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闇を光に。マイストーリー

私は、今「過去を宝物にかえるワークセッション〜」をしながら、児童虐待防止の現場で、ケースワーカーの方々のバックアップをしています。

私は、かつて、何をしていいかわからない、どうしあわせになっていいのかわからない、という状態でした。
自分の生き方、命の使い方を真剣に考えたことがありませんでした。

その私が今、自分の志を立て、相手のしあわせを願うしあわせを噛みしめた毎日を送っています。
過去何があったとしても、この先何があろうと、こんな風に生きていったら、私はしあわせだと分かってしまったんです。

私のモットーは、闇を光に。
どんなに苦しくても、暗闇の過去でも、それはあなたの魂の輝きの源泉です。
闇を闇のままにしてはいけない。
闇が光に変わったとき、心の底からの幸福感に包まれ、そのあなたの輝きは、相手の魂を震えさせることができるんです。
私は、自分の人生を再定義してから、何度も、いろんな人の再定義の場面に立ち合いました。
そのとき、お互いに心が震えます。自然と、涙が流れる程に。

あなたにも、それができる。
私は、あなたの魂の輝きの発露を応援したい。
その気持ちで、このプロフィールを書かせていただきます。

かつての私

それまでの私は、相手の考えがこうではないか、と予測して、相手の期待に沿うように生きることが当たり前になっていました。相手から承認されなければ自分に価値があると思えませんでした。


そういう考えが、まるで呼吸するみたいに自然と身に付いていました。だから、何かの基準があって、それを越えていれば安心できたし、それより下だと焦りました。


頑張ればしあわせになれる。しあわせは一生懸命泥水すすりながら頑張った先にあるもの、と思い込んでいました。


でも一瞬満たされても、すぐ苦しくなって、いつ私は報われるのかと思っていました。


誰かの承認に依存して生きて、否定されると自分が壊れると感じました。

母、恋人、仕事に依存して

今まで教育熱心な母の期待に応える優等生を演じてきました。
3歳上の姉は体が弱く、母の関心は姉にあると幼い私は思っていました。母に誉めてほしい。私を見て欲しい。その一心で私は、ワガママを言わない、勉強熱心な優等生を演じてきました。

第一志望の大学に落ちて、優等生を演じきれなくなったとき、私は、母から見放されたと思いました。
母は、私と似て、バッドなときとグッドなときの落差が大きい人です。
母は、行動は愛に溢れているのに、言葉が激しく誤解されやすい人でした。

受験に失敗して、母から強い言葉で、非難されたとき、自分が壊れてしまうと思いました。私の居場所はここにはない。
そう思いました。

今思えば、母にちゃんと自分の思いを伝えていませんでした。
「お母さん、私を見て!」と、幼い子どものような感情をかかえながら、拒絶されたらどうしよう、と怖くて本音でぶつかれませんでした。
本音でぶつからない自分を棚上げし、母の言葉の表層を捉え、「全てを受け入れてくれない母が悪い」と思い込んでいたのです。

母から承認されないとわかると、今度は自分を承認してくれる恋人に依存しました。
私はこんなに頑張ってる、だから私を愛してほしい。今思うとあまりに幼稚でつらいのですが、相手ではなく、自分をどれだけ愛してくれるか、ということばかり考えていました。

恋人から承認されなくなると、仕事にのめり込み、ワーカホリックになりました。頑張る分だけ評価される。自己顕示欲の塊でした。
人からよく思われようとして、自分を偽り、「自分は女優だ」とすら思っていました。

私はおじさん上司に可愛がってもらうことが多かったのですが、セクハラされたり、若手の男性の先輩からは「女を使うな」と目の敵にされ、いじめられ、休職しました。

仕事を新たなアイデンティティにしていたのに、私は仕事もできないのか。無価値感から、自殺を企図した程、自分が壊れていきました。
自分が認められようと頑張る先には、どこまでいっても苦しみでした。

