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[組織ブログ Ver.38] リアルタイムに 「感情」と「ニーズ」を察知して咀嚼をすることの重要性を感じた話

「感情が動いたときに、リアルタイムで自分の感情とニーズにアクセスできるか?」

そんな投票をいただいたのが最近のことでした。最初は正直ピンときませんでしたが、冷静になって考えてみると、僕はこれまでの人生の中で、何かポジティブにもネガティブにも感情が動いたときに、その動いた(揺さぶられた)という事実について、数週間、長ければ数ヶ月揺さぶられ続けてしまうことがあるなと感じています。

その正体が最近わかってきており、そしてその解決策の糸口が見えてきた、そんなタイミングで本ブログを記載してみたいと思います。




0. NVCとは?

NVC(Nonviolent Communication=非暴力コミュニケーション)とは、1970年代に、アメリカの臨床心理学者マーシャル・B・ローゼンバーグ博士によって体系化され、提唱された、自分の内と外に平和をつくるプロセスです。

家族や友人から、職場、組織、国際関係まであらゆる人間関係を、支配、対立、緊張、依存の関係から、自由で思いやりにあふれた、お互いを豊かにし合う関係へと変えることを可能にする考え方、話し方という「方法」であると同時に、私たちに「なんのために、どう生きるか」を問う、根源的な「意識」でもあります。

それは、頭(思考)で判断・批判・分析・取引などをするかわりに、自分自身と相手の心(ハート)の声に耳を傾けることから始まります。

具体的には、観察(Observation)、感情(Feeling)、ニーズ(Need)、リクエスト(Request) の4要素に注目しながら、自身の内なる対話や、相手の言葉の奥の意図の推測、相手との対話を行います。

誤解や偏見、思い込みを注意深く見きわめ、「今」の気持ちと、その奥にある大事に思っていること・価値を置いていることを明確にしていくと、本当にやりたいこと・望むことを見出し、自らの力で実現する原動力が身のうちに生まれます。

このプロセスは、お互いの内面を侵さず、生来備わっている力を奪うことのない、すなわち自分と相手を尊重する方法でもあります。非暴力のゆえんです。

ここから、ともに平和をつくりだす道をひらきます。

NVC Japanより参照


1. NVCを理解してから起こしたアクション

僕はNVCについてまだ初心者ですが、初心者なりにNVCを知ることで起こしたアクションをご紹介したいと思います。

NVCで面白いなと思うのは「行動」と「感情」と「ニーズ」をきちんと分けていることです。特に「感情」が動くときに「相手の行動」のせいにしていたのですが、そうではなく、自分の「感情」が動くときは、自分の「ニーズ」が満たされたり、満たされなかったりした時なんだ、というアプローチは、当時の僕にとって非常に腑に落ちるもので、何より当事者意識を持ちやすく、改善がしやすいものでした。

具体的に言うと、僕は今の会社を立ち上げるまでに2社経験していますが、究極の自己責任主義を植え付けられていました。自己責任主義について学べたことは、今でも非常に幸せな環境だったと振り返るのですが、「自分が変われば」と強く思う人間でした。ただ、「どう考えても相手の行動が悪かった」と思うことがあり、自己責任主義で捉えても、こんな感情が芽生えていました。

「〇〇さんのこの行動で物事がうまくいかなくて、自分は苛立ちを感じた。ただ、〇〇さんの行動を変えることはできないから、自分のこれからの行動を見直して、自分が変われば、自分の周りも変わっていく。それを信じてやっていく。」

そんなスタンスでした。 この言葉に隠されているのは、

「〇〇さんの行動は変えることができない。そして、〇〇さんの行動で揺さぶられた自分の感情は、自分の心の奥深くにしまっておけ。」

ということでした。これ自体は、皆さんもおそらく経験があると思いますが、精神安定性はあまり良くないなと感じることがありました。自分の心の奥底にその苛立ちやモヤモヤをしまっておく、そしてそれを無視する形でどんどん前に進んでいく。そんなことを16年間ほどやり続けた結果、少し感情に対して希薄になり、相手の感情をしつけるような言動を取るようになってしまったと振り返っています。

NVCに話を戻すと、僕が捉えているNVCの素晴らしいところは、「自分の感情がポジティブにもネガティブにも揺さぶられたとき」に、相手の「行動」が要因ではなく、自分の「ニーズ」が満たされたり、満たされなかったりすることなのだと考えるところです。

※本ブログは「NVC ×〇〇」という内容です。NVCの基本的な内容は下記ブログをご覧ください。


2. なぜ「メンバーの退職」に感情を揺さぶられてしまうのか?

