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死者を思う

もういない人のことを考えるのは、ゼロの証明に似てるな、って思って、これは書き残しておこうと思って、今書いています。
でも、なんでそう思ったのかよくわからなくて。
死者は、もう、お棺に入る直前の姿から、一歳たりとも歳をとることはない。あと、わりと、君と私は疎遠でした。年に何回か会うかな会わないかなぐらい。だから、「さいきん会ってないな。元気かな」みたいな感じで、だましだまし、まるで君が今も生きているかのように、なにごともなかったかのように生きていくことができるような気もしたり。
でもそれは詭弁で、君はもうあの姿から一歳たりとも老けることはなく、「風が吹き抜けて君は永遠になって」、もうこの世には、どこにもいなくて。
悲しい。寂しいよ。
なんで?死んでしまったんだよ。だめだよ。
誰よりも頑丈そうな体をして、とてもすこやかそうに見えた君がまっさきに死んでしまうんもんだな。いやな世の中だな。
だましだまし、私は生きている。君がまだ生きていて、「そういやさいきん会ってないけど元気かな?」なんて錯覚してるふりして、自分をあざむいて、私は生きている。
ときどき、写真に手を合わせてお香に火をつける。もっとときどき、君の好物のコーヒー牛乳をそなえる。
嘘みたい。嘘みたい、悪趣味な冗談みたい。
「風が吹き抜けて君は永遠になった」。
永遠とはなんだろう?死ぬってことは永遠になるってことなんだろうか?よくわからない。私にはぴんとこない。なにがゼロの証明だったのかももうよくわからない。
君は今どうしていますか?
天国にいるのかな。生まれ変わっているのかな。
(私のまわりに聞きまわると、天国に行く派と、生まれ変わる派、二派にわかれた。私はどっちだかよくわからないでいる)
もう大丈夫だよと私は君に言いたい。
みんな元気だ。めちゃくちゃ寂しい、君がいなくてみんなめちゃくちゃ寂しくて悲しくて辛いけど、みんな元気だよ。何も心配することはないんだ。
それは本当に辛いことだ。君がいないのになんでなにが大丈夫だと言うんだ。それなら君がいてもいなくても同じみたいだもんな。
ときどき、君の夢をみます。夢の中で君はみんなと生きていて、私は「ああよかった、生きてるじゃない」と思い、次にふわりと違和感を感じ、目が覚めたら絶望するほど悲しくなる。
わかったか?君はこんなにも大事な人間なんだってことを。わかってくれ。
私は本当に寂しい。悲しい。心の底から惜しい。
君よどうぞ安らかであれ。残された人たちも、どうかどうか幸せでありますよう。

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