょうか、悪なのでしょうか
とりあえず今日は生きるみたいだけどね、なんて
以下はわたしの近況
◇
社会復帰してからのわたし
前職を適応障害で退職し、
1年半程療養していたわたし
2022年春、ある日突然「なんか社会復帰できる気がする」とアルバイトに申し込む。
始めたては少し欠勤もしたから、躁鬱の混合状態だったのかもしれない。
最初は週3夜だけ、みたいなシフトから徐々に増やしていって
年末にはほぼフルタイムで入れるようになった。
そして2023年春、社員登用と共に別店舗へ異動。
体調が回復して睡眠薬以外の薬を止めたこと(担当医との相談の上)と、
元の店舗よりもハードな店舗に異動になったのが
今思えばよろしくなかったのかな、と思う。
例の同居人とは色んな理由でごたつき、
早く家を出ていこうと息巻いているところに
他の男と住んでる精神疾患持ちの女を彼女にしたいという
奇特な男性とお付き合いすることになり、
また特殊なスピード感で同棲を開始。
自宅での生活はかなりストレスフリーとなった。
仕事もプライベートも充実!なんて幸せだったのも束の間、
冬頃から抑うつらしい症状が出はじめる。
「やばいかもしれない」と思い、上司に相談した
その2日後には体が動かず欠勤をした。
そこからこの約1年間は抑うつの波が寄せては返しの繰り返し。
1ヶ月間の休職も2度挟んだ。
傷病手当の診断欄には「躁うつ病・不眠症」と書かれた。
そうかもしれないとは思っていたけれど、目の当たりにするとショックだった。
その後、可能な限り出勤時間や日数も調整した。
それでも皆が当たり前にできている
「出勤日は毎日仕事に行く」ができなかった。
とにかく悔しくて仕方なかった。
仕事が好きだ。頑張りたい。迷惑をかけたくない。
ローンだって、生活だって、先のことだって、
お金を稼がないとどうしようもないこともある。
このまま何年もこうなのかもしれないという不安と
来週には何ともなくなってるかもしれないという期待が入り交じり
上手く自分にブレーキをかけることも、かといって回復することもできなかった。
だがしかし、そんな生活の中で幸せなことも確かに存在した。
時には泣きじゃくりながら別れてくれ、と言い
体を担がないとろくにトイレにも行けないような日もあり、
死にたい、どうしたら死ねるんだろうと呟くようなわたしに
ダイヤのついた婚約指輪を彼は差し出した。
こんなわたしの隣に、生涯いてくれると。
俺がいるから貴方は大丈夫、と。
いつか絶対にわたしを手放したくなるよ、というわたしと
何があっても貴方の隣にいるよ、という彼の
一生をかけて証明する戦いになってしまった。
あぁ、簡単に死ねなくなってしまったよ。
……と、浮かれたのが数ヶ月前、
入籍して1ヶ月で体調を理由にわたしは事実上のクビとなるのである。
不甲斐なさや自分への失望で落ちに落ちたことは言うまでもない。
いい感じに誤魔化すのならば専業主婦というやつだ。
いやまぁほとんど寝たきりでたまに家事をする療養者でしかないのだけれど。
たくさん寝て、たまに家事をして、ねこあつめをして、ポケポケをして、また寝る。
今はそんな毎日。
それでいい。
◇
科学的根拠があるのかはわからないけれど、
Xのポストでうつ状態は身体→心→脳
の順番で回復していくもので、
多くの人が脳が回復しきる前に復職をして
結局すぐに脳疲労がピークに達してダウンする、という意見を読んだ。
あぁ、だから大きめのうつの波が来ると
何週間も寝込むところから始まり、
体を起こせるようになって次にできることは
頭をあまり使わない家事やソシャゲで
バイトを始める前くらいはアニメ一気見とかができたんだなぁと
なんか腑に落ちました。というメモ。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます! コメントもいつでもお待ちしております。