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[組織系ブログ Ver.4] システム思考について 〜自分とは関係「ない」と思っていた問題が、自分が原因になっていた〜

昨日は第3回の組織改革ワークが開始されました。
今回のテーマは「システム思考」についてです。

システム思考は、過去に少しだけ触れたことがあり、個人的にもすごく興味深いテーマでしたので、楽しみにしていました。

今回は、僕が個人的に学んだことを、気づいたこと、感じたことなどをとりとめなく書いていきたいと思います。


0. システム思考とは?

システム思考とは:
物事の全体像を捉え、さまざまな要素とのつながりを把握したうえで、最も効果的な解決法へ向かうアプローチのこと

日本の人事部より

少し遠回りをして説明させてください(次項へ)。


1. 論理的思考の限界

論理的思考力は、社会人にとって必須の能力と言えます。誰しも身に付けた方が良い考えです。個人的にも何度も助けられて生きています。

ただ、論理的思考力、すなわち一般的な問題解決手法で解決「できない」問題に直面し、且つそれを今回の組織ワークで肌で感じた経験が僕にとってすごく貴重でした。

皆さま、想像してみていただきたいのですが、目の前にある問題を自分なりに解決してみる。もしその問題が解決できなかったら、自分の「問題解決力」が足りなかった、そう捉える方が多いのではないでしょうか?

自分がこれまで解決してきた問題とは別の問題が発生し、何が原因なのか、どのような解決策が適切なのかを考え実行する。もし失敗してしまったら、また別の原因を探し、そして別の対策を実行する。これを繰り返すことが一般的な流れだと思うのですが、それでも解決しないことがあります。

そこまで時間をかけて解決しないようであれば、「放置」という結論になることもしばしばあるかと思います。僕もたくさんありました。

ただ、「放置」した問題は誰も解決してくれず、問題として残り続けます。また、その問題は雪だるまのように大きくなり、そしてウィルスのように様々な箇所に影響を及ぼし始めます。

少し話がずれてしまったのですが、論理的思考力では、解決できない問題がある。その気づきは僕にとって大きく貴重なものでした。


2. 論理的思考力で解決できない問題とは?

まずこちらをご覧ください。

システム思考という考えについて、初めて知った方にとっては理解するまでは時間がかかるかもしれません。この2つを見比べたとしても、具体的に何が違うのかは、言葉では理解できても、本質的腑に落とす事はもしかしたら複雑な問題の「当事者」にならなければ感じにくいかもしれません。

ただ、このように説明すれば、もしかしたら少しイメージが湧きやすいかもしれません。それは、

「組織」「人間関係」が絡む問題については、システム思考が役立つ

皆さま、組織(会社/コミュニティー/グループ/チーム)、人間関係でこれまでに悩んだ事はありませんか?悩んだことが皆無という方はいらっしゃらないのではないかと思います。

そして「組織」は、人間の集合体であり、様々な人間関係が複雑に絡み合っています。どんなに「良い」チームであっても、細かい人間関係の歪みは存在し、それがクモの巣のようにつながっていたりします。

一方で、シンプルに答えを見つけやすい問題については、論理的思考能力で解決できることが多いです。

当社の採用サービスで言うと、「応募数が少ない」という問題があった場合に、その原因を突き止め、その対策を閉じる。対策については、ものすごい数があるわけではなく、僕らがノウハウを持っている事も関係していると思うのですが、ある程度限定した施策が思い浮かべます。

という具合に、世の中に発生するあらゆる問題の中で、システムのように2つ以上のものが複雑に絡み合う、そのような事象に対して取り組んでいくのがシステム思考の考え方です。


3. どのようなワークに取り組んだのか?

まずはこちらをご覧ください。

このお題に対して、まずはポストイットで組織で起こっている不都合を書いていきました。
今回のワークは8名で取り組んだのですが、8名それぞれ感じていることが異なり、ポストイットに書いた全員の意見を見比べて、各メンバーが感じている問題がどのような因果関係があるのかを書いていきました。

どんな感じかというと、

Aという問題はBという問題を引き起こしている、いや、Cという問題がAという問題引き起こしているよね。あ、けど、Xという問題がBという問題も引き起こしているよね。ただ、Yという問題は、そもそもZという問題がないと発生しにくかった。

このような形で、全メンバーでアウトプットした問題を矢印でつなげていき、その矢印が本当に無数の本数がひかれたような結果となりました。

あらゆる「問題」が本当に蜘蛛の巣のように絡み合っている。ある問題を「経由」して別の不都合に繋がっていることもあれば、直接的に繋がっていることもある。
何が問題の根幹だったのか、特定することが容易ではなく、今組織で起こっている問題はここまで複雑だったのか?ということを肌で感じることができました。

この蜘蛛の巣を見た際に、特定の一つの問題を解決したとしても、別の問題が隣にある。
そのため一つの問題を論理的思考で解決したところで、隣にある問題を「同時に」解決することは考えていないため、結果的に問題は「遷移」していくだけ。


4. システム思考を学習して、体感して気づいたこと

今回、直接的に自分たちの組織に目を向けましたが、「システム思考」というもの自体を学んでみて気づいたことが多数ありました。記載します。

 4-1. システム思考で解決していく問題は発生予想が不可能

江上さんに教えていただいたのですが、

「良かれ」と思って取り組んだことが、別の問題の発生原因になっていた。

というのは驚嘆でした。

有名な話をすると(すみません、うろ覚えですのでご了承ください)

アメリカのある州において、犯罪率?が上がっていた。元を辿ると、20年前に「中絶を禁止」していた。そのため、意図しない子供が生まれ、犯罪に繋がっていた。

これは目の前にある問題を解決したのは良いものの、20年後に別の問題として発生をしてしまっていた。

もう一つ事例を。

組織においてある問題が発生した。その問題の当事者には退職してもらった。ただ、退職をしたことによって、その当事者はさらに不満を募らせ、別のメンバーを巻き込んでいった。そして別の問題に発展をしてしまった。

