[組織ブログ Ver.28]当事者意識は自分の「盲目の窓」を理解しなければ、本質的に持つ事は難しい
「自分の行動の大半が無意識的に起こっていることを、本質的に理解しなければ、当事者意識を持つ事は難しい」
この気づきを得たのはここ最近のことでした。
先日あるセミナーに参加をして、このことに気づきました。「当事者意識」という言葉は、ビジネスマンであれば、誰しも耳にしたことがある言葉だと思います。ただ、この「当事者意識」を本質的に持つことができるのは、おそらくビジネスマンのほんの一部であると個人的には感じています。そして、僕自身は持てていない可能性があると思っています。
本ブログではそんな内容を記載したいと思っています。
1. 「自分自身の行動の大半が無意識」について
皆さまは、自分自身の顔や行動を直接見たことがありますでしょうか?最も正確に自分を確認する術としては「鏡」だと思います。朝起きて、会社に行く/仕事をするまで、鏡を1度も見ない方のほうが少ないかなと思います。
などのアクションを起こすかと思います。ここで大きなポイントとしては、僕ら人間が自分自身を鏡で見る際は、
「準備された自分」
を見ていることに気づいておりますでしょうか?鏡を見るときに、自分の最も嫌いな顔をする人はほとんどいないのではないでしょうか?おそらく自分自身、無意識的に「自信のある顔」をしているはずです。つまり、「理想とする自分」のみを鏡で見ている、ということになります。どういうことかと言うと、自分自身の行動を「見る」という行動の中で筆頭である、「鏡の中の自分」ついては、「準備された自分」「理想とする自分」に過ぎません。
突然ですが、皆さま「イライラした自分の表情」をじっくり観察した事はありますでしょうか?おそらくほとんどの方が「ない」のではないでしょうか?僕は記憶にありません。同じような質問します。
これらを見たことがありますでしょうか?
見たことがある方はいらっしゃるかもしれませんが、じっくり観察をした事は無いのではないかと思います。もう一つ別の質問です。
「自分が最も親しい間柄にある相手の前述したそれぞれの顔を見た事はありますでしょうか?」
僕はすべて見たことがあります。どんな「場面」で、どんな「表情」をするのかはある程度把握しているつもりです。皆さま、お気づきでしょうか?つまり、「自分」の行動よりも、「相手」の行動をよっぽど僕らは観察してるのです。そして、観察をした上で「解釈」を勝手にしています。
一方で、「自分」の行動は、自分よりも「相手」の方がよっぽど理解している可能性があります。前述した通り、自分の行動は鏡くらいでしか観察をしないかと思います。補足をすると、最近はオンラインミーティングの録画などもありますし、自分の顔を見ながら相手と話す機会は増えましたが、そこまで多くのご経験をお持ちではないかと思います。
これまでの話においては「表情」の話をしましたが、「一挙手一投足」と細かい粒度においても、僕らは自分の行動を観察することがほぼできていないですし、そしてそれが無意識の中で行われていることを理解いただけるのではないかと思います。
2. 「相手の行動は、相手自身も無意識で起こしている」について
前項で説明した内容の「逆」のことが発生しています。つまり、相手の「行動」は、相手自身は無意識で行っています。つまり、「自分」が見えている相手の行動は、相手よりも「自分」のほうが観察することができます。整理をしましょう。
ご理解いただけますでしょうか?これに気づいたときに、これまでの人生観がひっくり返ったような衝撃を受けました。なぜならば、僕自身が「自分を最も理解しているのは自分」と思い込んでいたからです。そして、コミュニケーションを取る「相手」から、「自分(相手)のことをよく理解してくれていない」と言われた経験が何度かありますが、相手は、自分自身の行動が無意識なため、ここで言う「理解」の認識のズレが発生しています。
3. さらに話を複雑にする「行動」と「解釈」について
本項はさらに複雑な話をします。前項までにご説明いたしました内容に加えて、「認知」が人それぞれ千差万別があることを認識しなくてはなりません。どういうことかと言うと、相手が目の前で起こしている「行動」に対して、僕らは「認知」をします。例えば、
僕らは、無意識的に相手の「行動」に対して「認知」を加えています。「認知」と言うと、イメージがしにくいかもしれませんが「解釈」と表現したほうがわかりやすいかもしれません。話を整理します。繰り返しになりますが、
ここで「自分」もしくは「相手」が起こした行動に対して、双方において「認知(解釈)」をそれぞれの価値観に従って実施しているわけです。これが起こることによって、人間関係における歪みが生まれないわけがない、と個人的にはびっくりしました。
先日参加したオーセンティックさまのセミナーの資料です。
前述した通りの内容を図で表現いただいてますが、相手とコミュニケーションを取る上で、そして人間関係を構築するにあたって、ものすごく重要な内容であると個人的には感じました。
4. 「評価」を加えずに「観察」をする能力は、人間の最大の知性、について
少し話がそれますが、人間は相手の「行動」に対して、無意識的に「評価」をしています。本ブログにおいて言葉が乱立してしまったので、整理をすると、ここで言う「評価」は、前項における「認知(解釈)」と同意語だとご理解ください。
「評価」を加えずに観察する能力とは何か?