社会人になってからこれまで、自分が愛情をかけてきたメンバーの退職に直面する機会は何度もありました。ただ、この退職というイベントは、僕にとって辛いもので、どうしても「自分らしくいられない」と感じることが多くありました。

NVCを知ってから、この退職というイベントに対して、自分のニーズが満たされていないから感情がネガティブに動いてしまうのかと探求したときに、大きな気づきがありました。簡単にご紹介します。

僕は会社の代表です。そのため、自分のパーソナリティ=会社のパーソナリティだと無意識に思っています。そして、退職というのは様々な理由で起こると思うのですが、僕は退職という事象が発生すると「会社に不満がある」と勝手に変換します。そして、「会社に不満がある」を「会社が嫌いである」と勝手に変換していることがわかりました。先ほど申し上げた通り、僕は会社とパーソナリティが同じだと思っており、つまり「会社が嫌いである」というのは「山根のことが嫌いである」と変換してしまっている。僕の最も大事にしているニーズは「愛情」であるため、すごく飛躍した考えではありますが、

「退職をする」=「山根のことが嫌いである」=「山根に対して愛情がない」

と、即座に変換していることに気づいたのです。 なるほど、だから自分は感情がネガティブに動いてしまっていたのか、そんな気づきを得ました。

これを退職するメンバーにそっくりそのまま伝え始めたのが今年の2月ごろでした。僕は退職するメンバーとも良好なコミュニケーションをとっていきたいと思っていたのですが、どうしても心の奥底で折り合いがつきません。「僕が、器を大きくしてこのネガティブな感情をしまっておけば良いのか。」とだけ捉えていたのですが、やはりそれが難しく、ただこのNVCを用いての整理をしたおかげで、自分自身のニーズが満たされていないのではないかと納得する結論を導くことができました。

蛇足ですが、僕は会社の退職は、そのメンバーの何かしらのニーズが満たされなくなったからだと考えています。様々なニーズがある中で、このように考えると非常に納得感があります。

「メンバー自身も、会社から自分自身への愛情が満たされなくなったら退職をする」

もしこの方程式が導けるのであれば、僕は非常に納得感があります。なぜならば、僕のニーズは「愛情」であり、そのメンバーのニーズの一つである「愛情」が満たされていなかったら退職になるという事実がある場合、僕とそのメンバーのニーズは同じで、満たす/満たされないという行動自体が欠けていたと考えると、「非常に悪いことをしてしまったな」と当事者意識を持つことができるようになりました。少し飛躍した考え方ですが、僕にとっては大きな気づきだったのです。


3. NVCを学んだ後でも、どうしても感情が揺さぶられてしまう

自分の行動と感情とニーズを分離させて考えることができるようになってからも、日々の触れ合う方々の「行動」が要因となり、ポジティブにもネガティブにも感情が揺さぶられることが多数ありました。ただ、これは当たり前のことで、皆さんも日々生活をしている中で、感情が揺さぶられることは多々起こっているかと思います。

しかし、NVCを学ぶと、自分の感情が動くたびに、こんなことを考えるようになるのです。

「今、自分が感じている感情はどんな種類なのか?」
「今のこの感情は、自分のどのニーズが満たされた/満たされなかったから発生したのか?」

こんなことを考えながら生活しています。 ただ、それには2つのステップがあると考えました。

3-1. そもそも感情とニーズを思考/探す癖があるか?

