置かれた場所で咲きなさい:読書メモ
渡辺和子(2012)『置かれた場所で咲きなさい』
会社の研修期間中に人事から勧められた本書。
タイトルからは「つまりはどこに配属になってもそこで頑張れという内容か?」と想像しました。
が、実際にはそれだけに限定されず、人生の幅広い様々な場面での心の持ちよう、振る舞いようについて著者の母やキリスト教の教えをベースに語られる内容でした。
本書は各論的に一つ一つの内容が語られていく形式であるため、その中でも特に自分に刺さったものを感想を交えつつ挙げていこうと思います。
「一生懸命はよいことだが、休息も必要」「心にゆとりがないと自分も他人もいたわれない。」
日本人全般に浸透しているであろう「勤勉に努めることが美徳であり、そのために身をすり減らすことは厭わない」の精神。私も例に漏れず、心のどこかに「まだ余裕あるよね?その分頑張らないとだよね?」と囁く存在を飼っています。この存在にお尻を叩かれることで奮起する場合もありますが、精神を病みかけることもしばしば。精神が不調気味になるようなときに、自分に優しくできなくなることに加えて、他人にも優しくできなくなってしまうと著者は言います。
ところで、私の好きな考え方に「人生は優しくなるためにある。昨日の自分よりも今日の自分が少しだけ優しい人間であるように生きたい」というものがあります(『青春ブタ野郎』シリーズという小説の中である人物が語る考え方より)。そんな信条を抱いている私は、上記の著者の言葉を読んで「そうか、他人に優しくするためにはまず自分に余裕がないといけないのだな。」と気づかされました。日々に忙殺される中で自然と余裕がなくなりがちな私ですが、他人のための観点からゆとりを持とうと思います。
「倒れても立ち上がり、歩き続けることが大切。」
何を当たり前のことを、と思うかもしれませんが、実際これができるかできないかは自己実現を成せるか否か、ひいては自己肯定感の高低にも影響を及ぼすのではないでしょうか。継続は力なりという言葉にも表されているように、続けるということは何かを成すために大きな効果を持っていると思います。しかし、厳密な意味での継続は難しい。停滞期であったり、先が見えない不安であったり、単純な疲れであったり、継続を休憩したくなる要因はたくさんあります。その点において、上記の著者の言葉から「休憩してもよい。それでもまた再び戻ることが重要。」ということを感じました。感覚でいうと、従来の継続が現在進行形のもので、著者の継続は現在完了の継続用法と言えるでしょうか。
再び自分事になりますが、好きな考え方に「変化は揺らぎの中でしか生まれない。変わりたいなら揺らげ。」というものがあります(『アオハライド』という漫画のある人物の言葉より)。私はこの考え方から、自己実現のためにはまずダメ元で動いてみる、試してみることを大切にしています。ダメ元なのですぐに嫌になったり、早々に別のことに手を出したりもしますが、今回本書を読んで、それでも自己実現に向けて再び動き出せば良いのだと、自分の考えを肯定されたような気分になりました。
「希望には叶わないものもあるが、大切なのは希望を持ち続けること。」
これを読んだときに、シーナ・アイエンガー氏の『選択の科学』内で紹介されていたラットの実験を思い出しました。ラットをガラス瓶に閉じ込め水を満たしていき、泳がないと死んでしまうという状況を作るなんとも残酷な実験ですが、この実験ではラットが泳ぎ続ける時間に個体差がありました。事前段階として瓶に閉じ込め水を満たした後に瓶から取り出してケージに戻すという操作が行われた個体は、脱出可能性のない瓶の中でも最後まで泳ぎ続けたといいます。小さな成功体験が希望として行動に影響していく。実験の例では脱出は叶いませんでしたが、実世界においてはその継続力が意味を持つことが往々にしてあると思います。著者の話では成功体験にかかわらず希望を持つことが示されており、一層難しいことに感じられますが、その合間合間に自ら小さな成功体験をつくりながらであれば希望を持ち続けることもできそうな気がしています。
いざピックアップをしてみると、現時点では私は自己実現のために邁進したいポジティブな気持ちと焦りのようなネガティブな気持ちの板挟みにあるようです。
また時を経てから本書を開いた際には、違った言葉が胸に刺さるのかもしれないですね!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?