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名古屋グランパスがエンドレスエイトから抜け出す日

久しぶりの名古屋グランパスに関するエントリー。正直、この数カ月間はグランパスの話をする気になれなかった。「負け続けていたから」というのもあるけど、それ以上に「語ることが無い」という状態だった。毎試合、毎試合、前節と何が違うの?また同じ負け方じゃん。そんな印象しか無いから正直しんどかった。

例えば日本代表のハリルホジッチ監督時代とか、現森保体制に関する「こうした方が良いんじゃないか」や「この試合の戦術は、選手起用は」みたいな事は色々と考察も与太話も文句も言いやすいんだけど、風間監督という人に関しては外野のサポーターがどうこう言っても本人の哲学がブレないから意味がなかった。

「ブレない」というのは凄い事だとは思う。

前に風間監督はインタビューで「俺は臆病だよ」と言ってた気がするが、あれだけ毎試合同じ負け方をしている状態で、それでも頑なに考え方も戦い方も変えないというのは、ネジが一本くらいイカれているんじゃないかと思う(褒め言葉です)。ただね、ブレない事は素晴らしいんだけど、やはりネジでもなんでもあまりにガチガチに固めてしまうと負荷が掛かり過ぎてしまう。物事には「遊びが必要」だと思う。

いや、監督自体にはその幅はあったとは思う。

常々「ポジションなんて無い」と豪語しているくらいだから、選手の目線を変える手助けにと色んなポジションを試してみる事も風間監督は積極的だった。だがそれも、ともすると選手をただの駒としか見ていないように外野からも選手からも感じてしまう事も多々あった。神戸戦のシミッチのCB起用なんて最たるものだろう。あれは流石にドラスティック過ぎた。試合途中でシミッチの心がポキンと折れた音が聞こえたもん。

でもね、風間監督のやってる事や言っている事、理想のサッカーの事は本当に理解できるし、本当に形になったらとんでもないチームになるんじゃないかとワクワクしていた。調子の良い時のサッカーは観ていて「サッカーってこんなにワクワクして楽しいんだ」と泣きそうになる事も多々あった。

だからグランパスのフロント陣(特に社長とか)はギリギリまで我慢していたんだと思う。何時も矢面に立たされる大森SDのWEB会員限定のインタビュー読んでも苦渋の選択だった事はよく分かった。

「理想と現実」というのは人生の何事においても付き纏うもので、どんなに夢のある理想でも現実的な問題とのバランスが崩れた瞬間に「夢ばっか見てんじゃね-よ!」となってしまう。「海賊王に俺はなる!」と頑なに言われても「お前、泳げね-じゃん」っていうマイナス要素が目立つ状態では説得力が無い。

風間監督は守備を疎かにし過ぎていた。風間監督に唯一、本気のダメ出しが出来る部分がそれだ。【攻撃は最大の防御】という有名な言葉があるが、あれ本当は意味の半分しか広まっていない。諸説あるが出典は孫子の兵法だと言われていて、正確には「勝つべからざるは守るなり、勝つべきは攻むるなり」と言い、どちらかというとまず守備固めを第一とした考え方だ。

まず守りを固め、足場を作り、そして機を見て素早く攻撃に移る。好機には攻撃こそ最大の防御なのだが、その初手を風間監督は曲解している気がするのだ。劣勢の時にどうするのか?そこを構築しないまま攻撃時の理想ばかりを追いかけてしまい、今があるのだと思う。

武田信玄の【風林火山】こそを風間監督には描いて欲しかった。

臨機応変、状況によって全員守備、全員攻撃。その変貌はまさに風のように疾く鋭い。そんな超攻撃的サッカーを作って欲しかった。その為には、やはり守備の構築というのは大前提だったと思う。

だからグランパスがマッシモ・フィッカデンティを招聘したのは理にかなっている。壊滅的な守備の地固め無くして理想的な攻撃なんて出来ない。ほんの数滴の規律という薬を入れるだけでグランパスは変われる気がしている。だって、良い時のグランパスは美しい攻撃が出来るのだから。

結局、川崎フロンターレ時代と風間監督は同じ轍を踏んでしまったのかな。そこが残念でならない。出来ることなら風間監督の理想とするサッカーで優勝するグランパスが見たかった。

風間監督お疲れさまでした。監督の理想、実現して欲しかったです。

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