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繊細さとは「才能」である。ビートたけしも草野マサムネも・・・

生きていると、ときには心が傷つくことがある。

嬉しいこと楽しいことばかりとはいかず、傷ついて、悲しかったり苦しかったりもセットでついてくるのが人生だ。


ただ、傷ついて受けるダメージの大きさは、人によってかなり違う。

同じようなできごとに遭遇しても、心により深い傷を負う人がいて、そんな彼ら/彼女らは一般に「繊細な人」と呼ばれている。


繊細な人は、他人よりも大きめの傷を負いながら人生を歩んでいかなければならないから大変だ。

そんなハードモードな人生を呪ったりしたことは1度や2度ではないかもしれない。


それに、世間では繊細なあまりに傷つきやすく落ち込みやすいことに対して、“弱さ”というレッテルを貼り、見下す向きもある。

傷つきやすさは自分で選んだ性質でもないのに、そんなふうに侮蔑的に扱われたら、いっそう傷ついてしまう。


繊細ゆえに、観て、感じ取れるものがある

でも、はたして繊細さとは、その人が人生を歩むうえでの障害であり、弱さとして片付けられてしまうような特徴なんだろうか。

繊細さというものについてよく考えてみると、繊細さとは感じやすさであり、感じやすさとは、この世界からより多くのものを観て取る感覚を持っているということだ。

みんなよりも解像度の高いレンズでこの世界やまわりの人間を観ることができる素質を持っている人だと言える。


事実、歴史に名を残すアーティストにも繊細な心を持っていたとされる人は多い。

現代でもミュージシャンをはじめ、その人の持つ感性がクオリティを左右する仕事に携わっている人には、やはり繊細な人が少なくない。そして、傷つきやすい。

たとえば、人気バンド・スピッツのボーカル・草野マサムネさんは、2011年の東日本大震災で直接の被災者ではなかったものの、連日の地震関連報道を受けて急性ストレス障害で倒れたという。

自らが直接被害を受けたわけでなくても、まるでそういう立場にあるかのように感じる感性。

しかし、そんな感性を持っているからこそ、他の人が感じ取れないことを感じ取り、「どうしたらそんな詞や曲が思いつくのか」と感嘆するような作品を生み出すことができるんだろう。


毒のある芸風から繊細さとは無縁に思われがちなお笑い芸人・ビートたけしさんもまた、繊細で傷つきやすい人だ。

2019年大晦日の紅白歌合戦では、自身の下積み時代に基づいた「浅草キッド」を歌い上げ、その味のある声と歌詞・曲調が涙を誘うと話題になった。

自身は芸人として頂点を極めた一方で、そこに至るまでには、同じようにお笑い界での成功を夢見た仲間たちが次々と夢やぶれていった。

「浅草キッド」の「夢は捨てたと言わないで」という歌詞からは、そんな仲間たちにビートたけしさんが持つ「自分だけが売れてしまった」という罪悪感がにじみ出ているように思う。

この心情は、繊細な感性の持ち主でなければ持ち得ないものだ。

繊細な感性を持つがゆえに、お笑いでも映画でも常人ではなしえないような作品を創り上げ、繊細な感性を持つがゆえに、一緒に夢を見た仲間たちのなかで自分だけが売れてしまった葛藤をいまなお背負い続けている。

そんなビートたけしさんもまた、繊細さゆえの才能と傷つきやすさが同居した人だといえるだろう。


繊細で傷つきやすいゆえに、自信が持てる

今回、例に挙げたのは2人に過ぎないけれど、繊細な人は傷つきやすさを持つ一方で、世界や人間を見つめる優れた目を持っていることが少なくないのは事実だ。

だからこそ、いま傷ついてばかりで生きづらさを抱えている人にはおぼえておいてほしい。

自身のその繊細さの影には、角度を変えて光を当ててみると「才能」が埋もれているかもしれないんだ。

出まかせを言っていると思うなら、次の言葉を読んでみてほしい。

中田さんも同じタイプだと思うけど、おれが芸事に自信があるのは、自分が人一倍傷つきやすいし、人一倍神経が繊細だからなんだよ。

傷つきやすいというのは、漫才だと相手のことがよくわかるっていうことなんだね。

サッカーなら、試合の形勢が全部読めるってことかもしれない。


誰の言葉か、すぐにピンときた方もいるだろう。

これはビートたけしさんがサッカー選手(当時)の中田英寿さんとの対談で語ったときのものだ。



傷つきやすい心を持っている人は多いだろう。

その傷つきやすさに苦しんでいる人もまた多いだろう。

でも、その傷つきやすさゆえに、観えるもの、わかるものがあるんだ。

あえて私がそう言わなくても、少なくとも世界のキタノはそう言っている。

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