実家でおもてなしを受ける
ゴールデンウィークも気づけば終盤。
例年、毎日予定を入れて過ごしていたが今年は終盤は予定を入れない日を作りダラダラと過ごそうと思っている。
気づけば実家を出て10年
私は大学進学時に一人暮らしを始めた。当時18歳。
実家から通えない訳では無かったものの、建築学科へ進学した為 課題が大変になるとかそんな理由で実家から電車で2時間弱のところで一人暮らしを始めた。
就職活動の際、コレと言って実家に帰りたいという願望もなかった為 勤務地によっては実家から通えるかもなーとゆるい気持ちで会社を選び それでもやはり実家からだと時間がかかってしまう為そのまま一人暮らしを継続している。そんな私も社会人6年目。
気づけば、一人暮らしも10年目となる。もう立派な自立したオトナになったと、悟らされる。
私は、占いが好きでよく友人といきなり行ったりする。ハマるほどではないが、単に娯楽の一つとして利用しており 都合のいいことだけは信じ、そうでないことは全スルーしている。
そんな私は、占い上 「両親から離れ自立をした方が運気が上がる」星を持っているらしい。実家だったらお金も貯まるし、色々楽だし、と思う事がよくある。現に実家暮らしの女友達を見ると、羨ましいなと思うこともよくある。
帰れない距離ではないが、やはり連休で帰るとなると5月のG.W.、8月のお盆、12月の年末年始。
年3回、1年で20日も無い。
私が30歳に近づいているということは、両親は60歳に近づいているということで。実はもう両親に会える回数って、そんなに多く無いのでは無いかと思う。切なくなる。
私は実家にべったりでも無いし、高校生までも親を鬱陶しく思ったことは多々ある。友人に、母親と友達のように出かける子がいたが 私の親は割と厳しかったし 母親を○○ちゃんと呼ぶような環境で育っていないのでそんな感覚は分からなかった。
そんな私でも、やはりこまめに顔を合わせたいと思うし色々な話をしておきたいと思う。
親子の距離感は時間を経て変わるもの
私がまだ小学生の頃、母方の祖父母の家に毎年夏休みになると帰省をしていた。母と祖母は仲が良いわけではなく、距離も神奈川県と秋田県と遠かった為年に一度しか帰省をしていなかった。
ママと、ママのママ。
当時の私とママの関係性とは随分違うものなんだなと思っていた。
ママが、祖母に気を遣っているような感覚。
「そんなやってもらわなくて良いからゆっくりしてて」という感じ。
そこで初めてママにとっての家庭は、苗字が変わってこどもがいるこちらの家なんだと思った。
私は幼稚園児の頃、突如 死ぬことについて考えどうしようもなく怖くなった。その理由は簡単で、続けて父方の祖父母が病気で亡くなったからだ。
当時、守られる側だった4、5歳だった私は
ママへ 親が死ぬことは怖く無いのかと尋ねた事がある。パパは、自分の親を亡くして(それもかなり若くてパパが35歳前後だったと思う)怖くないのか。
ママからの返答はこうだった。
『パパとママは二つの家族がある。一つは、自分が子供として育った家族。もう一つは、今自分が親として子供を持つ家族。パパとママには二つの家族があって、二つ目の家族があるから大丈夫。私(当時の私)も、いつか自分が選んでなる家族ができた時 乗り越えられるよ。』と。
そうか。ママとおばあちゃんの距離が感じられたのはそういうことも関係していたのか。
後日談で、ママとおばあちゃんには
今なら理解ができる 過去のいざこざ?があることを知った。そういうことも関係しているのかもしれない。そんなおばあちゃんも、今年 90歳目前。認知症を患い始め年4回ほど、母親だけで帰省をしている。
ママには、祖父母との時間を大切にしてほしい。
そして私はそんなママを見て、会える時にもっと会っておけばよかったなんで後悔をしないように生きたい。未婚の私には、まだこの家族しか知らない。この家族で100%全部なのだ。
娘であり孫である私
実家に帰省するとびっくりするほどの歓迎ムード
そしておもてなしを受ける。
もらってきたおやつ食べる?
お茶入れようか?
寒いから布団出しといたよ!
駅まで迎えに行くよ、何分着?
ありがたい。
そして実家から帰る時、
またいつでも遊びにおいでね。 byパパ
パパ、、それ夏休みが終わる小学生の孫にいう言葉
ずっと私の家族の中では末っ子次女の私。ついに孫扱いになりました。
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