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雑記という名のnote

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2020年6月の記事一覧

和田誠さんのイラスト

白い紫陽花

「空脳」を思い出して写真館

散歩の日々である。今日も散歩をした。 そして今日からJリーグが再開された。まずは開幕すら出来ていなかったJ3から始まり、夕方からはJ2が再開。来週からはとうとうJ1も再開される。 DAZNで何試合かザッピングして観ていた。サッカーのある日常、当たり前が当り前じゃなくなってしまった世の中で、少しでもそれぞれの日常が戻ることは素敵なことだと思う。 そう、素敵なことだ。なのに何故か突然、言いようのない焦燥感に駆られてしまい慌てて散歩に出た。 あまり商店街とか人混みの出来そう

東京アマガエル

今日も昼間に散歩していた。毎日、別の道をなるべく歩くようにしている。そして、道すがら紫陽花をよく見かける。 ところで紫陽花といえばアマガエルやカタツムリがセットでイメージされる。イラストとかでも描かれているように思うし、子供の頃は紫陽花の葉にはアマガエルやカタツムリがいるのが当たり前のことだった。 意識して紫陽花を見ているが、特にアマガエルを見かけない。というか、よくよく考えると東京でアマガエルを見た記憶がない。東京にアマガエルは存在しないのか? 調べてみると東京では生息

揚羽蝶と紫君子蘭

散歩中は周りの変化や発見を楽しむことを心がけるようになった。どうしても家を出る時は気持ちが沈んでおり、必然的に下を向いて歩いてしまうので、なるべく顔を上げて歩くようにしだした。 あつ森もやっているから、島クリエイトの参考になるような庭だったりガーデニングも目に入るようになって今の時期なら紫陽花が綺麗に咲いていて「あ、この紫陽花の低木の並びはいいな」みたいなことを考えられるように少しずつなっている。 今日もまた、あてもなく歩いていると目の前に揚羽蝶がふわふわと現れて、花に止

散歩もの

最近、暑くなってきているのだけど、そんな気温に反して昼間とか夕方に散歩するようになった。理由は家にいて落ち着かなくなってしまうから、よくない感情が抑え込めないから、ということなんだけど、とにかくそういう時は無理やり着替えて外に出る。 『孤独のグルメ』の久住昌之・谷口ジローコンビの『散歩もの』というマンガがある。近頃の僕の散歩のバイブルだ。仕事帰りに見知らぬ土地をぶらぶら散歩して道に迷ったりすることを楽しんでいる主人公の話である。 僕は最初、散歩コースが決まっていた。ほぼ一

春泥の子猫と片腕の招き猫

とある雑誌の特集で昔お世話になった動物病院のことを見かけた。保護猫活動もしている病院で、とても雰囲気もよく親身になって相談にも乗ってくれた。でも、ある日を境に足が遠のいてしまった。 もう6年前のことだ。夕方からディズニーにアフター6でも行くつもりで出掛けた時だったと思う。駅に向かう路地で、か細い猫の鳴き声が聞こえてきた。立ち止まりキョロキョロと辺りを見るとボロボロの小さな猫が電柱の隅にいた。 なんだかジッと見つめられ「助けて」という声が聞こえた気がして、僕らは近づいた。そ

あやうく一生懸命生きるところだった

お薬のお世話になることになった。 こういう本格的なのは初めてだ。はじめに処方された薬は一週間服用したが効果がなかった。先日、再診で話をして処方を変えて貰った。 よく効いている、気がする。ただ、物凄くぼんやりとする時間が多くなった。思考が遅く、深く考えることが出来ない。「出来ない」じゃなくて「しない」のかもしれない。そして「やれることをやろう」という気持ちだ。少しこれは前向きな気がする。「出来ないものは出来ない」そう割り切って、いま目を背けている問題とかにも向き合えると良い

永遠も半ばを過ぎて

とても憂鬱で、とてもしんどい毎日となっている。人生の分岐点なのだろうか。どうしたらいいのか、今日も明日も通院だ。 『永遠も半ばも過ぎて』とは、故中島らもの小説のタイトルである。 という書き出しのエッセイが大槻ケンヂ『いつか春の日のどっかの町へ』にある。オーケンはそこで「永遠の半分とはどれくらいだろう」「人間の一生の半分なら人生80年として折り返し地点は40歳だ」と書いている。 そして『四十にして惑わず』という孔子の言葉を引き合いに出し「孔子は何もわかっていない。40歳に