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「A」森達也

1995年地下鉄サリン事件後のオウム真理教に密着したドキュメンタリー映画。広報副部長の荒木浩さんがメインのキャストです。普段映画の感想はFilmarksに載せているんですけど、どうしてもうずうずしてしまったのでここに書き殴ります。前回の投稿「感性は感動しない」にのっとり、できるだけ「かたまり」のままの考えを書きたい。
世の中にはいろいろなもののとらえ方をする人がいるので、前置きとして、これは個人の感想であって、サリン事件を正当化したりオウム真理教に加担したりする意図はないことを書いておく。

好印象の信者たち

まず、この映画を見て最初からずっと、オウム真理教の信者の人たちに「好感」を抱いている自分に気づく。特に荒木さんは終始はにかみを見せ、どんなに嫌なことを言われても疲れた顔をしても決して悪態をついたり人に当たったりしない。彼の人格の良さにひかれてしまうし、彼の発言の8割くらいには共感した。
それはこのドキュメンタリー調の作品として、物事を善悪の二項対立でしかとらえられない付近の近隣住民やインチキ警察、マスコミが対立的に見せられているのもあるかもしれない。でもわかんない、これ一応中立のつもりで作ってるドキュメンタリーだし。
彼の発言「私がうちにかえったらおさまる問題ですか?」
これは本当にハッとさせられる。
家族が引っ張られる(自分を引っ張る)存在だというのもわかる。家族って、もしかするといろんなものの抑止力になっているのかもね。

麻原と信者の関係性

映画を見て一番感じたのは、麻原彰晃と、オウム真理教信者の間には大きな乖離があるのではないか、ということ。オウム真理教という団体は、信者の内省と知性によって支えられているような気がした。そして、彼らにとって「オウム」という場所は、あくまで場所に過ぎなくて、別に「パルム」でも「ピノ」でも何でもよかったんじゃないかと思う。

信者たちは、麻原彰晃にマインドコントロールされたわけではなく、麻原彰晃という殻を使って、自分で自分をマインドコントロールしていたように見えました。
麻原の娘が出てきて会見してた時にそれは私の中で確信に変わってしまいました。彼女の支離滅裂で非論理的な言葉たちと、荒木の論理性と他人や自分に対する真摯さは全く交わっていない。彼の苦笑いを見た?

場所の選び方

映画の中でも荒木さんやほかの信者が言っていたけど、彼らはオウムがよかったわけではなくて、現世から逃れたかったと。そこにたまたま麻原がいただけだと。今はほかに場所がないからオウムにいるけど、別になんだっていいんだと。
芥川の自殺について、彼は賢かったからとか、いろんなものが見えすぎたから、とかいろんな人がいろんなことを言う。実際はどうかわかんないけど、人って案外、「世界平和」みたいな大義のために死ぬわけじゃなくて、「昨日友達と喧嘩した」とか、「恋人に振られた」とか、そういう個人的な事柄で死ぬんじゃないかと私は思っており、オウムの信者もきっとそうじゃないかなと。彼らがはっきり答えられないのはそういうことじゃないかと思いました。矛盾が、とか、カルマが、とかいうんだけど、それは後付けで、きっとそこに個人的な事件がある。そして社会はきっと物事をよく考える人のほうが生きづらい。荒木さんみたいに。

変容する物語

前に遠藤周作の「沈黙」を読んだとき、主人公ロドリゴの心の中で神の姿は、存在は、どんどん変わっていったように感じた。それを思い出した。自分の中の真理は自分に必要な物語に合わせてどんどん変わっていく。たまたまそこにキリスト教とか、自民党とか、TikTokとかって場所があるだけ。
オウムは事件を起こして人が亡くなったので、もちろんそれを擁護はできないけど、オウムという組織や、その組織に集まってきた人たちの抱える思いはそれとは別で考えてみたいと思った。
オウム真理教についてのアカデミックなところは全然追えていないので、今どんな議論になっているかわからず申し訳ないが、映画の感想なので堪忍。

死人に口なし

地下鉄サリン事件で亡くなった人はもう話せないから。
そこでメガホンもって事の重大さを説いているのは被害者じゃないから。
ホロコーストの経験者ヴィクトール・フランクルの「夜と霧」。大学生の時に読んで、彼は生存者だ、生存者の発言は犠牲者の発言じゃない、と感じてしまった。死人に口がないのに、私たちはどうやって悪を裁くのか。

村上春樹の「アンダーグラウンド」を今年の5月に読んで、被害者側の気持ちや、一般の人たちの意見は何となく感じ取ったつもりでこの映画は見ましたが、いろいろな側を見ることは、自分の思考の中で「側」をなくすために大事だ。

予告通り、本当に全く支離滅裂な感想ですみませんでした。
さらに申し訳ないことに、この映画、2もあるんですよね。


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