「ごめん」って良い言葉だと思うんだけど...

こんばんは。お久しぶりです。
 RYOでございます。いかがお過ごしでしたでしょうか。

私は...ここ数日高熱を出してぶっ倒れておりました。(笑)
先日、日曜日に友人と訪れた焼き鳥屋さんでささみのユッケを食べすぎたのが原因です。
同席していた6人中5人が、私と同様下痢,高熱,ひどい時には頭痛と全く同様の症状を出しているようです。

まあコロナウィルスでなかった分、胸を撫で下ろしました。
寒暖差も激しいですから、皆さん今一度体調管理にはご留意を。

さて今日はまた衝動的に思考が駆け巡りましたので、もう入眠間近で目も瞑っていたのですが飛び起きて以下のテーマについて書こうと思い立ちました。

「ごめん」ってそんなに悪い言葉かな?と。

私は私生活において、これでもかというほど「ごめん」と口にする機会が多いと思います。
何かしてもらった時には「ごめん、ありがとうね!」と。
迷惑をかけてしまったと感じた時にももちろん「ほんまにごめん!」と。
個人的には時間にルーズなので遅れる時にも「本当にごめんなさい。」と。

これは、私自身の根底に自己肯定感があまりないことに所以します。
自分自身よりも他人を優先しがちな性格があります。他人本位とも表形できるでしょうか。
どちらかというと私はそんな性格です。というかそうなりました。

私の過去を知る人間は皆、声を揃えて「お前はそんな奴ではない」と私のことを罵るでしょう。
驕り、傲慢、怠惰、軽薄…これら全てが過去の私にはあったのですから。

私をここまで自己肯定感を低くさせた事由と、謝罪の意はそこまで悪くない言葉なのではないかと感じるようになった事由は、実は似通っています。

それは、私のnoteに度々登場する"恩人"の存在です。

其人は、私に人としての生き方の何たるか、正道を説いてくれたと、私は考えています。
基本的に言っていたことは概ね的を射ているし、其人に対する反論なんて滅多に思いつきませんでした。

しかし私が過去に唯一、其人に疑問を感じたことがあります。

それこそ、
「それ以上ごめんって言わないで。ムカつくから。何も生み出さないから。」
という言葉でした。

確かに。と思いました。

しかしながら同時に、以前の優しさはもうないのだな、と少し落胆じみた、神妙な感情を覚えた記憶があります。

其人から嫌われる原因を最初に作り出したのは実は私自身なのですが、以前はそれを含めてでも私に対し気前よく振る舞ってくれていました。
まあ、我慢の限界だったと言わざるを得ないでしょう。

私は其人にそれを言われ、感じました。

「ごめん」ってそんなに悪い言葉じゃないんじゃない?と。

確かに何も生み出しません。無駄でしょう。その時間は何も生み出していない。

しかしながらその無駄こそを全身全霊で謳歌し、享受する人こそ真に人間らしく生きている方だと私は思います。

少なくとも私は、”より人間らしい”私になるために、そう生きようと、無駄を楽しめる人になるよう尽力しているつもりです。

ごめん、という声掛けによって、当人同士の繋がりはより強固になるはずです。人間関係における接着剤の役割をしてくれるはずだと私は思います。

その言葉を経て私は、「ごめん、といくら言われようと、無駄な、蒙昧な時間をいくら過ごしても、可能な限りそれを全力で楽しめる人間になろう」と決心したわけですね。

まあ、私は友人の中でも「思想強すぎ」と揶揄されるほどですから、再三申し上げているように鵜呑みにすることはお勧めしません。(笑)

今日は病み上がりですのでこの辺りで。流石に寝ないと体調も戻りませんので。

ではでは。おやすみなさい。

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