前項で説明した通り、僕らは日々コミュニケーションをとる相手の「行動」を勝手に「評価」をしていることがあります。
このように、相手のことを「評価」している事は無いでしょうか?少なくとも僕はあります。これは、自分が勝手に「評価」を下してしまっていることをご理解いただけますでしょうか?そして、相手に聞いていないのに、そう「評価」をしてしまうことの危険性もご理解いただけるのではないかと思っています。そのため、第三者に「相手」のことを話す際に、
「Aさんは今日は機嫌が悪そうだよ」
これは「評価」が加わってることをご理解いただけるかと思います。もちろんその「評価」が正解の可能性もありますが、これは「観察」ではありません。「観察」は「行動」のみ、を定義した際に、この「評価」を加えずに「観察」をすることが、どれだけ難易度が高いことであるかをご理解いただけるのではないでしょうか?
5. 本質的に「当事者意識」を持つための3つのポイント
前段が長くなりました。ただ、本項を正確にお伝えしたいが故に、前段の説明があったとご理解ください。
本ブログの冒頭に「本質的に当事者意識を持つのは難しい」と記載をしましたが、前段の内容を関連させながら説明をすると納得感があるかと思っています。
早速説明を進めます。
5-1. 自分が事象の一部であることを自覚している
これはいわゆる「当事者意識」のわかりやすい説明だと思います。ここで言う「事象」はあらゆる対象になります。例えば、会社/事業部/グループ/チームなどです。
例えば、会社において「不満」があるとしましょう。
「不満」は自分を正当化させるための道具だと僕は定義しています。そのため、「不満」を感じた事象に対して当事者意識を持つ事は、限りなく難易度が高いことであることがわかります。なぜならば、不満は自分を正当化させたい故に出ている行動/感情だからです。自分を正当化したいということは、その原因が自分には「ない」と言う意思表示をしていることが多いです。
ただ、自分自身で感じている「不満」の「引き起こし手」が自分である事は大いに可能性があります。
例えば、「Aさんの業務態度が悪い」と言う問題があったときに、それにあなたが不満を覚えているとしましょう。一般的にはAさんに非が当たることが多いかと思いますが、なぜAさんの業務態度が悪くなったのか?その理由が自分の「無意識的な行動」が発端であることも、十分に考えられます。なぜならば、前述した「自分自身の行動は、相手にとって丸見え」だからです。それと同時に、自分よりも「相手」の方が自分自身の行動を見えているからです。
少し話がそれますが、仮に何かしらの不満が発生したときに、「システム思考」で物事を捉えていただくのはオススメです。システム思考について本ブログで記載をしてしまうと、かなり長文になってしまうので、下記ブログをご覧ください。
5-2. 自分自身に「盲目の窓」が存在していること
「盲目の窓」と言う新しい表現をしてしまいましたが、本ブログにおいて前述した内容を言い換えただけです。言い換えると「自分自身の行動は無意識に行われており、相手から丸見え」ということです。「盲目」と表現したのは、「自分自身の行動が盲目」と言う意味合いです。これについては、皆さま、ぜひ深く理解してもらいたいです。なぜかと言うと、人間はこれまで生きてきた中で、自分自身を最も理解できているのは「自分」と思い込んでいます。もちろん最も理解してるのは自分かもしれないのですが、最も身近で生活をしている「相手」の可能性も大いにあります。理由は前述した通りです。
話を「当事者意識」に戻すと、当事者意識とは前項で記載をした「自分が事象の一部であることを自覚している」を指します。ただ、どうしても当事者意識を持てないことってありませんか?僕はものすごく多くあります。
「え、これは●●さんのせいでしょ。」
「なんで、●●さんはいつもこのような態度をとってしまうのか?」
このように考えること、たくさんありませんか?