つまり、良かれと思って問題を解決したのにも関わらず、その問題が別の問題を発生させていた。そして、当初発生していた問題は20年前に発生していた問題が、巡り巡って20年後に別の問題が発生するとは…。

さすがにここまで予想することは困難なように思えます。

ただ、問題の発生予想が不可能、と捉えた際に、発生してからではないと対処できないのであろうか?それとも、発生する前に対処ができるのであろうか?ここの問いが深いと感じています。

 4-2. 自分が良かれと思って取り組んだことが、相手/組織にとっては迷惑であった。そして、自分が良かれと思って取り組んだことが、巡り巡って別の問題を発生させていた。

前項で記載をしていた内容を、もう少し自分の言葉で整理してみます。

結論としては、「自分が良かれと思って取り組んだこと」は深いなと思っています。

皆さん、自分が「良かれと思って取り組んだこと」が別の問題になって発生していたことを認められますか?やるせない気持ちになりませんか?

少しイメージしてみてください。

あなたの隣の社員が業務過多になっており、こそっと業務を一つ手伝った。そしてその業務はあなたが完結して、隣の社員に「やっておいたよ」と伝えた。
すると隣の社員が「ありがとうございます。助かります」とお礼を言い、次の日になった。
すると、隣の社員が上司から叱咤を受けている。横耳で聞いてみると、あなたが取り組んだ業務がズレており、結果的に隣の社員が怒られてしまった。
隣の社員からあなたに「なんで勝手にやったのですか?そのせいで僕は強く怒られてしまいました。余計なことはしないでくれませんか?」と言った。

経験がある方もいるかもしれませんね。
「良かれ」と思って実行した、結果的に相手にとっては迷惑になってしまった。
本事例はわかりやすい事例として記載をしたので、システム思考のつながり性はそこまでないのですが、こんな感じです。

そんなことを考えていると「良かれと思って取り組んだこと」がいくつか遷移するのではないかと感じました。

👆 こちらは僕が個人的にまとめているメモなのですが、
これは深いなと感じました。

つまり、「副次的効果」と捉えると、下記のような話になるのかな?と思っています。

「良かれと思って取り組んだこと」とは、問題解決施策とも言える。
何かしら施策を実施したとして、施策で「解決したい問題」は解決できるかもしれないが、

  • その問題を解決することによっての副次的効果

  • その施策を取り組むことによっての副次的効果

が発生するのだと思う。

そして、ここで言う「副次的効果」はポジティブにも変換され、ネガティブにも変換される。ただ、問題解決者/施策実行者は、

  • この問題が解決されることを期待している

  • そしてこの施策実行がポジティブに変換されると思い込んでいる

このようなことのほうが圧倒的に多いのではないでしょうか?


5. 自分は関係ないと思っている 目の前の問題を創り出しているのは「自分」であった


皆さま、これ深くないですか…?

僕はこの言葉を聞いたときに、ある種の驚嘆、喪失感、絶望、そして光明を感じました。

本ブログでさまざまな角度から僕の意見を書きましたが、整理をすると、

・システム思考は、複雑に絡み合った人間の感情も問題として捉える思考手法である
・論理的思考では、解決できない類の問題が発生する
・一つの問題が解決できたとしても、隣接する問題が解決できなければ、本質的ではない
・良かれと思って取り組んだことが、別の問題発生原因になっている
・良かれと思って取り組んだことが、相手にとっては迷惑であることもある
・施策実行者は、その施策にポジティブな成果を期待しているが、自分/相手/組織にネガティブな成果を齎すこともある

こんな感じでしょうか。
そして、本項で記載をした

「目の前の問題を創り出しているのは「自分」であった」

とは何か?

僕の意見を書きます。

システム思考で主に取り扱う組織や人間関係の問題について。
目の前で起こっている自分とは「関係ない」と思っている問題については、システム思考で考えた際に、発生の大元の原因は「自分」であったのではないか、と感じています。

例えば、AさんとBさんのコミュニケーションがうまく取れていない、むしろ悪化を辿っている、という問題があった際に、AさんとBさんに問題を帰属させることが多いです。

ただ、AさんとBさんはなぜ関係性が悪化していったのか?

(1) 同じ案件を担当しており、コミュニケーションが希薄化していた
(2)なぜならば、お互い業務負荷が重く、頑張ってはいたが精神的に疲弊感があった
(3)両者ある程度の経験があったため、マネージャーもフォローすることなく任せてしまっていた
(4)会社としては売上は順調で、たくさんの仕事が存在していた。その仕事を雪だるま式に受け取り、AさんBさんのような経験者に仕事を集めていた
(5)なぜ売上が順調なのかというと、1年前に3億円を投じて実施したCMが起因していた。そこから顧客が増えていった。

これを見てどう思いますでしょうか?
上記の問題を解決するためには、AさんとBさんの「コミュニケーション」における改善を着手するかと思うのですが、まさか、大元の原因がCMを打ったこととはさすがに思わないのではないでしょうか?

むしろビジネスとしてはCMを打って顧客を獲得していくことはポジティブな施策と言えます。ただ、このポジティブな施策が巡り巡って、AさんとBさんのコミュニケーション悪化に繋がっていたとは…。

僕は経営者です。当社はCMを打っているわけではないのですが、
会社が好調であればあるほど、目の前のメンバーの疲弊の原因を作っている可能性があることは、認識しなくてはなりません。

これはあくまで事例ですが、システム思考と論理的思考の両者の考えを持つことによって、ここまで捉え方が異なるのです。


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