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『黑世界‐日和の章‐』に心臓を捧げる進撃の朴璐美を讃えよう

配信にて『黑世界~リリーの永遠記憶探訪記、或いは、終わりなき繭期にまつわる寥々たる考察について~』の【日和の章】を観劇した。

「日和」とは「晴れた良い天気」の意味だ。だが、よく晴れているからこそ、地面に落ちる影は色濃く映し出される。悠久の旅をしているリリーだが、彼女の心はずっと留まったままで晴れ渡った空を見上げるのではなく、自分の足元の影をジッと見つめている。その漆黒の世界こそが『黑世界』なのだ。

【日和の章】も全6話で構成されている。

①家族ごっこ[作・末満健一]
②青い薔薇の教会[作・葛木英]
③静かな村の賑やかなふたり[作・岩井勇気]
④血と記憶[作・末満健一]
⑤二本の鎖[作・来楽零]
⑥百年の孤独[作・末満健一]

以下、ネタバレ気味で書いていくので、未視聴未観劇の方はどうぞ観られてから再訪ください。

竜胆とチェリーと

冒頭からリリーの幻覚(新良エツ子)は自分のことを「チェリー」と名乗っている。『LILIUM』未観劇の人は気にならないだろうけど、『LILIUM』を通っている人間にとっては急に自らの幻覚を「チェリー」と呼んでいることが気になって仕方ないだろう。

リリーはクランの監督生だった紫蘭、竜胆の幻聴に罵倒され「お前がクランを滅ぼした」「お前が皆を殺したんだ」と散々に責められている。入れ代わり立ち代わり、色んな子の幻聴をリリーは聴き続けているんだろう。そんななかでなんとか理性を保つ為のイマジナリーフレンドを作った。そしてそれが「チェリー」というのがとても興味深い。

なぜ幻覚を「チェリー」と呼ぶのかは【雨下の章】で分かる。

そうそう、ちょうど『LILIUM』で竜胆を演じたモーニング娘。'20のリーダー譜久村聖とチェリーを演じた石田亜佑美が【日和の章】を観劇したことをブログに書いていた。

ふくちゃんは竜胆の気持ちとして「怒ってないよ…って思いながら観ていました」と書いており、石田さんは「出来るならばリリーを抱き締めてあげたくなりました」と感想を書いている。

なんだろ、リリーのこともだけど二人とも鞘師に対しても感傷的に母性が働いているような慈愛に満ちた文面だ。特にふくちゃんは、同期としての感情もあるし、鞘師自身もふくちゃんのことを「ママ」と慕っているから「竜胆が生きていたら変えることは出来たのか、リリーを守れたのか…そんなことも考えていました」とも書いており、これはそのまま鞘師のことを言っているんじゃないか、なんて深読みすらしてしまう。

他の『LILIUM』キャスト陣も観劇する機会はあるのだろうか。配信でも観れるのだから、是非とも感想が知りたい。

「家族ごっこ」という呪縛

1話「家族ごっこ」でリリーは吸血種であるラッカという少女、そしてノクという少年に出会う。母親のいないラッカは、リリーのことを「ママ」と慕い家族として暮らして欲しいと懇願する。なんのキマグレか、リリーはそれを受け入れて「家族ごっこ」がはじまる。

ラッカ役は声優の朴璐美さん。『進撃の巨人』のハンジ役など幅広いキャラクターを演じている役者さんだ。大好きだ。特に『進撃の巨人』が原作でクライマックスを迎えている現在、もう日に日に「ハンジ大好き」という気持ちが増している。この冬からアニメのFINALシーズンもはじまるが、楽しみで仕方がない。そんな朴さんが『TRUMP』シリーズの世界に存在することがこの上なく嬉しい。

