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短編小説『広島 騎乗位』(1/2)

 発展場という言葉がある。
 ある種の人々にとってそれは集合場所を示す隠語であり、秘密の交渉をする場を意味する。今でこそインターネットで調べれば誰でも知ることができるが、特殊な嗜好のある人を除いて大半の人はその言葉の意味も実際にそれが何処にあるかも知らない。私もまた、それとは気づかず、単なる日常の風景の一部としてその前を通り過ぎてきた。ただ、ある一瞬、その内側に迷い込んだことがある。

 私は大学2年の夏休みに、青春18きっぷを使って沖縄まで行く計画を立てた。計画といっても、東京から鈍行列車で鹿児島まで行き、そこからフェリーに乗り替え沖縄本島に渡る、というざっくりしたものだった。ちょうどその頃、沢木耕太郎の『深夜特急』や谷譲二の『踊る地平線』、小田実の『何でも見てやろう』を続けざまに読んで、単純な私はそれらが持つ旅の熱に感化されたのだった。バイト先の居酒屋の店長には10日ほど休みますと伝えたが、10日という日数に根拠はなく、予算は既に購入済みの青春18きっぷの費用を除けば、その時口座にあった4万か5万ほどで、それで足りるか否かの算段も立てていなかった。

 初日、最寄の蒲田駅から始発電車に乗り込み、東海道線に乗るために東京駅に向かった。東海道線に乗り換えるのであればその手前の品川でも新橋でもよかったはずだが、始まりは東京駅から、という信念があったわけではなく、単に何も考えていないだけだった。東海道線に乗り込むとそこからは一心不乱に西を目指した。一切の途中下車も休憩も自分に許さなかった。昼食も乗り換えの時に駅の売店で買った菓子パンで済ませた。途中、愛知か滋賀あたりで硬い座席に座り続けて酷い腰痛に襲われたが、それでも下車せず、つり革にぶら下がって腰を伸ばして痛みをやり過ごした。そして、22時頃に広島駅に降り立った。

 駅前は薄暗く、賑やかな街並みの広がりを期待していた私は拍子抜けした。ロータリー前にある地図を見ると街の中心部まで少し距離があるようだった。夜更けに、縁もゆかりもない街を徘徊するのは能天気な私も気が引けた。街の中心に向かうのは明日にして、駅の近くで体を休めることにした。
 駅前にある大きな通りを横断して、まずは周辺を探索した。ビジネスホテルと思しき建物は何件か見かけた。私はその前を素通りした。金は極力使いたくなかった。辛くなるまで野宿で凌ぐつもりだった。
 暫く通りを突き進んでみたものの、横になれそうな場所はなかった。もう少し範囲を広げれば見つかったかもしれない。既に二十三時を過ぎ、あてのない彷徨を続ける気力は残っていなかった。
 人の目に晒されるのを嫌い、最初に候補から外していた駅前のベンチで妥協することにした。来た道を引き返す。駅前の通りまで戻ってきたとき、横断歩道とは別に、地下へ続く入口に気づく。駅に繋がる地下の連絡通路のようだった。私は興味を引かれ、誘蛾灯に誘われた蛾のようにその灯りの方へ引き寄せられていった。

 地下へ降りる途中から使い古した靴の中底と小便の臭いが混ぜ合わさったような臭いが鼻につく。通路には煌々と照らす灯りの下、等間隔にダンボールが敷かれ、ホームレスが皆倣ったように同じ方向に頭を向けて横たわっていた。端から数えると十二人いた。私をその脇を抜けて駅の方に向おうとしたが、人の家に黙って忍び込む感覚になり、住民たちの眠りを妨げることが憚られた。踏み出そうとした足を止めて、しばらく逡巡した後、その末席に加わることにした。腰を下ろしてから、目の前にあった公衆便所の臭いが気になったが、しばらくすると慣れた。
 一時間ほど横になったが寝付けなかった。体の疲れに反して神経は張り詰めたままだった。硬いコンクリートに直接触れて、体の輪郭が妙に意識された。一向に眠りが訪れず、私は仕方なく体を起こすと、リュックから文庫本を取り出し、壁に背中を預けて読み始めた。
 どの程度経ったか分からなかった。階段から人の降りてくる気配がした。間も無く誰かが降りてきた。私は本に視線を落としながら、内心は十三番目の住人が帰ってきたんではないかと思い、不安になった。やがて足音が私のすぐ目の前で止まった。顔を上げると、おじさんがそこに立って私を見ていた。小柄で、歳は自分の父親より一回り上に見えた。やや後退した髪は茶色く、顔は化粧をしているのか少し白かった。おじさんは私と視線が合うと、「一緒にジュースでもどうですか、おごりますよ」と言った。

                            2/2へ続く

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