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これまでのわたくし と これからのわたくし

みなさま、いかがお過ごしでしょうか。

「やみぃーノけんChan」と申します。「けん」でも「やみー」でもOKです。わたくし、書道を続けているのですが、書道においては、青龍(セイリュウ)という名前(雅号)になっております。自分で名付けることができた名前ではないです(玄武の方がよかったかもしれない)。

自分が現在所属しているところで12月に書道の試験を受けます(必要となる課題を提出するだけです)。ブランクはありながらも、昇格試験としては最後の段階まできたから、ここまできたら最後まで行きたいところ…。ただ、合格してもそれが国家資格のようなものになるわけではないので、それでどうこうなるわけではないのですが。書道の実力としてはまだまだです。

さて、今年も残すところ1か月となりました。「2020年、素晴らしい年にする、素晴らしい年になる」と今年の1月に意気込んでいたのですが、世界的にまさかの出来事が起きましたし、日本では緊急事態宣言が出ましたし、それによって業務は複雑化していきましたし…。本当に色々でした。

思い返してみると、自分の人生のピークはもしかしたら中学生3年生あたりまでだったのかもしれません。高校生の時は全く冴えない毎日を積み重ねて落ちていき、鏡に映る自分に向かって暴言を吐くことが増え、音楽に救われる日々を送りました。(鏡に映る自分へ対する自分の暴言を早朝に聞いていた親は相当嫌な気持ちになっていたと思うので申し訳なく感じています。)

高校生活に期待し過ぎていたのかもしれないです。英語を専門的に学んでいきたい気持ちがあったので、大学進学を目指しておりましたが、大学受験は大失敗に終わり、さらに精神的に落ちていきました。体調的にもよろしくなかったのかもしれません。

「何か変えなければいけない、変わらなければいけない」、そんな思いが潜在的にあったのか否か…。その当時、以前から興味があったけど踏み出せずにいたものがありました。わたくしは思い切ってストリートダンスサークルへ入りました。

怖かった…。不良がやっているイメージが強かった…。正直言ってダンスをするような見た目でもキャラでもないから初めて会う方には驚かれます。辞めたいと思うこと、イベントに出る側より観る側の方がいいと思うことは多々ありました。でも、自分でやりたいと思って入ったし、ダンスを始めたこと、大学を卒業するまで続けられたこと、これが、自分が少し変わることのできたきっかけになったように感じています。

残念ながらダンスは上手になりませんでしたし、後輩にも抜かされていきました(好きこそものの上手なれ とは…)。ただ、先輩・同輩・後輩に恵まれました。サークルを引退するときにいただいた後輩からの言葉は今でも胸に響いています。イベントの準備・主催する側に携われたことも大きく、サークルでの経験は非常に濃いものだったと思えています。

学業においては、受験に失敗しているので、「とくかく資格を取らなければ」という気持ちだったものの、ダンスに夢中になった影響か、何とか取得できた資格は1つで終わりました。(夢中になったといっていますけど、残念ながらダンスは上手になりませんでした。(2回目))

・・・ここまで書いてみましたが、長くないですかね。。もうちょっと端的にまとめられないものか。。


続けます(笑)

就職活動はうまくいきませんでした。就職活動は経験としてやっておく必要があるという思いだったとはいえ、大学を卒業する間際まで、卒業後のことが決まっていなかったので、心の中で焦りが蔓延っていたと思います。

結果、大学在学時に何とか取得できた資格によって次へと繋がりました。当時は「3年で3割辞める」とまだまだ言われる頃だったから、「3年間は続けよう」という想いを抱いていました。しかしながら、一方で「このままでは視野が狭くなるのではないか」と卒業後1年目に思うようにもなりました。

1年ごとに部署異動がありましたが、3年間続けました。恵まれた環境だったと思えています(特に2年目)。自分に向いている仕事だったのかもしれません。しかし、「視野・見聞が狭くなる」という気持ちと英語に対するコンプレックス、海外の人と働きたい、資格取得したいなどの想いが強くなり、海外へ赴く決断をしました。お金をあまり浪費しないタイプであることが功を奏した一面も多少はあります。

