「理解のあるご主人で良かったわね」
久しぶりに大人数で踊りの稽古をつけてもらったある日のこと。
初めて会った生徒さんに言われた一言に、一瞬心身がフリーズした。
「日曜日の昼間に、小学生のお子さんを置いて練習できるなんて、理解のあるご主人で良かったわね」
はっきりと、不快感を覚えた。
私は、自分の生活は自分で賄っているし、子どもも養ってるし、レッスン費ももちろん自分で負担している。
他所のお母さんより手間暇かけてはいないけれど、食事も作ってるし宿題もみてる。
子どもの習い事の準備をして、家事を終えて、食事の準備をして、それでようやく習いに来るのに。それもたった月に一度の機会なのに。
何で夫の理解云々を言われなきゃならんのかと思った。
夫が月に一度飲みに行くと言ったとして、「理解のある奥さんだね」なんて言われることはまずないだろう。日本の女性は、いつまでこんな理不尽なことを言われ続けるんだ。女性活躍、多様な社会が聞いて呆れる。
ニコニコしながら「そうですね〜、ありがたいです〜」と言ってその場を離れたが相当モヤモヤしていた。(イラつきながらステップ踏んだら靴底が吹っ飛んだ)
3時間半踊り倒したフラっフラの帰り道、駅までの道のりを歩きながらふと冷静になって考えた。
この言葉を言い放ったのは80過ぎのおばあちゃま。彼女の世代なら当たり前の感覚だったのかもしれない。
私は幸いにも自分と子どもを養えるだけのお給料をいただき、継続的に働く場所を与えられている。これは当たり前じゃない、感謝して然るべきだ。
ちょっと前まで親のことで土日も朝も夜もなく手続きに追われていた。精神的にも相当参っていた。習い事なんかできるのは、健康で余裕があるからだ。
ついでに、私が出かけている間、夫が子どもと一緒にいてくれているのは事実だ。
そっか、私は恵まれているんだ。
たまには夫に感謝しよう。
恵まれた環境にも感謝しよう。
踊りを踊れる健康な体にも感謝しよう。
それらに気づかせてくれた彼女にも感謝しよう。
…それでもやっぱりモヤるのは、必死になって自己弁護している自分が気持ち悪いからなのかもしれない。
後ろめたさを感じる必要なんかないはずなのに、自分が一番自分を責めているから引っかかるのだ。
改めて、パラダイムは根が深い。
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