授かり婚、そして別居へ

休職した際に、付き合っていた彼との間に息子を授かり、授かり婚をして、その職場を退職しました。

生まれてきた息子は、本当に本当に宝物です。
でも当時は、心がクリアな状態で、息子を愛するのと、ちょっと違っていました。
「この子は私がいないと生きていけない存在なんだ」
(おぞましい…)
そういう自分の存在証明になった気がしたのです。
そうだったけれど、やっぱり息子は何に代えても尊く、生涯で1番の宝物でした。(もちろん今も)

息子が一歳になった頃、私は市役所で働きはじめました。
息子を保育園に預けて。
預け始めた途端、息子が急激に体調を崩し、RSウイルス、下痢、中耳炎の無限ループで、ほとんど会社に行けませんでした。
耳から血をダラダラ流す息子。保育園にほとんど行けず、いろんな病院に行っても良くならない。

就職したての私を心配して、母が手伝いに来てくれました。
主人は、看病に全く興味がなくゲームばかりで、私と母は看病に疲弊し、主人への不満を募らせていきました。
主人も母が常時いる生活に辟易し、私は主人と母の間で板挟みになりました。

主人の母からは、母親の私が働いているから孫の体調が悪いんだ、かわいそうに、と言われて、どんどん追い詰められていきました。
私は、食事も取れず、胃潰瘍になり、貧血で倒れたりしていました。

主人と、不満の挙げ句、取っ組み合いの喧嘩をしたりして、もう体力的に精神的に限界でした。

息子の体調が落ち着くまで、別居しよう。
私の逼迫感を見かねて、私の両親が提案してくれました。

闇からは逃れられない

私は、家庭から逃げるように、会社にいるときは仕事に没頭しました。
仕事のことだけ考えていればいいのは気楽だった。

とはいえ会社でも、家庭内で袋小路にいることを思い出し、泣いていました。
そんなとき、優しい言葉をかけてくれた男性に心が惹かれていきました。

家族からなじられる、その現実逃避として、仕事やその彼にのめり込みました。
自分より随分と年下の彼を惑わせ、自分を承認してもらうように操作したのでした。
既婚者でも素敵なんだ、と、本当に自分のことしか考えていなくて、息子や家族が、主人とその家族が、浮気相手とその家族がどんなに傷つくか、全く考えていませんでした。

嫌だったら、嫌だと言えばよかった。
あなたをもう好きではないから離婚したい、と言えばよかった。
きちんと向き合うことをしないで、誰かにわかってもらいたい、自分の言動に対して、どんなリアクションが来てもそれを受け止めればいいのに、ただただ逃げていました。

そこから手痛いしっぺ返しがきました。
浮気について、元主人の家族が職場に殴り込んできました。
職員課に呼ばれ、事情を聞かれ、本当に怖かった。
また、「●●(息子の名前)はどこだ!」と元主人の家族が家に怒鳴り込んできたこともありました。
保育園に生卵が投げつけられたり、両親の経営する店のトイレの壁に汚物が塗りたくられたり、同時期に異常なことが沢山おき、全てが元主人の家族の仕業に思えて、怖くて仕方ありませんでした。

今思えば、自分の弱さが引き起こしていたことなのに、私はそれを認められず、元主人やその家族を憎みました。

慰謝料を払って離婚できたとき、全てに蓋をして、その闇をなかったことにしてしまいました。

離婚後、実家で息子と元気に生きているつもりでしたが、時々息子が思い通りにならないことに激昂し、自分の息子を叩くことがありました。
母と言い争いをして、どうしようもない怒りを感じ、息子に八つ当たりすることがありました。息子の小学校受験のとき、最も息子につらく接していました。

何で?私は息子を宝物だと思っているのに。
自分の中にマグマみたいなものがあり、突如噴火すると、私はとんでもない悪魔になってしまう。
自分が怖い。
息子を叩いた後、息子にごめんね、ごめんね、と泣いて詫びました。まるで自分はDV夫のようだと思いました。

