新興宗教「霊波之光」教団本部に行ってみた。
1 新興宗教施設に行ってみた。
令和5年(霊波108年)3月某日、イカレタ職場の同期(アラサー独身男性)から新興宗教の施設に行ってみないかと誘いを受けた。正直意味が分からなったが、面白そうだったので着いていくことにした。小生には親鸞やアウグスティヌスのような尊敬する宗教家はいるものの、自覚的に信仰している宗教はなく、西部邁の言うように信仰を求めつつも信仰に至る勇気をもたない人間なのだろうと思っている。
宗教法人法第2条では公共性を有する礼拝の施設が宗教法人の要件の1つとなっており、諸宗教法人は独自の施設を有している。誰しも一度はド派手な建築物を見たことがあるだろう(鹿苑寺のキンピカもその類なのかもしれないが…)。そして、そうした施設に足を踏み入れてみたいと思ったことのある人も少なくはないはずだ。
新興宗教施設を訪問、見学することのメリットは以下の2点くらいである。
・宗教、特に新興宗教への理解を深めることができる。
・非日常を味わうことができる。
もちろん宗教の礼拝施設を訪ねる際には、信仰の尊重とマナーの厳守には十分注意しなければならない。静謐な礼拝を妨害したり、信者が敬意を払っているものを貶すような行為は厳に慎まなければならない。もちろん立入りを禁止されているエリアに入るということがあってはならないし、写真撮影不可等のルールがあったりするので、見学等する際は注意を要する。
宗教とその信者にさえ敬意を払えるならば、新興宗教施設は知的でスピリチュアルな大人の無料テーマパークと姿を変えるのだ。
2 「霊波之光」とは
沿革
最初に今回訪問した宗教法人「霊波之光」について簡単に説明する。
「霊波之光」は波瀬善雄(1915~1984)が1954年に創始した人類救済と世界平和の実現を目的とする宗教である。なお波瀬善雄は信者から「御守護神様」と呼称されている。波瀬善雄(以降波瀬とする)死後の代表は波瀬敬詞であり、教団からは「二代様」と呼ばれている。成立の経緯としては波瀬が1954年に四国の霊峰山(波瀬が修行を行った山の総称とのこと)にて「大宇宙神」と一体化したことにより、神通力(=霊波)を放つ能力を獲得する。これによって他人の病気などを治療するなどし、世話になった人々が団体を立ち上げ、1957年、宗教法人としての認証を受けた。当初、本山は千葉県松戸市に置かれたが1969年に現在の千葉県野田市に移転した。教典である「御書」は1982年に刊行された。
信者数についてはネット上では70万~90万人や10万~20万人という情報があった。宗教年鑑、宗教統計調査等を漁ってみたが、データは存在しなかった(正確には見つけられなかった)。公式facebookのフォロワーは1600人ほど。創価学会のフォロワー数が43000人であることからも概略の規模は推測可能である。とはいえ有名フィギュアスケーターが教団のゴールドペンダントをつけていたこともあり、決して規模の小さな団体とは言えないだろう。
年会費
年会費は5000円。コストコの一般会員の年会費と同程度であり、小生が予想していた額より1桁ほど安かった。小生ならコストコを選ぶが、年5000円で祈りの静謐のなか穏やかに過ごせるのであれば安いとは感じる。年会費は前納制となっており、年末年始に会費を添えて更新の手続きが必要となる。「更新」を行わない場合は自動的に退会となり、新年度の札は配布されないとのこと。一方で以下のように多数の「御祈願」もあり価格は5千円もしくは1万円とされてはいるものの、種類によって価格は異なるらしく詳細は不明である。機関紙によると高額な祈願も存在しているようだった。
お祈りについて
「霊波之光」の祈りの言葉「唱え言」についても公式ホームページから引用させてもらう。
正式には二礼二拍手一礼ならぬ、一拍手合掌二拍手で礼拝を行う。合掌は波瀬の教えに従うという誓いを、拍手は死してなお三次元世界にとどまっている波瀬を呼び出す合図を意味しているらしい。信者が祈りをささげる際には皆、合掌しながらお辞儀をしていた。
なお教団本部では毎日正午に大規模なお祈りをしている。正午になると礼拝堂は満員となり、我々は礼拝をするつもりはなかったので外に出た。屋外にも大型のモニターが設置されており、屋外でも同時に礼拝が可能となっていた。
霊波暦
教団では波瀬が誕生した1915年(大正4年)を霊波元年とする「霊波暦」という暦を採用している。現在和暦では「令和」を使用しているのでアルファベット(R)で略する際は混同しそうであるが、教団は霊波歴をR、和暦の令和をrとしていた。
公式ホームページの年表は霊波暦と和暦の両方が記載されており初心者に優しい仕様となっている。
3 教義について
