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春泥の子猫と片腕の招き猫

とある雑誌の特集で昔お世話になった動物病院のことを見かけた。保護猫活動もしている病院で、とても雰囲気もよく親身になって相談にも乗ってくれた。でも、ある日を境に足が遠のいてしまった。

もう6年前のことだ。夕方からディズニーにアフター6でも行くつもりで出掛けた時だったと思う。駅に向かう路地で、か細い猫の鳴き声が聞こえてきた。立ち止まりキョロキョロと辺りを見るとボロボロの小さな猫が電柱の隅にいた。

なんだかジッと見つめられ「助けて」という声が聞こえた気がして、僕らは近づいた。その子は全く逃げるそぶりもなく、むしろフラフラと足元まで倒れこんできた。

見た瞬間に車に轢かれたんだと思った。完全に下半身がグラついていて、まともに立っていられる状態じゃなかった。どうしようか……迷っている僕たちを見て、近所の人も寄ってきたが重傷を負った野良猫を保護するのは簡単なことじゃない。

ちょうど同時期に僕の家にはご飯を貰いに来る別の野良猫がいた。その子(仮にクロとする)は片手を骨折して曲がった骨がそのまま固定されてしまい、片手を引き摺りながら生活している子だった。僕はクロを保護したかった。とても警戒心が強く、絶対に手の届く範囲には近寄らせない子だったので、少しずつ少しずつ「怖くないよ」と言い聞かせて仲良くなっていた。

クロは引き摺る片手の部分が地面に擦れているからいつも血が滲んでいた。確実にそこからバイキンが繁殖して悪化していくことは分かっていたから、なんとか病院に連れて行きたいと思っていた。その為にも慎重に慎重に距離を縮めていた。

そんな時に事故で傷ついた子が僕に助けを求めてきたのだ。迷った。この子を保護することで、クロのことはどうなるんだろう。同時に二匹の怪我した子を面倒みられるだろうか。

迷ったんだが、目の前の子は僕の足元から離れようとしない。自分が生きるか死ぬかを完全に僕に委ねている。僕が手を差し伸べなければ諦めるくらいの気持ちだったのかもしれない。だから「助けて」と最後の力を振り絞って鳴いていた。

「わかった」

僕は決心して遊びに行くのを止め、キャリーバックを取りに家に帰り、その子を連れて以前から世話になっている動物病院へ行った。安心したのか、その子は大人しく身を委ねてうずくまっていた。

病院でレントゲンを撮ると、骨盤と後ろ足が砕けていること、まだ小さな体だったけど妊娠しており胎児はお腹の中で亡くなっていることが分かった。身重な体だった為に逃げ遅れて轢かれてしまったんじゃないかということだった。

「助けるなら外科手術しなきゃいけないよ。でも、これほどの状態だとうちでは無理だなぁ」先生はどうするか思案しながら僕に伝えてきた。

「どうしたらいいですか?」僕はぐったりしているその子を撫でながら先生に聞いた。

「外科手術の専門医を知っているから、そっちの病院に頼めるか聞いてみるよ。ただ、保険もきかないし高額になると思うよ。それでもいい?」先生は現実的な話もしてくれるので、そういうところも信頼できる。

「助けられるか可能性は知りたいのでお願いします」僕も、もうこの際お金のことは後回しにしようと気持ちは決まっていた。今思うと本当になんでそんな風に自然に思えたのか分からない。同じく野良だった先代の愛猫が僕に「助けてやれ」と言っていたのかもしれない。

とにかく先生が外科病院にアポを取って紹介状を書いてくれた。タクシーで10分くらいの距離の場所だったので、次の日だったかな仕事を休んで連れて行った。

そこでも沢山のレントゲンを撮り、どのような外科治療が必要かを先生が説明してくれた。外科医の先生も淡々とはしているが丁寧に話をしてくれた。

「内臓に損傷はなさそうだけど、骨盤と足の付け根が完全に割れてしまっている。だから立てないんだよね。これを治すにはプレートを埋め込んで固定して繋ぎ合わせる必要がある」模型や医学書を見せながら詳しく説明してくれる先生だったが、同時に「たぶん30~40万くらい費用もかかるよ。それに術後はどうするの? 飼うの? 飼う気もない猫にそこまで出せる?」そう厳しいことも言ってきた。

術後のことは何も考えていなかった。ただ、家では飼えないと思っていた。クロを保護出来ていないのに、この子まで面倒は見れない。それでも僕は「お金は良いです。出します。その後のことは紹介して貰った先生と相談します」と言って手術に同意した。

手術は一日がかりだった。連絡を貰い引き取りに行くと、先生は笑顔で「うまくいったよ。すぐに立ち上がれるようになるから、ゆっくりリハビリしていけば普通に歩けるようにもなるよ」そう言って会わせてくれた。

