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「論語物語」下村湖人

孔子の教えを弟子たちが綴ったのが論語ですが、それをさらにかみ砕いて、一部抜粋したものが本書です。
それぞれの物語から孔子の伝えたかったことを読み取り、今の自分にあてはめてみながら読むと一見難しそうな論語が少し身近になります。
特に印象に残った3つについて書きます。

意識しているうちはまだまだ

貧富で人を差別するなんて絶対にやってはいけない、僕は裕福だが貧しい彼らに対し驕る気持ちを持たないように気を付けよう。と、思っているうちは真に貧富の差を超越したとは言えない。

前に映画『ムーンライト』を見たときかな?確か黒人でゲイの男の子が主人公の映画ったけど、それを見たとき、
人種差別や性差別を意識した映画が作られて、それを見て、あゝこんなにつらい思いをさせてしまっている社会があるんだなと、思ううちはまだまだで、どんどんそんな差をみんなが忘れて、差別の映画なんて作られなくなるようになって初めて私たちは差別を超越できるんだなあと思った。
それを孔子がもっと前に言ってました。

やってから文句言え

これはそのままなんですけど、
本当にできないかどうかは努力したうえで判断する。試してみてもないのにできないと自分の力を否定することは生命そのものの否定だ。
と孔子は言ってました。

つまり人間の能力に元来そんなに差はなくて、実行したかどうかが差なのだということでしょうか。
確かに環境とか努力の程度とかそういうものは大きいけど、確実に才能も有りますよね、あえてこれを否定したのは、凡人だからこそ孔子の教えを求める弟子たちに希望を与えるためなのかな?

濁った世の中で苦しめ

隠士(俗世との関係を断って隠れて暮らす人)に対しての孔子の言葉で、
濁った世の中であればこそ、その中で苦しんでみたいと思う。濁った世の中だと逃げるのは卑怯者か利己主義者だ。というのがありました。

これは割と古風な考え方なのかもしれないけど(孔子に対して古風?笑)
何かに対して諦めてもう向き合わないというのは逃げであって、それを正当化して文句言ってるだけの人は確かにかっこよくはないですね。
最近はいかに無理しないで「ありのままの自分」で、自分基準で生きていくか、みたいな思想が流行ってますけど、(これは例のディズニー映画の功罪ですか?)かなり疑問があって、ありのままを認めてもらうことは大事ですけど、努力してありのままレベルを上げていくことは必要ですよね。自分のできないことややっていないことを「ありのまま」という言葉に押し付けて甘えるのはどうかしら、と思っていたんですが、孔子も多分同じ意見かもしれない、と勝手に解釈しました。
こんなのなんぼでも自分本位に解釈できますからね。

この一冊だけでは論語の本当に部分的なエッセンスしか得られていないと思うので、ほかにもいろいろ読んでみようと思います。
論語への入り口としてはおすすめです。

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