何度も記載していますが、ケースバイケースだと思いつつ、そして●●さんにも改善の余地が多分にあることを前提として、自分に「盲目の窓」が存在しているのであれば、これは筋が通る話だと思います。自分は無意識的に、
「イライラした顔」
「納得がいかない顔」
「ふてくされた顔」
を目の前の相手に大公開をしています。そして人間は頻繁に感情が動くため、そう解釈されてしまっても致し方ないです。繰り返しになりますが、当事者意識はその事象に対して、自分が原因の一部であることを自覚することなのですが、「自分の行動が無意識的に行われていること」を少しでも理解すると、目の前で起こっている事象に対して、当事者意識を持てる可能性が高くなると個人的に思っています。
5-3. 相手の「認知」「行動」は、「相手にとって”相手”である自分自身」の「行動」から生まれる
少し複雑な表現をしてしまいましたが、皆さま、1つイメージをしてみましょう。もし仮に、地球に自分1人しかいなければ、もしかしたら何も感情が動かない可能性があります。もちろん、「寂しい」「不安」と言う感情は生まれるかもしれません。ただ、少なくとも「人間関係」が発生する感情は皆無になると思います。「休日は1人でいたい」と言う方もたくさんいらっしゃるかと思いますが、これを変換してみると、「休日は相手の行動によって自分の感情を揺さぶられるのを防ぎたい」こんな表現にもなるかもしれません。話を戻します。
相手やチーム、そしてグループ/事業部、会社の中で行われているコミュニケーション、そして人間関係は、誰かが何かの行動を加えなければ、変化は起こりません。そして、2者間のコミニケーション/人間関係にスポットを当てると、「相手の感情」の引き起こしでは、自分が筆頭になります。もちろん、自分と相手が話をする前に、別の相手と話をしていた可能性もあるのですが、ここでは2者間の関係性の話にスポットを当てているという前提の話です。
何を申し上げたいかと言うと、「相手の行動/感情」は「自分が引き起こし手」である可能性が十分にあることを自覚するだけで、当事者意識を持てる可能性は高くなってきます。
6. 「自分が変われば良い」の弱点について
「相手を変える事は難しいから、自分が変わるのが1番早い」こんなことを社会人数年目の時に教わりました。素晴らしい考え方で、むしろ僕もメンバーにこれを伝えています。今でもこの考え方は賛同しており、素晴らしい姿勢だと思っています。ただ、これに弱点があると感じました。「自分が変われば良い」と言う思考に回った段階で、「自分が悪くないけれども、自分が変われば良い」と思い込んでいる可能性があると感じています。
どういうことかと言うと、「相手を変える事は難しいから、自分が変わるのが良い」と言うのは、潜在的に「相手が悪い」と決めつけてしまってる可能性が非常に高いと思っています。本ブログで何度も記載をした「自分自身の行動は、無意識的に起こされている」と言う前提を鑑みると、相手が引き起こしている行動については「自分がその引き起こし手」であることの理解も必要です。つまり、「自分が変われば良い」と言うことを考えていた場合に「相手が悪い」と思い込んだ上でのアクションであれば、それは「盲目の窓」が取り扱えていないと言うことになってしまいます。そのため、個人的に最もベストだと思っているのは「自分も変わる。そして、その原因の一部が自分であったと考えてみる」というのがベストのアクションなのではないかと思っています。
最後に
皆さんいかがでしたでしょうか。
※当社の採用/人事組織系支援にご興味がある方はお気軽にお声掛けください。
今後も採用/人事系のアウトプットを続けていきます。
よろしければフォローもよろしくお願い致します(左上クリックいただき、「フォロー」ボタンがあります)👆
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?