僕も日々反省の毎日なのですが、特にネガティブに感情が揺さぶられてしまった場合に、冷静になって「感情の種類」「ニーズの種類」を思考したり、探す、というステップに至らないことがあります。つまり、自分の感情がネガティブに揺さぶられたときに、どうしても「相手の言動」に理由があると決めつけてしまい、何も反省をしない、そんなサイクルが一瞬にして回ってしまうことがあります。 先日、こんなブログを書きました。

なぜ、冷静になって、自分の感情やニーズの種類を探求できないのかというと、自分の状態自体があまり良くない時だと腑に落ちましたが、理想の状態としては、リアルタイムに自分の感情とニーズにアクセスし、すぐに「ありたい自分」に戻ってくることだと思っています。

しかし、それができない時が多くありました。 少しだけ内容に触れると、状態(ステート)を形成している要素として「体調面」がまず必要だと思います。自分の体調が悪いと冷静な判断ができなくなり、世の中の出来事がネガティブに見えてしまいます。また、「その相手」も非常に重要な要素です。苦手な相手やこれまで叱責を受けた相手には状態を良くすることが難しい傾向にあります。最後に「その話題」です。自分がプライドを持っている「話題」があります。僕で言うと「採用界隈の話」ですが、採用活動に詳しくない方に「山根さんのその採用の考え方は良くないと思います。」と言われると、完全に冷静でいることが難しいかもしれません。これが状態の種類です。

3-2. 感情とニーズの種類がわからない

「感情の語彙」と聞いて、皆さんピンときますでしょうか?

実は、今参加している勉強会でこの書籍を購入するルールがあります。これがまた面白い。僕らがこれまで感じていた点、そして言葉として表現していた「感情」は本当に限定的なものであったと振り返ります。僕がよくアクセスしやすい感情で言うと「イライラ」「苛立ち」「嬉しい」この辺でしょうか。ただ、イライラ/苛立ちというネガティブな感情を表現する言葉について、これは少々「雑」な捉え方だと思っています。どういうことかと言うと、

  • 自分が絶対に大事にしたいことを、非常に嫌いな相手に侵害されたことによってイライラした。

  • 自分が比較的重要視したいことに対して、非常に信頼している相手に触れられてしまいイライラした。

この2つの文章を見たときに、イライラの「尺度」は異なることはご理解いただけると思います。ここで「イライラした」という感情の表現を同じにすることが正解でしょうか?今の僕の答えとしては「否」だと思っています。

なぜならば、非常に嫌いな相手に絶対に大事にしたいことを侵害されたら「イライラ」ではなく「憤怒」レベルだと思うからです。
一方で、信頼している相手に「そこそこ重要視したいこと」に触れられてしまった時は「動揺」レベルだと思うのです。

つまり、感情の「語彙」が増えると、自分自身にポジティブなマインドコントロールができるようになると思うのです。「イライラしている自分」と自分に呪文をかけてしまうと、その時間、その日、その1週間、この感情に揺さぶられてしまいます。揺さぶられる尺度は様々ですが、心の奥底に「腑に落ちない」感情が常に発生している状況では、100%業務に集中することはできず、僕にとってはマイナスの要素になってしまいます。 一方で、「憤怒」レベルと「動揺」レベルでは「動揺」レベルであれば、すぐに咀嚼できます。むしろ、すぐに解決しようと思うかもしれません。もしかしたら一瞬で解決ができ、心の奥底に感情をしまっておかなくても大丈夫な場合もあるでしょう。

話を戻します。感情やニーズの「種類」がわからないという表現をしましたが、もし感情の「語彙」が増えれば、自分自身のセルフコントロールのレベルが非常に高くなるのではないかと考えています。


4. リアルタイムに感情やニーズを察知できれば「ありたい自分」の時間がぐんと長くなる

結論としては、これが難しい。

皆さんも「自分らしくない自分」を感じることは日々の生活であるのではないでしょうか?具体的には「相手の言動に感情が揺さぶられてしまい、ネガティブシンキングに陥って平然を装っているが、心の奥底はモヤモヤしてしまっている」状態です。

僕個人的には、社内外の様々な情報が、巡り巡るように舞い込んできます。自分が理想としている情報が日々入ってきているわけではありません。僕の悪い癖の一つですが、会社で起こり得るあらゆる事象に首を突っ込みたくなるタイプで、その様々な事象が自分の理想通りに動いていることはほぼありません。なぜならば、僕以外のメンバーが取り組んでいるからです。これはメンバーのレベル云々ではなく、微妙な理想の差異の話をしています。つまり、当たり前のように発生するギャップです。