次に「霊波之光」の教義について教典「御書」からその概要を「御書」の章立てごとに紐解いてみたい。先に断っておくが、小生は信者ではない上に「御書」を精読したわけでも、他の教団内資料を参照したわけでもないので、内容についてはWikipediaなみに不正確である。ご容赦いただきたい。大多数の人にとっては無味無臭でとても退屈な内容なので基本的に本章を読む必要性はない。(なお同行したアラサー独身男性が作成してくれた資料のパクリである)
「御書」の教義
(1) 神
神は実在する宗教でいうところの四次元は、死後の霊魂の世界であり、神の世界である。
宗教は、精神修養を目的とする道場である。
奇跡は、神が必要として起こすべき時に起こすものであるため、人間が必要に応じて奇跡を起こすことはできない。
四次元は、人間に知覚できない世界であるため、無の世界である。これが本当にあるのかを実証するには、神通力による奇跡で実証する以外はない。四次元の神は、人間に感知できないものであるため、自分たちの都合によって信仰の必要性を考えてきた結果、仏のような偶像が神通力を有するものとみなされてしまった。
(2) 真理と実相
信仰の本質は、宇宙の本体からなる不変の法則を守ることである。宇宙の本体から定められた生命の実相(=真理)を知ることで、本当の幸せをつかむことができる。現代の信仰は、宗教哲学や心理学を応用した生活のために知恵に過ぎない。
自然淘汰(若年死などの、不運や不幸)=宇宙の真理を犯したことによる裁きであり、人間の知恵が作り上げた宗教では救うことはできない。宇宙の本体からなる大自然の法則を変えることはできないからである。これらの信仰(=従来の宗教)は、苦しむことは仕方がないこととして諦めさせ、神や仏に罪を着せてきた。現世の宗教は神通力を失っているため、諦めを信仰に取り入れ、自然淘汰は解決できない問題とし、「因縁により苦しむ」ということにした。
善人であっても、宇宙の法を犯すことによって、真理によって裁かれる。宇宙の真理を学び、人間はどのような生き方をすればよいか知らなければ、心の安らぎを持つことはできない。
(3)信仰の本質
信仰の基礎知識なしに、ただ欲望を満たすための考えを持つものは正しい信仰心があるとは言えない。本当に助けてくれるのは真実の神であるから、神を利用するようなことはあってはならない。神に自分の心が通じることは一生かかっても無理であり、霊波を送ることで因縁を取っているから救われる。信仰の土台は、他人に迷惑をかけないことである。
神は、「宇宙神」ただ一つであり、人智によって偶像化されたものは本 当の神ではない。従来の宗教の信仰は、人智の方便にすぎなかった。人間がトランス状態になるのは、低級霊である「サタン霊」に乗り移られているためである。サタン霊は感情霊といって、人間に一番波長が合うが、神に守られている者は、低級霊に恐れる必要はない。
霊魂は四次元の存在であり、人間の生命を支配権を掌握している。宇宙芯(神)が霊魂の根源であり、人間の生死・幸不幸を左右する。霊波之光で本当に救われるのは、宇宙神に守られているためである。生命の実相とは、神に守られて生きることであり、本当の人間の生き方である。また、霊魂の世界には時間はない。
(4) 霊魂と因縁
霊魂は、人間の肉体の守護霊であって、人心の汚れが染みとなってついてしまう。このため、死後すぐに神界に帰り、大霊のもとに戻ることはできず、幽界での浄化を要する。一方で因縁は、死んだ人がこの世にある時に作った罪であり、残された子孫にとっての置き土産である。因縁は祖先から累積されていく。
死後の世界の霊魂と、この世の人間は全く関係が断ち切られる。幽界で浄化され、大霊のもとへ帰る。生まれ変わりはない。
(5) 神の目的
神の目的は、個々の人間を苦しみから救うことではなく、地球全体の平和の実現のためである。そのため、人には考える自由、ものを造る自由を与えられている。従来の宗教が世界平和を叫んでいたのは、宗門拡張のための方便だったのではないだろうか。
以上が「御書」の内容であるが、要するに教祖、波瀬善雄が救世主であると信仰する宗教である。基本的な構造は「ナザレのイエスが救世主である」とするキリスト教と同質である。だってサタン霊とかでてくるし…。一方で「御書」には「因縁」や「実相」といった仏教用語が用いられており宗教的な混血を強く感じる。前述したように祈りをささげる際には神社に参拝するかのごとく拍手を打つ。また教団本部には手水舎が設置されており、見学の際は寺社仏閣に参ったのかと錯覚した(過言)。以上のように教義については諸宗教のごった煮感をぬぐえないのである。
疑問点を上げるとするならば
・ 波瀬善雄が宇宙神から啓示を受けるまで、宇宙神は三次元とコンタクトしたことはなかったのか?していないのならそれはなぜなのか?