「よかったなぁ。がんばったなぁ」そう言いながら撫でてあげると、気持ちよさそうにグルグルと喉を鳴らしていた。

そこからが、でも大変だった。とりあえず家に連れて帰り、クロを保護するために用意していたケージハウスに入れてみる。すぐに我が物顔で過ごしだす様子を見ると、また迷いが生まれてくる。このまま育てるか、いやでも、クロを助けないと。

術後の経過観察は最初に連れて行った病院で診て貰っていた。当然、病院でも先生から「もう面倒見るようにしたら?」「もともと君ならウチの保護猫を引き取って貰っていいと思ってたし」そう言ってくれていた。

だけど、どうしても僕は元々の保護したいと思っているクロに向き合う為に飼えないと思っていた。当時の僕のキャパでは障害を持った子を二匹も責任持つことは出来ないと思っていた。

いや、そもそもが責任を持てないくせに助けたことすら間違っていたのかもしれない。そんな自問自答の繰り返しだった。

「すみません。どうしても今は飼えないんです」何度も謝る僕に先生は「とりあえずウチの病院で面倒見ながら様子みるよ。去勢手術とかも体調をみてしないといけないしね」そう言ってくれた。

それから何度か顔を見に病院へ通った。先生は結局、去勢手術の費用も受け取らずに動物病院の看板猫として引き取ってくれた。正確には違うか、去勢手術が終わって数日、お金のことも気にしなくていいと聞いた日から僕は病院へ行くのを止めた。「よろしくお願いします」とだけ言って、それからずっと顔を出していない。出せないままだ。

その後、僕はクロを保護することが出来た。だけどそれは季節がひと回りした翌夏だった。1年かかって僕が抱き上げられるようになったのも、クロが弱ってしまっていたからだった。

炎天下のなかで引き摺る傷口が化膿して壊死寸前になっていた。それでも僕は近所に出来たばかりの動物病院へ連れて行き、治療を受けた。あの子のいるであろう病院へは行けなかった。また無責任に保護したんじゃないかと思われることが怖かったのかもしれない。

新しい病院の先生も親身に診てくれて「体調が上向いてきたら壊死してしまっている部分を切断してあげよう。その為にも、まずは衰弱している体を戻してあげよう」そう言ってくれた。また、お金かかるだろうなぁ。そう思いつつ、ようやく助けられるという安堵があった。中途半端に助けることになったあの子の分も、精いっぱいのことをしてあげよう。

そう思っていたのだが、クロは傷口の壊死が想像以上に酷く日に日に衰弱していった。病院に連れて行ってから1週間も経たずにクロは僕の腕の中で息を引き取った。その頃の僕は、僕自身にも持病が発覚して休職している状態だった。なんだかそれも運命というか巡り合わせだったのかもしれない。普通に仕事していたら死に目には会えなかった。クロは独りで寂しく息を引き取るところだった。

それでも、もっと早く保護出来ていたら……もっと強引にでも病院に連れて行くことがあと1ヶ月でも早く出来ていたら……後悔ばかりが浮かんできて申し訳なくて泣いた。結局、僕は助けられなかったじゃないかと。

それから5年が経った。いま家には別の猫がいる。

クロのことが辛くて鬱になりそうだったから、気分転換に伊豆へ車を借りて旅行に行くことを提案された。それもいいかも、と出掛けた先で偶然入ったペットショップで半年売れ残っていた子に僕は一目惚れした。

なぜか見た瞬間に「連れて帰らなきゃ」という気持ちになって、でも静岡から東京まで連れて行くことを店が許すだろうか? と思い一度は後ろ髪ひかれながら諦めて高速に乗ろうと走っていたのだが「やっぱ駄目だ。戻る。連れて帰る」と高速に乗る手前で引き返してペットショップに戻った。

店長に「東京から車で来ているんですが、この子を連れて帰ることって出来ますか?」恐る恐る聞くと、なんとも拍子抜けなくらい簡単にOKしてくれて、ケージやご飯、食器類までサービスしてくれた。

落ち込んでいた僕にクロが引き合わせてくれたんだと思う。

いま、僕のそばには何時もその子がいてくれる。図らずもまた僕は心の調子を崩してしまい、半分休職状態ではいるが、なんとか生きていられるのも大切な存在がいるからだ。

そして先日、とある雑誌の動物病院特集記事の写真を偶然見た。そこには丸々と健康そうな子が写っていた。見た瞬間に分かった。あの子だと。

元気そうだった。ふくふくと育っていた。そして驚いたのが、僕の苗字をモジった名前がついていた。病院に預けた時、僕はあの子に別の名前を付けていた。だけど先生は看板猫として新しい人生をはじめた子に僕の名前を付けてくれたみたいだった。それを見て嬉しいという気持ちより、やはり申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

中途半端に手放してごめんね。でも元気そうで安心した。沢山、愛情を注がれて幸せそうで本当によかった。

いろんな巡り合わせで僕は今の猫と出会えた。あの子もその小さな切っ掛けだったし僕の中の考え方を変えてくれた大切な存在だった。勝手に負い目を感じている僕だけど、いつかまた会いに行ってもいいのかな。

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