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たぶん、弟だと思うんだ。

わたしの元の家族構成は5人家族である。
父、母、姉が2人、そしてわたし。

しかし実はわたしの後に、もう1人いたかもしれないということを、成人してから初めて父に聞かされた。話の成り行きは忘れたけれど、母がいない場面で不意に知った過去だった。

母がわたしを産んだのは34歳のとき。
その何年後かに新たな生命を身籠ったが、もう出産に耐えられる母体ではないと医師から告げられ、堕胎したらしい。


父は男の子が欲しかった。
自分と同じ性別、跡取り、いろんな想いが混ざっていたのかもしれない。
初めて立ち会えたお産がわたしが誕生する時で、その大きな産声に男の子だと思ったらしい。
その当時、出生前に性別を知ることはできなかったのか分からないけれど、おそらく期待していたんだと思う。

だから父と母は4人目を最後の望みとしていたんじゃないかなって、勝手な推測。

父からしかこの話は聞いたことがないし、改めて母に聞けるようなことじゃあない。
だって、どんな想いだったかなんて計り知れないし、きっと心にいつまでも残ってる。
自分の命を優先してしまったこと、産んであげられなかったことの罪悪感、悲壮感。
ころしてしまった、て思ったかもしれないんだ。


ほとんどの家のお墓にはあるだろうか、水子地蔵。
わたしの実家のお墓にもあるその地蔵様が、一体何を意味するのか、母の過去を知ってやっと分かった。(流産を経験したご先祖様が由来かもしれないが)
それに手を合わせる、親の気持ちも。

わたしには親にも姉にも言えない話があって、この話を聞いて4、5年経ってから見た夢の話だ。


その内容は、わたしには2つ下の弟がいるという設定で、「弟」は実家の2階の窓から、外にいる父と母を見ている。
「ほら、見てよ姉ちゃん」
と、わたしに向かって「弟」は話しかけてきた。
窓からの風にさらさらと髪を靡かせて、逆光でよく見えないが、とても賢そうな顔をしていた。
「どれどれ?」
「ほらあそこ、お父さんがさ…」
「弟」が指差す方向を見る。2人で、笑い合った。


会話はよく覚えていない。
もう一度だけ、夢に出てきたことがあるけれど、内容はさっぱり。
この夢がとても印象的だった。


わたしは「お兄ちゃん」という存在に憧れていた。(但し「頼りになる」というのが必須である)
妹や弟が欲しいとは1ミリも思ったことがなかった。

だから、母の過去を聞いたときも、衝撃的な話だったけれど、自分の後にもう1人いたかもしれないということが実際起きていたら、立場が脅かされる感覚もした。
正直わたしは甘やかされて育った。周りからちやほやされた身だったから、「末っ子で良かったのかも」って残酷なことを思った。
そもそも「姉」という立場を得ていたら、今のわたしではない人格が形成されていた可能性がある。


でもわたしはあの夢を見て確信したんだ。
お母さんのお腹にいたのは「弟」だったって。
勝手な解釈だけれど。
そして守りたい気持ちになった。

妹も弟も欲しい願望なんてなかったのに、何故あんな夢を見たのか今でも不思議だ。

どんな姉になっていたかな。
やっぱり頑固者で頼りないのは変わらないのかな。
今よりずっとしっかり者で現実を見ることができていたかな。

わたしたちは4きょうだいでも楽しかったと思う。
だって3姉妹で楽しかったんだもの。

勝手に「弟」として想い巡らせているけれど、母に対して安堵していることがあることも伝えたい。
それは、無邪気に「妹か弟が欲しい〜」なんて言う「わたし」じゃなくて良かったってこと。
今まで何気ない一言で傷付けてしまったことが多々あるかもしれないけれど、これだけは言った覚えがないから。子どもの素直な刃で傷付けなくて、本当に良かった。

そして母が生きる道を選んでくれて良かった。
命をかける方向を、わたしたち姉妹に向けてくれて。
このことに対して、犠牲が出たことは決して忘れない。


わたしはお墓参りに行くと、必ずあなたにも想いを馳せる。
無意味に水子地蔵の前で手を合わせていた頃とは、もう違うんだ。


また、夢に出てきてくれない?
いつでも、待ってる。






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