・霊魂が宇宙芯から分霊されたものであるとしたら、どうしてわざわざ三次元(物質の世界に)に来なくてはならないのか?
・「二代様」の正統性について。教祖と血縁関係があるだけの後継者である「二代様」を崇め奉るのはなぜか?「霊波」は「御守護神様」から「二代様」を通して賜るというが、死してなお三次元世界(物質の世界)にとどまる波瀬(講話において教団幹部はそう説明していた)はなぜ「二代様」を媒介にする必要があるのか?
・因縁はどのように相続配分されるのか?子孫のいないものの因縁はどうなるのか??子孫が複数いる場合は我が国の民法のように遺産と同様に分割されるのか???
・「大宇宙神」はベンサム主義的な立場をとるのか?つまり世界平和のためなら一定の人々の苦しみは看過するのか?それとも宇宙神は全知全能なのか?
教団職員に質問できなかったので、有識者の方はご教授ください。
個人的な感想ではあるが、全く知的な興味をそそられないドグマである。波瀬を神格化するために、それっぽいものを集めてきただけ。宗教的なごった煮、むしろ闇鍋というべきか…
これは全くの偏見であるが一般の信者は教義について深く考えを巡らせているわけではなかったように見える。詳細は後述するが、見学した教団幹部による「おはなし」の雰囲気は全く重苦しいものではなく、こうした「御書」の教義にはあまり触れていなかった。こうした風潮はおそらく現世利益を重視する宗教であるというのがその要因であろう。一般的な信者はただただ健康で幸せな生活を送りたいだけなのだろうから。
4 「霊波之光」本部施設に行ってみた。
たぶん読者が興味あるのはここから
前置きが非常に長くなり読者諸兄には長文駄文を5000字も読ませてしまったことを申し訳なく思う。
おそらく最初に浮かぶ疑問は「信者ではなくとも本部施設に入れるのか?」だろう。
一部、立入禁止区画があるが基本的には入場可能である。しかも無料で。
なお敷地内については写真撮影が全面禁止であったため一切写真撮影をしていない。敷地内の様子が気になる方は公式ホームページの参拝ガイドを参照されたい。
なお小生らが見学したのは土曜日。休日だったということもあり参拝者は奉仕活動中の信者を含め常に100人以上はいた。参拝者の殆どが50代以上の年配であり女性のほうが多いように見えた。10人ほど、20代と思しき参拝者も見かけた。20代前半であろう若いカップルもいたのは驚きであった。
所在地
所在地は千葉県野田市山崎。東武アーバンパークライン(野田線)運河駅から徒歩7分ほど。運河駅東口を出て北に進むと霊波之光が寄贈した歩道橋「ふれあい橋」がある。橋を渡って直進すると右手に東京理科大学野田キャンパスが所在、女子大生を見たいという欲求を抑え直進すると本部施設が右手に見えてくる。
根拠はないが、おそらく野田キャンパスの理科大生も何人か見学のため本部施設に紛れていたと思う。
なお開門時間は午前9時から午後4時まで。月曜日は閉門日となっており、月曜日が国民の祝日の場合は通常どおり開門、代わりに翌火曜日が閉門日となっいる。
「救いの城 天使閣」
参門を入ると正面に「救いの城 天使閣」という日本の城郭の天守閣を模した建造物が見える。おそらく「霊波之光」の目玉建造物である。1975年完成。生前、波瀬は天使閣に居たとのこと。
完全な神域なので(なぜ野田なのだろうか…?)基本的には立入りはおろか近くで見物することもできない。霊波之光の大祭日や、大晦日、正月三箇日には天使閣のすぐ前まで行って参拝することができるそうです。
なお「天使閣」は完全に神の世界であるとのこと。建物内への立入りはおろか近づいて外観を見学することもできなかった。
この建造物の「天使」が何をもしくは誰を指しているのか不明である。ユダヤ、キリストもしくはイスラム教の天使なのか、救世主としての教祖なのか…「御書」に天使という概念はなかったが、「サタン」はあったので小生は頭を抱えている。