特に重要なのは、「自分が当事者」である場合に自分らしくいられない時です。

例えば、自分以外のAさんとBさんが何かしらのいざこざがあった場合、僕が何かしらの「仲裁」に入らなくてはならないこともあります。「仲裁」と表現しましたが、間接的なフォローアップも仲裁の一部だと思ってください。この場合は、個人的には冷静に対処することができます。なぜならば、自分が当事者ではないからです。

一方で、自分が当事者である場合は、感情が揺さぶられる尺度がどうしても大きくなります。この場合、「自分らしくいられなくなる」可能性が上がります。人間、誰しも「おおらかな自分」「器が大きい自分」になれるのであれば、その権利を得たいと思うのではないでしょうか。なれるか/なれないかという選択を迫られた場合は、きっと「なれるのであればなってみたい」と思う人が多いのではないでしょうか。

ただ、リアルタイムに感情やニーズを察知し、自分らしくいられる時間を長くするためには、どうすれば良いのでしょうか?

4-1. 状態(ステート)

本項は3-1で説明した内容と同じです。自分自身の状態が悪ければ、自分自身の感情とニーズを把握できない場合が多いように思います。具体的には体調不良、精神的不安定、相手との関係性、その話題へのプライドなどが邪魔をして、冷静に感情とニーズを察知することができません。そのため、自分自身の状態(ステート)については注視するようにしています。

4-2. シャドウ

シャドウとは:
自分の「生きられなかった反面かつ半面」であり「意識(自我)の否定した要素」が心の中でイメージ化されたもの

僕はこの「シャドウ」についての正確な理解を現時点でしていないかもしれません。そのため、僕の解釈で説明をします。

僕が感じているのは「メンタルモデル」と「本当の自分」です。メンタルモデルとは?という詳細の説明は割愛しますが、自分自身の固定観念、自分自身が築けていない決めつけている自分、といいますか。
僕で言うと「器が小さい男」というメンタルモデルがあるのですが、「器が小さい男」だと皆さんに思われないために演じて起こすアクションが多数あったりします。ただ、僕自身が「器が小さい男」なのではなく、本当の自分は「ただ人生を楽しみたい」と思っているだけで、僕のこれまでの原体験が「器が大きい男でなくてはならない」と山根自身に呪文をかけている、そんな意味合いになります。 なぜ自分のシャドウ(ここでは、メンタルモデル/本当の自分と表現します)を理解していなければならないのか?それは、

「自分自身の感情とニーズの動きと、自認している自分へのギャップが発生してしまうから。」

どういうことかと言うと、僕らはメンタルモデルを隠すように生活をしています。そしてそれを無意識的に行動しています。その無意識に行動している行動を批判されたり、侵害されたりすると、感情とニーズは当然動きます。メンタルモデルは、人に触れられること、侵害されることを嫌がる傾向にあると捉えています。ただ「無意識に起こしている行動」という、自分自身が意識的に認めることができない、「自分のパンドラの箱」のようなものです。

すみません、うまく説明ができているのか分かりませんが、話を整理すると、

メンタルモデルは自分の固定観念であり、自分は隠せていると思っているが、周りからは丸見え。そして無意識的に出てしまう。 メンタルモデルは自己内省/探求しなければ明瞭になることはないと考えており、メンタルモデルを自認していなければ、なぜ感情やニーズを揺さぶられているのかを理解できないこともある。

と考えています。

4-3. 発達段階

成人発達理論における発達段階によって、物事の捉え方が変わってきます。環境順応型知性、自己主導型知性、自己変容型知性、どの段階に自分自身がいるかによって見える景色が変わってくると言えます。 例えば、自己主導型知性である場合、自分自身が考えていることが正解だと思う傾向にあると捉えています。そのため、相手の言動に対して自分自身の感情が揺さぶられた場合、それを自責に捉えることが難しいかもしれません。 また、垂直的発達の度合いによって「複雑な」感情やニーズを捉えることができるようになると考えています。発達段階の違いによって生じる摩擦を理解することもポイントです。「価値観が違う」という「わかり合う」ことに対する一種の諦めが発生することがありますが、発達段階が異なることによって、生じる摩擦を理解した上で感情とニーズを取り扱うことが可能になると考えています。