ラッカは7歳の少女だが、見た目は普通の女性の見た目。それをメタ的に自らツッコみを入れつつ声は完全に少女の声で喋る朴さん。この辺は流石。

安寧の「家族ごっこ」は、ある日突然に幕を下ろす。

リリーを追ってきたブラド機関は、ラッカとノクの前からリリーを連れ去ろうとする。その時、リリーは自ら禁じていたであろう行いに手を染めてしまう。仕方ないこととはいえ、幼い二人の前での惨劇はリリーの本意ではなかった。泣き叫ぶラッカを残し、リリーは姿を消してしまう。

青い薔薇の花言葉

2話「青い薔薇の教会」でも朴璐美さんはモスカータという吸血種の青年役(!)で登場する。1話とは打って変わって、それこそハンジのような声色の朴さん。声だけ聴いていると同一人物とは思えないだろう。

モスカータは吸血種でありながら人間の村に住んでいる。それは不可侵条約に反する行為だ。なぜモスカータは吸血種であることを隠しながら教会で薔薇の世話をしているのだろうか。そこには深い贖罪の理由があった。

ブルボン神父のもとでモスカータは青い薔薇を育てている。薔薇の交配のなかでも青い薔薇を咲かせることは不可能に近い。だが、彼は何年も青い薔薇を咲かせることだけを糧に生きていた。

青い薔薇の花言葉は「不可能」

モスカータの罪は決して償えることも赦されることもない。ブルボン神父がどれだけ「赦す」と言っても、モスカータの背負った十字架はあまりにも大きく重い。決して自らを「赦す」ことなど不可能なのだ。

そんなモスカータにリリーは自分自身を投影する。赦されることのない罪は、リリーに死んで終わらせることも出来ない重い十字架を背負わせた。

モスカータの慟哭、そしてブルボン神父の思い、とても辛く胸を打つのだが、本当に朴さんの演技が凄い。朗読劇ではありつつ、動き回り、歌い踊る『黑世界』なのだけど、片手にずっと本を持ちながら演じているという姿勢は普段の声優としての基本の状態に近いのかもしれない。朴さんの自然で優雅な立ち居振る舞いが素晴らしい。

「塩の魔神と醤油の魔神」の世界

3話「静かな村の賑やかなふたり」はハライチ岩井による脚本の異色回。【雨下の章】の3話「求めろ捧げろ待っていろ」と同じ立ち位置だろう。人里離れた場所で暮らすベルナールとアドリーヌ。二人は吸血種というモノに対して正しい知識がない。リリーはそんな二人から質問攻めにあい辟易する。

「吸血種はにんにくが嫌いらしい」「マントにコウモリを飼っている」「十字架が苦手だ」「あれ?マントの裏地が赤くないぞ」

ものすごくベタな「吸血種あるある」を、軽快に騒がしく歌い踊るベルナールとアドリーヌの姿は、まるでハライチ岩井が渡辺直美とドリームマッチ2020で披露した『塩の魔神と醤油の魔神』を彷彿とさせるコントのようだった。

【雨下の章】でも書いたが、こういう異色な話も「繭期」のひと言で片付けて違和感なく受け入れてしまう懐の深さが『黑世界』の、『TRUMP』シリーズの強みだ。

進撃の朴璐美ふたたび

4話では成長してブラド機関に所属するラッカとノクがガビーと共に再登場する。すっかり大人になった二人がリリーの前に立ちはだかる。

「大きくなったね」と話しかけるリリーに、ラッカは寂し気な笑顔で「ママ」と歩み寄る。ラッカは姿を消してしまったリリーを探すために血盟議会へと身を投じていた。

「ママを独りぼっちにはさせない。私たちは家族よ」

そう、泣きそうな声でリリーに叫ぶラッカ。朴璐美さんのひと言ひと言が強い言霊となって胸に刺さってくる。【雨下の章】ではリリーの旅を見守る存在としてシュカという男が百年の時を共にした。シュカを演じたのが松岡充さんだ。松岡さんもボーカリストとして卓越した能力のある方で、彼の声のチカラも強力なエネルギーを持って僕らを揺さぶる。

