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怠惰な小学生、そして失敗

今でこそ高校留学は普通になってきている感じが20代後半の私としてはするのですが、10年前(2009~2010年)はまだ一部の高校生がするイメージでした。特に約1年かけての留学はね。

私が高校留学を決意したのは、紛れもなく自分がしたいと思ったからですが、人と少しだけ違った学生生活を送りたいと思ったのは小学6年生ごろにさかのぼります。


はい、まず私が行っていた小学校は、中学受験をする前提で受験勉強がスタンダードになっている学校でした。

算数の授業は習熟度別に分けられ、毎日レベルで小テストもあった。受験でいかに良い偏差値の中学校に入れるかよーいドンのレースが毎日繰り広げられてました。

みんな勉強しているように見えてましたが私は全く勉強したくなく、周りに踊らされて塾に通ってみたものの、復習も予習もしませんでした。(おい)

6年生になるまでは、勉強をちょいちょいってしたら、下から数えて数番目…とかにはならず、特に危機感もなかったのでそれに甘えて受験勉強をサボり、なんとかなるさ精神で受験勉強もやってませんでした。

行きたい学校はもちろんあったし、素敵な中学校に入りたかった。

けど今だから思うけど、競争ってものが苦手というか、おんなじ土俵で点数をつけられることが苦手だったんだと思う。

そういう環境が怖いというより、やる気が冷めていた。どうせ自分にはできないと思っていた。そして当時は別に普通にしてたらまずい状況にはならないと思ったから、気を抜いていた。

いつの間にか、何人かのクラスメイトはめきめきと私の順位を抜いていった。

だけど行きたい中学校は違うし、私は私のやり方で受験勉強すればいいよねと思い、そのまま自分の志望校を受験しに行った。

結果、志望校だった4校落ちた。

滑り止めの中学に進学することになった。

私も含め、親も、周りも、私の中学受験は勿論失敗したことになっている。

3校目が落ちた結果を知った日。父と母と私。カフェで話していた。

父は私が結果を出さないことに落胆していた。母は私を励ました。というか慰めた。

私は何も言えなかった。12歳で、生まれて初めてこれが自業自得ってやつか。って冷静になった記憶だけある。

このお祭り騒ぎみたいな受験レースが終わったことに最終的に安堵した自分がいた。

小学校のクラスの派手なメンバーは、そこそこ頭が良くて私から見たら各々の志望校に受かっていたようだった。(第一希望なのか、第二希望なのかとかは定かではない)とにかく幸せそうだった。

受験レースが終わって、あとは卒業。みんなキラキラしていた。

なんか受験も終わって浮ついて、卒業の日まで、誰それがだれを好きとか、そんな話もよく飛び交った。

ちょっとエッチな話とかも派手メンツはよく話してた。うるせぇ。

そのキラキラしているみんなに、とにかくイラっとした。

中学受験で合格したのはそんなに偉いことかよ。

とは言え私の定義する「自業自得」で私は負けたんだ。キラキラしていない自分という選択を取ったのだ。

同じ土俵で勝負するのは苦手と言っておきながら、とんだジェラシー。…

まぁ当時はほんとにジェラシーしかなかったんです。

私の卒業式の写真は全然笑ってません。笑ってないほうがクールで悲劇のヒロインっぽいと思って、すでに中二病をこじらせてた。


私を拾ってくれた滑り止め校の入学前の説明会に参加しているとき、私はふと決心しました。

小学校のクラスメイトが得た道とは違う選択を取って、絶対私が最終的に輝くんだ。

輝くって何、って感じなんだけど当時は小学生ながら絶対良い大学に行こうって思ったんです。

当時はね。


滑り止めの学校で、勉強は絶対気を抜かない。

毎日コツコツし、テストは徹夜付けせず計画的に行うことを染み込ませていった。

そして出会った英語。

(続)








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