ワーキングホリデー制度を使いました。親族からの反対もなく、感謝しています。不思議なことに当時の職場には後押ししてくれた方もおられました。海外での経験等については、また別の機会に述べることができたらと考えています。完全なる自己投資。実際のところ、海外生活は思うようにいきませんでしたけれど、海外へ赴いたことへの後悔はないです。

問題となったのは帰国後。漠然としていたものの、帰国後は、登録中の派遣を無理ない範囲で続けながら自分が目指すものを展開するつもりでいました。しかし、帰国直後に、面識のあった立場が上の人(肩書的には権力のある方)から誘われて返事を急がされて、妙な圧力と声をかけられるうちが花という思いとで、誘われた場所で働くことになりました。それが今所属している組織です。

これがどうしたものか・・・。蓋をあけてみたら、単純に猫の手も借りたい状況だっただけでした。どういった状況だったかはあまり言わない方がよいのかもわかりません。聞かされていた話とは違いましたし、何より、聞かされていなかったことで重大なことがそこにはありました。恐らくこの組織の文化的に内部研修や引継ぎの概念がないんだろうなと…。

1~2年目は本当に大変でした。想像していたところとは全く違いました。「こういうことするために海外に行ったんじゃない」と時にヒステリックになることもありました。その想いは今も拭うことはできていない気がします。「よし、これから」と英語を日常で使いながら英語力を向上させていくはずだったのに、培ったはずのもの、活かしたかったはずのものは残念ながら退化。小説「ちょっと今から仕事やめてくる」(著者:北川恵海)を読んで泣きに泣きました。

ただ、来たからにはやる必要がある。特に現場の物理的環境がよろしくないと感じていたので、現場の定時職員の方々の理解を得ながら(最初はしんどかった)、その職員さんたちが働きやすい環境にすることを目指しました。今もそれは変わっていません。

幸いにして現場の定時職員の方々に恵まれた気がしています。何とか続いています。ただそんな中で以前と同じ感覚が走ります。「このままでは視野が狭くなるのではないか」と。そして、その感覚を打破する意味も込めて、キングコング西野亮廣さんのオンラインサロン「西野亮廣エンタメ研究所」へ入りました。

最初はInstagram版でしたが、Facebookの方へ移行しました。「西野亮廣エンタメ研究所」に入ったことで、サロン記事から刺激を受けるようになりました。そして今年2020年、「チロ公」というコミュニティ、Twitterのオンラインサロンアカウント村に出会いました。

これまでのわたくし・・・今思えば、上記に挙げた失敗や問題は、自分の努力不足が招いているケースが多い印象です。返事を急かされたとはいえ、事前に業界研究等はできたかもしれないし、見抜けなかったわけですし。まぁ調べても予想できないであろうこともありましたが。やりたいこととは全く関係ないのだけれど、傍から見れば運がいいとも捉えられるでしょう。ただ、間違いなく言えることは、自分のこれまでの人生は人に恵まれているということ。

よくも悪くも人生には波があり、時代からの影響を受けます。今年2020年は、新しいことを始めたかったのにそれができなかった新大学生、就職活動が難航する状況、海外へ学びにいきたくても行けなかった人、「思うてたんと違う」といったケースが非常に多かったと思います。

WEBの必要性・重要性が今年大きくなった気がします。「チロ公」というコミュニティ、Twitterのオンラインサロンアカウント村に出会えた今年は素敵な年になったと、個人的には捉えることもでいます。その時、その時代をどう捉えて、歩むか。

これからのわたくし・・・今は自分を立て直している最中だと思っています。これから先、何が起こるか分かりませんし、どんな人に出会うかも分かりません。社会・時代が流れるスピードは昔に比べて速くなっています。うまくいくとは限らないけれど、その社会・時代に適応していきながら、自分の経験してきたことを活かしつつ、燻って挑戦できていないことを、少しずつにはなりますが、展開していきたいと考えています。

繁忙期は何も手につかないのが目に見えています。ストックをしっかりもっておきたいところ…。12月から助走をつけたいところ…。まずは今年12月に、青龍として書道の試験を受けます。そのあとは、大学在学時に何とか1つ取得できた資格の更新講習・試験を受ける予定です。

寒暖の差が激しい日もありますので、体調管理はしっかりしていきましょう!長文になりましたが、最後までお読みいただきまして有り難うございました。

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