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詩『ノスタルジア』

右腿でトラップして、浮かんだところを素足で蹴り込んだボールはコーナーポストぎりぎりの内側を抜けるが、ゴールにはネットが張られておらず、そのまま後方を転々と転がり、やがて海岸に達すると、水面の上を沈まず転がり続けて海を渡り、油の臭いの立ち込める工場で大きくバウンドし、繁華街の狭い路地の隙間を縫って進んで、最後は電気も水道もガスも止められ、窓から射し込む街灯の光で辛うじて灯を確保したアパートの一室で止まる。そこは故郷から遠く離れた、極東のどん詰まりで、スーパーの見切り品のおにぎりを一週間前に食べたきり、飲まず食わずの飢餓状態で横たわったまま、もはや立ち上がる力も、ボールを撫でる力も、間も無く訪れるであろう自身の死を恐れる力さえ残っていない、瀕死の脳が映し出した映像、それはまさしくノスタルジアで、脳内麻薬が与えるモルヒネ的な恍惚に浸りながら、男はフィールドで躍動し、ボレーシュートを決めてチームメイトたちから華々しく祝福される、人生の絶頂の中にいた。しかし、実際のところ、この男は生まれてこの方ゴールを一度も決めたことはなく、今から数十分後に虫けらのように死んで、脇に転がるボールは永遠にそこに止まり続ける。ノスタルジアとは実に都合の良いものだと思う。

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