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「書く」「読む」「残す」私が書き始めた理由

 子供の頃、夏休みの宿題で1番嫌いだったのが読書感想文だった。でもそれは「読書」自体が嫌いだったわけじゃない。むしろ読書は大好きだった。だから書く前はいつも張り切って課題図書を選んで「よし!!書くぞ!!」と意気込んでいた。でも実際に書き始めたらどうだろう。ただ読んだ本のあらすじをタラタラと書き、最後にチョロっと感想を書く。しかも、原稿用紙〇枚分と決まっていたのでとにかくあらすじを書いて文字数をかせいでいた。

 でもいい大人になった今、こうやって自分の意見をアウトプットすることが楽しい。その違いはなんなんだろう?とふと考えた。答えは簡単だった、「自分の好きな物を知ってほしい」「今感じたこの感情、考えを残しておきたい」「書くことで自分の思いを整理したい」これだった。


私が子供の頃はまだSNSなんて周りに使っている人がいなかったし、せいぜいブロガーなんて言葉が出始めたくらいだったんじゃないかな? 
 でも今は違う。こうやって文章が短くたって、長くたって、簡単に発信できる時代になった。


 読書感想文はせいぜい読んでくれるのは担任の先生。これは宿題だ。勉強なんだ。そう思っていたから辛かったんだろう。でもちょっと思考を変えて「友達に好きな本について紹介してみよう」と考えられたらもう少し楽しくかけたのではないのかな?と思う。


 だから今はTwitterで野球を見ながら、好きなアイドルを見ながら「ここが好きなんだ」「今の所が最高だったんだ」「ここはもっとこうした方がよかったのでは」と、考えを共有できることがすごく楽しい。


 自分の意見をアウトプットするだけではなく、他の人の意見や自分が推している人の考えをインプットして自分なりに解釈をする作業がたまらなく楽しい。


特にこの他者の意見をインプットすることが好きになったのは野球が好きになってからだ。


私はもともとジャニオタなので毎月発売される雑誌、テレビ、ラジオ、ブログなど様々な媒体で推しの近況や情報を受け取ることができる。


しかし、野球選手の言葉や考えは記者によるインダビューがほとんどであり、雑誌で取り上げられる頻度も多くない(週べなど)。

しかし、その記者の方々が取材により引き出してくれた言葉、多くは語らないかもしれないが選手の考え。その一つ一つをチェックし自分なりに解釈をする。そしてそれを主にTwitterで発信し他者の意見と比較する。これがたまらなく楽しいのだ。

私はこう解釈していたが、この選手、監督はこんな思い、考えでプレーしていたのか、他のファンの人でもこんな意見、解釈があるのか。そうやって膨大な他者の考えを読んでから自分の中で結論を出す。これが楽しくて楽しくて、おかげで人見知りな私も様々な人に声をかけ、意見交換が出来るようになるまでになった。そしてそれを残しておきたくなった。だから私は下手くそでも書こうと思った。


今だって決して文章を書くのが得意ではない、でも良くも悪くも「自由」に考えを表現できる。


これからも自分に素直に文章を書いていきたいな。

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