「御由来館」
参門を右手に進んでいくと「御由来館」という教団の博物館が建っている。自由に見学が可能である。誠に遺憾ながら小生らは地階と2階を見学することはできなかった。
1階には波瀬の立教までの経緯や波瀬が起こした奇跡「御由来」が時系列順に人形で再現されている。修行時代の波瀬が四国山中の山小屋で一人座禅を組んでいたところ見知らぬ白髪の老人が現れ何か意味ありげなことをつぶやいたできごと、修行中の弟子が滑落した際に波瀬がワープして空中で弟子を抱き留め命を救ったできごと(なおその時に弟子が教団に送った電報も展示されていた)、枯れた井戸を復活させたできごと、あと一つなにかあった気がする。
2階には「アクアキッズランド」というフロアがあり。こちらに円筒形の水槽と壁面を使った大きな水槽が設置され熱帯魚を観賞できるそう。子供向けのアクアリウムとなっており子供が飽きない工夫がされている。
3階では波瀬の写真が多数展示されていた。波瀬自身はけっこうダンディなおじさんでした。波瀬が愛犬と戯れているようなカジュアルな写真もあれば、平安装束を身に着けてなんらかの儀式を執り行っているものもあり、バラエティに富んでいて飽きることはなかった(10分は)。
4階は図書室となっており教典や機関紙のバックナンバーを閲覧できる。大きな喫煙室があり喫煙者のオアシスである。教団施設内に喫煙所は多数あり、ヤニカスの私にとっては居心地の良い場所であった。おそらく波瀬がヘビースモーカーだったのだろう。
ウバメ樫庭園
「御由来館」の前には美しい日本庭園がある。樹齢800年から1,000年のウバメ樫があるらしい。そんな巨木があった記憶はないが…
規模は決して大きくはないものの、樹木山石は見事であった。公式HPにも教団本部に「一歩足を踏み入れたとたん、心がさわやかになった、体が軽くなったと喜ぶ方達がたくさんいます。」とあるが、教団本部自体が綺麗な公園もしくは綺麗な大学キャンパスのようになっているので心がさわやかになるというのは、あながち嘘ではないとは思う。
ウバメ樫庭園付近を見学していたところ、付近を教団の巫女が通過した。巫女は20歳程度で、おつきの女性二人とともにゆっくりと歩いていた。中身は不明であるが、手には漆塗りの木箱を持っていた。信者は合掌して正対していた。我々は気づかぬうちに巫女の通過ルート付近におり、通過の妨げとなりそうだったため職員に注意を受けた。見学される皆様には注意していただきたい。
玉碑
ウバメ樫庭園の隣に「祈り」と刻まれた直径70センチほどの球体の石碑がある。台座には、波瀬が詠んだ詩「神への道」が刻まれている。正直なんか石碑があるなぁとしか思わなかったが、信者はしっかり石碑にもお祈りをしていたので教団内では非常に格式が高いものであると推察した。
ドムドムハンバーガー
本来なら「RHKプラザ館」 と章立てすべきであるが、日本初のハンバーガーチェーンであるドムドムハンバーガーとした。ドムドムハンバーガーは1970年に第1号店をオープン、最盛期には400近い店舗を数えたが、2023年4月現在で27店舗まで激減しているレアなハンバーガーショップだ。「RHKプラザ館」の地下1階に3店舗ほど、約200席を抱えるフードコートがあり、そのうちの一つがドムドムハンバーガー野田運河プラザ館店である。店名からは新興宗教施設内に所在するとは想像できないが…。正午のお祈りの時間に営業を中断するほかはイオンのフードコートのハンバーガーショップとなんら変わりはない。もちろん信者じゃなくとも利用できる。GOOGLEマップの口コミでも信者でない方が多数利用しているのがわかる。小生はビッグドムセットを注文、おいしくいただきました。正直な感想としてはビッグマックのほうが口には合う…。ドムドムハンバーガーは変わり種メニューを販売することがあるらしいのでぜひ立ち寄っていただきたい。