朴璐美と松岡充。演じる役も演者としての持つスキルも違う二人なのだが、この『黑世界』という朗読劇で最重要人物は彼らだった。

リリーはリリーとして6年前と変わらずそこに存在していた(これも凄いことだが)。【雨下の章】も【日和の章】も6話を通して百年の時が流れる。その長い時間の経過の水先案内人のようにリリーに寄り添い、観客である僕らを導いてくれていたのがラッカであり、シュカだった。

また、ノクはそんなラッカを見守る存在であり、リリーに思うところはありながらもラッカの為にと支えていた。そんなラッカの想い、ノクの想い、そしてリリーの想いが三つ巴でぶつかるシーンがある。まるでそれは『LILIUM』でリリー、スノウ、マリーゴールドが想いをぶつけ合う「TRUE OF VAMP」を聴いているような魂の叫びに感じた。

この後、リリーの身に大変なことが起きる。もう観てらんない惨状を鞘師里保は超人的なパントマイムで表現する。そこに乗る「グチョ……ネチョ……」という身も蓋もない効果音。そんじょそこらのホラー映画なんか目じゃない人間離れしたリリーの動きにホラー大好きな僕は魅了されていた。その恐ろしくも美しいバケモノに僕は興奮を禁じえなかった。

5話を挟んで最終話「百年の孤独」では、年老いて命尽きようとしているラッカの前にリリーが現れる。4話でラッカの想いから逃げるようにリリーはラッカの記憶を奪う。出会わなければラッカは静かに暮らせていたはずなのに、自分なんかに出会わなければよかったんだ、と自分に言い聞かせるリリー。

だが、リリーの心の中にはラッカと共にあったノクの魂が現れる。

「ラッカに思い出を返してあげて」

その想いに報いるように年老いたラッカとリリーは再会する。忘れていた記憶が蘇り、子供の頃のような表情になるラッカ。朴璐美さんの表情、セリフひとつひとつに宿る感情、細かい仕草の全てがリリーを想い続けて百年の時を過ごしたラッカそのものだった。

【日和の章】は全編に渡ってリリーの贖罪の旅だった。明るい世界のなかで、暗く濃く落ちた影を歩く旅だった。

だけど、そんな中で出会ったラッカはリリーにとっても遠い昔に忘れてしまった安らぎ、癒しだったんじゃないか。「百年の孤独」の最後、ラッカとリリーで歌う想い出の日々は、涙なしには観られない。配信視聴だったのだけど、劇場に行っていたら確実に号泣していただろう。

それは決して悲劇ではなく、ほんの一瞬かもしれないけどリリーにとって孤独を忘れられた時間だった。その優しい空間に、確実に号泣していただろう。『TRUMP』シリーズでも異例の小さなハッピーエンドだったんじゃないか。確かにリリーに安息の日は来ない。だけど、ラッカの心はリリーの旅に大切な宝物として刻まれたと思うのだ。

「よかったね……」なんて『TRUMP』シリーズ観て思う日が来るとはね。

やはり『黑世界』は【雨下の章】【日和の章】の順に観る方が良いのかもしれない。精神衛生的にも、少しだけ安らぎを抱いて劇場を後に出来ると思う。

ただ一個だけ気になるのが「ラッカ」という名前。もしかしたら【落花】から由来しているのかなと思った。【落花】は「花が散る」ことを意味する。結局【日和の章】でもリリーは独りぼっちになってしまう。【落花】という名前はその暗示だったりしたら恐いし、末満さんは凶悪に意地悪だ。そこは僕の考えすぎだと思いたい。思わないとリリーは何時まで孤独な旅を続けなければいけないのかと絶望してしまう。

いつの日か『雪月花』でスノウと再会を果たし、リリーの悠久の旅が終わることを願わずにはいられない。ファルスでもソフィー・アンダーソンでも構わないから、リリーに「自由の翼」を与えて欲しい。


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