4-4. インテグラル理論

インテグラル理論については、先日こちらのブログを記載しましたので、詳しくはこちらをご覧ください。

インテグラル理論を理解すると、なぜNVCにおける感情やニーズにタイムリーにアクセスできるのか?個人的な意見を書いてみたいと思います。

インテグラル理論が興味深いのは、人間は知らぬ間にこれらのいずれかの証言で物事を考えてしまっているということ。無意識的にどこかの証言での反論をしてしまうことがあります。この4つの証言を理解することによって、物事を俯瞰的に見ることができ、本質も見えてくることがあります。この4つの証言をもっと早く知ることができていれば、解決できる問題もあったんだろうなぁと思うこともあります。 そんな中で、4-1で記載した「状態」について、状態を司る一つの要素として「その話題に対しての状態」があります。これをインテグラル理論の4つの証言に当てはめると、

  • 経営コンサルタントの人は〇〇についての話題に過敏に反応する

  • キャリアカウンセラー/コーチングの資格を持っている方は〇〇についての話題に過敏に反応する

  • 組織コンサルタントの方は〇〇についての話題に過敏に反応する

などがわかってきます。 また、自分自身の話をすると、インテグラル理論を知ってからは自分/相手が話している内容に対してどの証言でその意見を言っているのかを敏感に察知する姿勢が身についてきたと感じています。ある話題において議論が始まり、その議論が落ち着くことなく平行線になってしまった場合、違う証言で意見を言い合っているとその話が落ち着くことはないかもしれません。そこで、

「なぜこの人とはすり合わないんだ。価値観が違うから仕方ないか。この人と話すのは気が重いなぁ。」

そんなことを思い始めてしまうこともあるかと思います。「この人とは合わない」のではなく、別の証言で話をしているため、それは割と当たり前に発生します。ここで自分の感情やニーズが揺さぶられる、と捉えてしまうとあまりよろしくないと感じています。


5. (上級編)自他の複合的な文脈を察知してみる

これまで記載した内容は「リアルタイムに自分の感情やニーズを察知しよう」というものです。しかし、「たった今」生じた自分の感情やニーズは、その「事象」のみで形成されているわけではありません。自分の中にある「文脈」が形成している可能性も十分にあります。 前項で4つの要素をご紹介しましたが、特に4-2と4-4はこれまでの原体験(文脈)が確実に影響しています。そして自分自身の文脈を詳しく理解することなく、たった今生じた感情やニーズを察知することは難しいと感じます。同時に「相手」にも文脈があることを理解しなければなりません。これが究極に難しいと思っています。

どういうことかと言うと、人間は無意識的に自分も相手も同じような場面で、同じような感情になると思い込んでいます。例えば、映画を見たときに自分が涙をしたときに、横にいる相手が涙をしていなければ違和感を覚えます。「え、なんでこれで泣かないの?」という質問を投げかけ、「私には刺さらなかったかな」と相手が言うなど、世の中に住んでいるすべての人が自分と同じタイミングで同じ感情が芽生えると無意識的に思い込んでしまっている不思議があると考えています。

なぜ、自分と相手(第三者)がアクセスしやすい感情が異なるのか?それは、相手に「文脈」があるからです。相手にはこれまで歩んできた人生があります。その人生の中でトラウマのような体験をしているかもしれません。それに似通った事象が起きると、極度に感情が動きやすくなります。ただ、僕ら人間はこんなことを思うわけです。

「〇〇さんは極端に感情的な人間なんだなぁ」

もしかしたら、〇〇さんはあなたが話しかけたその話題に対して過剰に反応する文脈があるかもしれません。もしくは、あなたが過去に〇〇さんによろしくない対応をしたために、〇〇さんはあなたとの関係性における文脈がネガティブなのかもしれません。もしくは、〇〇さんの今の状態が極端に悪いのかもしれません。(体調が悪いなど)。

これらを考慮しながら、相手とコミュニケーションを取る必要があると考えており、自他ともに文脈があることを理解し、自他ともに感情やニーズが発生していると理解することは重要な要素の一つだと思っています。


最後に

皆さんいかがでしたでしょうか。
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