見ないようにしてきた闇が私を操り、私は息子を潰してしまうんじゃないか、自分が怖くて仕方なかった。

私は愛し方を知らなかった。自分の価値観の押し付けや、承認欲求を愛だと勘違いしていたのです。
私は長い長いトンネルの中にいました。

闇を光に。

そんな折に、会社の先輩からシータヒーリングの方を紹介してもらいました。

そこからです。私の人生は大きく大きく変わり始めました。

その方のススメで、コンサルタントの新田祐士さんと古閑みのりさんのNext Tribe、新田祐士さんと小田真嘉さんのNext Dimension というコミュニティに参加しました。

その中で、私は自分の人生のストーリーを紐解き始めたのです。

この記事のような自分史を書き、自分の闇・光の経験を全て棚卸しをしました。
一番最初に書いた自分史はひどいものです。
「●●が憎い憎い」とか書いていて。こわ!
でもね、そういう真っ暗な言葉を、腹の中に溜めていたんですよ。今まで。
全部出し切るんです。いいも、悪いもジャッジせずに。ひとつ残らず。

出し切ったら、気づくはずです。
ああ、実は私が向き合ってなかっただけで、この悲しみも苦しみも、ただミスコミュニケーションだっただけなんだ。
この人も、あの人も、必ず1%でも愛をもって接してくれていて、それに私は気づいてなかっただけなんだ、って。

そしたら、もう「憎い」って気持ちが、精霊流しのように、流れていきました。どんなにバッドに見えても、そこには愛があった。ただ、気づくだけ。

私はそれから、傷つけた人たちに「ごめんね」「ありがとう」を言うことを始めました。
これがなかなかキツくて。
息子に、母に、父に、浮気して離婚して、沢山傷つけてごめんね。
(最近も、元主人の家族にお詫びする機会がありました)

もう10年前のことでしたが、みんな「傷ついたんだよ。悲しかったよ。すぐには許せないよ」と言ってくれました。
真剣に向き合ったから、正直な気持ちを伝えてくれたんですね。でもその言葉を聞くのは、正直苦しかった。

でもね、そのとき、私は「私、この人たちから許されようとしてたんだ。自分が自分を許せないから、この人たちから許されようとしてたんだ」と気づきました。
私は、弱くてずるかった自分を許しました。
そして、傷つけた人たちの心の傷が癒えるよう、精一杯逃げずに、日々誠実に接しよう。しあわせを祈ろう。向き合おう。
相手のしあわせを祈ることができる自分がいることが、なんとしあわせなことか。

そう気づいた瞬間に、私はもうしあわせで、全部持っていたと、体の奥底から理解しました。とてもとてもしあわせでした。
目の前に、こんな光景が見えました。
灰色の雲が晴れていき、その間から光の光芒が眩しいくらいに差し込み、光に包まれる。
天国ってこういう光景なのかな。
ただそこにあったのに、気づかなかっただけで、こんなにも祝福されていたんだ。
今まで味わったことのない、安堵感と輝きに、涙がとまりませんでした。
魂が喜んでいる。そういう感覚でした。

私は、自分の息子にも、家族にも、仲間にも、そしてあなたにも、そのしあわせを感じてほしいと思っています。
自分の中の分離が統合され、そして、その統合の範囲を自分、家族、コミュニティ、世界に広げていく。
闇の経験を通して、神様と約束した天命を思い出し、みんなが輝き、お互いを輝かせ合う。
闇を闇のままにしてはいけない。
だから、私は、こんな恥多き人生をネタにして、発信を始めました。

そして、今、日夜奮闘している職員のバックアップをしながら、児童虐待防止の現場で働くケースワーカー(児童福祉司)を目指し、そこで役立つ資格である社会福祉士の勉強をしています。

あなたも見つめてください。自分の闇を。
向き合いきったとき、あなただけの光のストーリーが紡がれます。
この経験があって、良かった。そう思えるようになります。そして、誰かのしあわせを祈ることができ、それがこの上なく、しあわせだと気づくでしょう。

あなたの闇を再定義する、そのお手伝いを、私にさせてください。



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