見出し画像

エネルギー安全保障の修羅場

自然資源の乏しい日本列島。その揺るがぬ事実ゆえに、「エネルギー資源の安定的な確保」が日本の外交やエネルギー政策の中心柱になっている。そう、世界を見渡してみると、これほどエネルギー安全保障に対し懸念する国は日本ぐらいで、日本学者のケント・カルダーはこの現象を日本の “energy angst” と呼んでいる。訳してみるとエネルギー供給に関する「心労・鬼胎」に一致するだろう。

歴史を通してエネルギー輸入に落ち度がなければ、そしてもし常に安価なエネルギー資源にアクセスできていたなら、エネルギー心労なんていう症状はなかっただろう。地理的な限界に加え、エネルギー供給の逼迫というトラウマを幾度も経験していることが現代日本のエネルギー心労を生み出している。今回は近代史・現代史におけるエネルギー危機(エネルギー安全保障の修羅場とでも呼ぼうか)とその影響を見ていきたい。

対日石油禁輸

20世紀初のエネルギー安全保障の修羅場は1941年のアメリカによる対日石油禁輸だろう。1937年に勃発し、泥沼化してしまった日中戦争の解決を試みた大日本帝国軍は、中国南部の領域を占領し、石油などの戦略物資を手に入れ、勝利を図った。アメリカはこの計画に猛反対し、1941年夏、日本軍の手足を縛るために日本への石油輸出を全面的に停止した。

当時日本が輸入していた原油の80%はアメリカ由来で、残りの約20%はオランダ領東インドから買い入れていたが、アメリカの圧力によりオランダ領東インドからの輸出も凍結した。日本軍にとって最重要な石油が露骨に武器化されたのだ。

この禁輸は日本空軍による真珠湾攻撃の引き金となる。中嶋猪久生著『石油と日本』によると、1941年6月に海軍軍令部と海軍省によって編成された『海軍国防政策委員会・第一委員会』の機密報告書の中に次のように記されていた:

第二 帝国海軍の執るべき方策
六 武力思考に関する決意 帝国海軍は左記(下記)の場合は猶予なく武力行使を決意するを要す
(イ) 米(英)が石油供給を禁じたる場合
七 結論
(ロ) 泰・仏印(タイ・フランス領インドシナ)に対する軍事的進出は一日も速に之を断行する如く努るを要す…

中嶋猪久生著『石油と日本』新潮社

戦後、海軍省軍務局長の保科善四郎がアメリカの調査団に「何が日米間の戦争の最後に引き金となったのか?」と聞かれると、「石油の輸入停止である。石油無くしては、中国との戦争を成功裡に終結させることもできず、国として生き残ることもできない」と答えている。

「つまり、石油の供給が断たれた時点で戦争は速やかに決行される手筈になっていたのである」と中島はまとめている。

1970年代石油ショック

戦後、1950年代半ばから70年代はじめまで、日欧米ともに政治的に安定し、経済成長の時代だった。富の増加はエネルギーの調達が前提で、育つ経済はエネルギーに貪欲になる。エネルギー自給率が極端に低い日本の高度経済成長を支えたのも、全面的に輸入に依存する石油であった。しかし世界中のエネルギーに対する欲が深まる矢先、重大燃料である石油の供給量を激減させた危機が1970年代の石油ショックだった。

1973年の第一石油ショックの起因となったのがエジプト軍とシリア軍によるイスラエルへの奇襲だった。アメリカがイスラエルを軍事援助すると発表したのに対し、アラブ石油輸出機構(OAPEC) は間髪を入れずアメリカおよび他の敵対国への石油禁輸を宣言した。そして1978年からはイランで動乱が相次ぎ、しまいには国王が国外退去し、1979年4月のイラン革命後、イスラム共和国が生まれた。革命に端を発しイランの原油生産量は激減し、それを引き金にした原油価格の上昇が二回目の石油ショックを巻き起こした。早稲田大学の太田宏がその地政学的な経緯を巧みに伝えてくれている。

産油国のアラブ諸国は石油という主要資源を国際政治のアリーナで武器化できることを禁輸宣言のだいぶ前から理解していた。1960年の石油輸出国機構(OPEC)の成立、68年のOAPECの結成、そして両機構のグローバル石油会社との団体交渉を通して初の原油価格の引き上げの成果を経て、アラブ石油輸出国の地政学的勢力は増していった。リビアのムアンマル・アル・カダフィ元首は「石油は(西洋の)帝国主義と(イスラエルの)シオニズムとに対する闘争の武器である」と勇ましいことまで言っている。(この文章は池田明史(p.17)の引用だが、原資料が見つからなかった)

ムアンマル・アル・カダフィ大佐、1970年(ウィキメディア・コモンズ

2回に渡る石油ショックは日本の政・官・財各界に衝撃を与えた。その時の日本の一次エネルギー全体に占める石油の割合は77.4%。それは他国に比べて高く、しかもその99.8%を輸入、そしてそのうち77.5%を中東に頼っていた。石油供給不足のせいで、1973年から85年の間に国内での電気料金は3.5倍に上昇した。

石油の地政学的リスクに痛手を負わされた克服策として、日本は電源の脱石油化を本格化し始めた。早稲田大学の綾部広則は「脱石油化・多様化は日本のみならず石油消費国全体として進んだが、中東からの輸入に依存する割合が高かった日本にとっては死活問題だった」と指摘している。エネルギー安全保障を強化する大きな一歩だったと言ってもいいだろう。

具体的に言えば、省エネの効率化そして原子力発電の促進、電源構成の石炭の割合を増やすことだった。原発の開発は1974年の電源三法によって可能になり、原子力発電所の数が70年代に20基、そして90年代半ばまでには50基を超えた。石炭火力に関しては、1975年にそれまで輸入禁止されていた海外からの安価な石炭が解禁され、国内の電力供給に重要な役割を果たしていくことになる。

