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おこちゃんのお茶碗

叔父と伯父の違いを知ってまた一つ大人になりました。
祖父と祖父母の姉妹は大叔母(おおば)というのだそうです。

相関図的な呼称とか覚えるのが苦手でまるっきり欠如している僕ですが、大叔母とは濃密な時間を過ごした。なんせ我が家で看取ったのだから。

あだ名は「おこちゃん」。生きていれば110歳くらいにでもなるのだろうか!?生涯未婚の大叔母は、母が生まれた本家の敷地内に小さな小屋のような別邸を構えて暮らしていた。僕は小さいころからとっても可愛がってもらったのを覚えている。若い時は今で言うキャリアウーマンだったそうです。

大叔母は75歳くらいで、僕が20歳をすぎた頃!?か定かではないけれど、いつの間にか我が家で同居生活が始まったのでした。10年近く同居したのではないだろうか。毎日朝から晩まで新聞を読んでご飯を食べてテレビを見ている。足が不自由だったので病院の送り迎えだけは家族で交代でサポートしていた。

大叔母は口が悪い。好き嫌いもはっきりしている。多分若い頃は敵も多かったのだろうと推測できるけど、僕ら家族にはとっても優しかった。母親の飯がまずいとか悪態ついてくるのだけど、母親とは気心がしれているので親子喧嘩のような感じで終わる。今考えると母親も仕事しながら介護は大変なストレスだったろうと思うが、僕はお気楽に見ていた。

時々、大叔母が住む部屋に呼ばれて、説法を聴いて人生を諭されることもある。時には居候が申し訳ないと思っているのだろうか、僕と弟にお小遣いをくれる。飴と鞭を上手く使って不器用な大叔母なりに家族とのコミュニケーションをとっていたように思う。そんな大叔母もいよいよ歩くのもおぼつかなくなって来たある日、自宅で倒れてそのまま入院して天国へと旅立った。

大叔母のおこちゃんは陶芸を好んで、たくさんの茶碗を作ったらしい。従姉妹のはからいで昔作ったという100個以上ある手作りの茶碗を形見として譲ってくれた。どれも素敵な風合いで今でも自宅や事務所で使っている。

僕も49歳。丁度、母親が大叔母の介護を始めた頃の年齢と重なってきた。茶碗をみると大叔母との不思議な10年間が思い出される。

さ、今日はリベットボタンの「はらぺこカーニバル」というコンサートです。おこちゃんのお茶碗のように手作りのライブです。みんなを満腹にできるように頑張ろう。

今日も、おちゃのまポップな一日になりますように。

ほぼ大叔母の作品(一部他の作家さんの作品あり)
大叔母のお茶碗で朝食。
大叔母のお皿

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