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短編小説『未来は続く』(2/5)

(ニ)

車庫に車を止めるや否や、待ち構えていたように、益美が玄関から飛び出してきた。
駅を出る時にメールをしておいたのでおおよその時間を見込んでいたのだろう。
到着が少し遅れたこともあり、首を長くして待っていたに違いない。
さっそく屈みこんで奈帆に頬ずりすると、その手を取って、庭先のランの小屋の前に連れていった。

ランは昨年末に保健所から引き取ってきた雑種のオス犬である。
成犬になるまで飼い主から愛情無く育てられたようで、臆病な性格をしており、見知らぬ人間にまず愛想を振りまくことはない。
今も小屋の奥に引っ込んでるのか、益美が手を叩いてラン、ランと呼びかけている。
小屋は以前飼っていた犬たちからのお古で、ランが三代目だった。
二代目のペルが八年で、その前のブチが九年だから、十七年間使用していることになる。
代々の住人たちが家の隅を齧ってきたので、木材の角が丸くなり、ぼこぼこと凹凸があった。
先代のペルは腎臓の病で最後は惨い死に方をした。
横たわって悶えながら漏らした切ない鳴き声が一年経った今でもまだ耳に克明に残っており、それがためにもう犬を飼うのは止そうと益美と話していた。
しかし、出かけた先で犬を見かけるたびに益美はペルの思い出を語り、ペルのいない生活は寂しいと訴えるようになる。
喜一郎も、始めは仕方がないと優しく受け止めていたが、それが頻繁に続くと次第に面倒が先に立つようになる。
終いには、この子が最後だからと言ってランを引き取ってきたのだった。

奈帆を連れての長距離の移動で疲れたのだろう、彩子は先に靴を脱いで家の中へ上がってしまった。
喜一郎も、汗がじわじわと滲み出すのを感じ、益美と奈帆に向かって「暑いから中に入って麦茶でも飲もう」と声かけて、中に入った。
居間に彩子の姿はなく、奥の仏間からりんを鳴らす音がする。
仏に線香を上げている。
彩子は変なところで信心深かった。
小さな頃は妙に死ぬとどうなると拘って、死後の世界を扱ったテレビ番組がやっていると、食い入るように見ていた。
喜一郎の母である康子が死んだ時も、彩子はまだ十歳であったが、死に装束姿の祖母の収まる棺から促しても離れようとしなかった。
奇異な癖は歳を重ねるにつれ影を潜めたが、今でもこうして帰省すると線香を上げ、墓参りを欠かさない。
五年前、山手の辺鄙な場所に自分たちの墓を購入したのも、彩子であれば年に一度でも墓参りをしてくれるだろうと期待したからだった。
喜一郎は一息つこうと、座卓に置かれたコップを掴み、益美の飲み残したぬるい麦茶を飲み干した。
「私も欲しい」
仏間から居間に入るなり、彩子が目ざとく空のコップを見て言った。
よっこらしょっと立ち上がると、台所から麦茶の入った冷水筒とコップを三つ持ってきて、一つ渡すと注いでやった。
彩子は一口口をつけると「ああ生き返った」と言った。
お返しにとばかりに、これお土産ね、と脇の紙袋から芋ようかんの包みを取り出す。
数年前の帰省の時、喜一郎が美味い美味いと一人で全部平らげたことがあり、それ以来帰省の時の恒例の土産になっていた。
「ありがとう」
早速包みを開封しようとしたところで、益美が、奈帆を連れて上がってきた。
二人にも麦茶を注いでやると、奈帆が「おいしいぃ!」と笑顔を弾けさせた。
その隣で益美も「美味しいね」と相槌を返している。
麦茶を飲み干した奈帆が、胡坐をかいた膝の上に乗ってくれる。
「絵に描いたような孫とおじいちゃんね」
彩子に言われて、自分の顔がほころんでいることに気づき、そうか、そうかもしれない、死んだ親父もそう言えば、彩子を膝の上に抱いて、こうやって笑っていたな、と思い、何だか面映ゆかったが、悪い気はしなかった。

                             3/5へ続く

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