福島原発事故

日本のエネルギー供給状態を震え上がらせた三つ目の出来事はいうまでもなく2011年3月11日の東日本大震災と福島原発事故だ。あの震災と事故が日本全国に与えた衝撃は説明するまでもないだろう。

福島原発事故の直後に全国の原発を運転停止したのは政治的に避けられない判断だった。停止された原発の発電量を補うために、他のエネルギー源を大幅に増やす必要があり、菅直人政権のもとに始まった「再エネ特措法」で再エネ導入に拍車がかかった。一定期間(10年あるいは20年)に渡って再エネで発電された電力を電力会社が一定の価格で買い取る(FIT)制度だ。

あいにく、原発の代替エネルギーとして大幅に伸びたのは再エネよりも火力発電の方だった。火力発電は電力構成の割合として、2010年の62%から2013年の88%に増加し、その中でも顕著に増加したのは石炭と天然ガス火力だった。

それでも日本政府(特に自民党)は原発の活用を決して諦めず、新設された原子力規制委員会の再稼働許可と地元の同意を得て2015年から徐々に原発の割合を上げる努力をしている。2021年10月に経産省により発表されたエネルギー基本計画によると、2030年度のエネルギーミックスでは原発の割合は20〜22%とされている。それに向けた一つの手段として、今年2月13日に原子力規制委員会は原発の最長60年の運転期間の限定的な延長を可能にする新制度を了承した

エネ百科(https://www.ene100.jp/zumen/1-2-7

ウクライナ戦争

最後に触れる日本のエネルギー安全保障の修羅場は、読者の記憶にも新鮮な、今なお長引くウクライナ戦争だ。去年2月24日にウクライナへの侵攻を開始したロシアに対して、先進国は次々と経済・金融制裁を施していった。その制裁の中で、ロシアとエネルギー消費国の双方を痛めつける諸刃の剣は、ロシア産エネルギー資源の禁輸だった。ロシアはエネルギー大国であり、ロシア産の天然ガス・石油・石炭の輸入を拒否するということは、世界的に資源供給が絞られることでもあり、それが価格高騰の要因となっている。

日本の2021年度のロシア依存度は、石油で4%、天然ガスで9%、石炭で11%。国際大学の橘川武郎が指摘しているように、アメリカ・カナダよりは高く、ヨロッパ諸国よりは低い水準で、ロシアへの直接依存度はダントツというわけではない。しかしそれより重要なのは日本の極めて低い一次エネルギーの全般的な自給率だ。2020年度の日本の自給率は11.3%で、ノルウェーの759.3%(!)、アメリカの106%、韓国の19.1%に比べて低い。

資源エネルギー庁 (https://www.enecho.meti.go.jp/about/pamphlet/energy2022/001/#section1)

エネルギー自給率が低いということは、日本はいまだにエネルギー資源の輸入に頼り続けていることを意味する。すなわち、ロシアへの依存度は低いにもかかわらず、天然ガスや石油の国際価格の上昇は日本にも打撃を与えてしまう。日本国内の電気料金の価格上昇にはウクライナ戦争も大きな原因の一つになっている。

この修羅場をくぐるための日本の対策は次のようなロジックを辿っている。ウクライナ戦争の日本におけるエネルギー危機の根本的な原因はエネルギー自給率の低さにある。真の解決策は国産エネルギーの積極的な活用。最も好ましい国産エネルギーは風力、太陽光、水力、地熱といった再エネなのだが、再エネを主力化するには発電設備や送電設備の新設が大前提で、どうしても時間を食う。そこで短・中期的な対策として、既存の設備を活用できる他のエネルギー源の割合をさらに早く増やさなければならない。代表的な既存エネルギー源はもちろん現存57基のうち、いまだに稼働停止されている原子炉。それに加え、天然ガス代替の石炭火力発電だ。

しかしそこで2050年までにネットゼロ達成の目標に板挟みされてしまう厳しい状況に立たされている。そこで政府は石炭の排出量を抑えるために高効率石炭火力の新規稼働、アンモニア混焼や専焼、水素火力発電、CCUSの開発を積極的に後押ししている。

しかしこれが本当にネットゼロに沿った政策なのかという疑問は深まる一方。しかも、アンモニアや水素の生産と調達には海外サプライチェーンが不可欠であることから、実際にエネルギー自給率を上げる対策でもないように思える。

電気料金の制御・エネルギー地政学的リスクの回避としての短・中期的な対策としては妥当かもしれないが、火力発電の「脱炭素化」の地球環境に与える影響は短・中期的ではすまない。石炭火力発電所などの新設は今後何十年ものCO2排出をロックインし、石炭火力の削減にはげむ国際社会に反することになってしまうだけでなく、すでに起きている気候危機の影響をさらに悪化させることになる。

気候変動対策の強化を求めデモ行進する若者(2022年9月23日)東京新聞

日本国内にエネルギー資源が乏しいのは物理的事実。しかし日本の「エネルギー心労」の根源は地理という単純なものだけじゃない。過度の輸入依存という脆弱性が幾度となくむき出しにされたことにより、現在のエネルギー安全保障への懸念があるのだ。

1970年代の石油ショック以来、日本のエネルギー安全保障対策はエネルギー源の多様化に頼り続けてきた。それ自体は懸命だっただろう。しかし福島原発事故以来、その多様化は化石燃料に偏りすぎる形態をとっている。本当にエネルギー安全保障を強化するならば、エネルギー自給率の向上と本格的に向き合うべきであって、それに向けた1番の解決策は自然エネルギーの割合を劇的に増加させることではないだろうか。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?