礼拝堂
「RHKプラザ館」の奥に進んでいくと礼拝堂がある。礼拝堂は幸福の科学の施設と外見はほぼ同じ、いわゆるギリシア神殿風である。なお正面玄関にはエスカレーターもありバリアフリーな建築となっていた。礼拝堂は5階建ほどの高さ。地階もあった。300名ほど収容できるメインの礼拝堂には中央前方に5メートルほどの波瀬の立像が置かれており、内装はキリスト教教会風である。オリジナリティはなかった。なお教団幹部によれば礼拝堂は「天と地の接点」とのこと。もちろん礼拝堂地下には喫煙所があった。ヤニカスパラダイスである。
おはなし
礼拝堂内には他にも講義をうけられる収容人数150人ほどの講堂があり、教団幹部(名札の肩書は「元老」であった)による「おはなし」を聴講することができた。1時間半ほと聴講していたが常に100人ほどが入れ替わり立ち替わり耳を傾けていた(3割は船を漕いでいたが…)。講堂の出入りは完全に自由。1時間半ほど講話を聞いていたが、その間に講話者は一度入れ替わった。
一人目の講話は主に教団の奇跡についてである。全ての奇跡が限りなく胡散臭いものであった。一例を取り上げる。片頭痛に悩まされている青年が教団に入信し祈願うけたところ症状が軽くなった。しかし完治したわけではなく入信後も片頭痛には悩まされていた。ある時、親戚の家に行ったところ、知的障がいのある中学生が今で暴れていた。彼はそれを不憫に思い親戚のために祈ったところ、突如雷に打たれ1メートルほど吹き飛ばされて失神した。気づいた時には片頭痛が完治していたとのこと。個人的には笑いをこらえるのに必死であった。マスクをつけて行ってよかったです。奇跡の話題が出るたびに拍手が起こっており、ドラマやアニメでみるような光景を目の当たりにできた。貴重な経験となった。
二人目は主に教団の教義について語っていた。教義といっても体系的な話ではなく主に道徳の話であった。記憶の範囲で内容をピックアップしたい。
「大宇宙神」は人々の願いを70%だけかなえてくれるくれる。残りの30%は自分から歩み寄らなくてはならない。つまり相応の自助努力が必要だということだ。
「二代様」のスローガンは「伝えよう!導こう!」である。自分に起こった奇跡のことを人に伝えないと次の奇跡は起きない。要するに布教活動をしろということだ。
「御守護神様」は必ず信者の前に現れる。しかし姿は本人の姿をしているとは限らない。もしかしたら自分の嫌いな人間の姿をしているかもしれない。だからどんな人に対しても笑顔で接しましょうとのことでした。「御守護人様」が現れるかは別として、どんな人に対しても笑顔で接するのは大事なことだとは思います。小生も頑張ります。まじめな話をすると、宗教には人々に教えによって道徳的な振舞いをさせる力がある。この点に関しては大いに評価されるべきだと考えている。挨拶にしてもそうだろう。教団では挨拶を大切にする。実際、小生らも施設内では登山者なみに(登山の経験がない人にはわからないとは思うが、山登りするときは皆よく挨拶する)よく挨拶をしてもらった。
5 おわりに
小生らは特に勧誘等はなく見学させてもらった。ありがとうございました。読者の皆様も気軽にドムドムバーガーを食べに行ってもらいたいと思います。
なおその後、3人でパチンコ店に行き各自1000円ずつ遊興した。3000円が6000円になったので「御守護神様」の加護があったのかも知れない。初めてパチンコを打った私は何もわからないうちに1000円を擦っただけだったが…
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