物理的な痛みは、人の心を殺しかねない~仙腸関節障害について~



この文章を書き始める時、公開するかどうか少し悩んだ。なぜならこれから書く文章は一介の障がい者による、とてもネガティブで現実的な感情や悩み、現状を羅列したものだからだ。進んで読みたい思う人はほとんどいないだろう。

しかし私はあえてそれを発信することにした。理由はいくつかあるが、ひとつは世の中には人知れず苦しんでいる人間がいる、ということを世間に伝えたいから。もうひとつは将来自分が死んだときに、ある人間が生涯を終えるまで生き地獄を密かに耐え抜いた、という記録をこの世界に残しておきたいから。



私が抱える病気について


過去の投稿にも書いているが、私には仙腸関節障害という後天的な身体障害がある。

仙腸関節障害とは

仙骨と腸骨の間の関節で、周囲の靭帯により強固に連結されているが、不適合や捻挫が発生することで腰痛や下肢痛を引き起こす病気

日本仙腸関節研究会ホームページより引用


パッと見た目にはわからない病気で短距離ならゆっくりではあるが普通に歩くことができるので、他人にこの病気のことを説明するのにいつも少し苦戦する。患者によって症状の程度や出方は様々だと思うが、この病気で一番苦しめられる部分はやはり疼痛だ。長時間(私の場合は30分から1時間以上)、歩く、または座りっぱなし、立ちっぱなしなど数時間同じ体勢で作業を行うと腰全体が重だるくなり、お尻の上部に鋭く激しい痛みが走る。この痛みが本当に厄介で、刺すような痛みにより集中力は妨害されるし、そもそも同じ姿勢でいられなくなるので仕事や勉強どころではない。痛みが激しくなる度に1~2時間程ベッドに横になり、痛みが治まるのを待つしかなくなる。家事や作業をしたくても常に痛みが伴うので結局何も手につかず、時間だけが過ぎていく。ちなみに医者に処方されている痛み止めは痛みを少し和らげる程度のもので、気休めにしかならない。


また、病状が酷い時には痛みが下肢部や腰の中心にまで広がる。さらにお尻の裏側から脚にかけて全体が攣ったような違和感が生じることもあり、眠りたくても眠れない日も多々ある。




寝たきり状態だった数年前

腰を本格的に悪くしてから、もうすぐ5年が経つ。17歳の時に腰椎椎間板ヘルニアを発症してその時は一度寛解。しかし29歳の時に腰椎椎間板ヘルニアをまた発症してしまいその後手術を受けたが、結局再度再発して一時は寝たきり状態になるまで悪化した。あの時は本当に地獄だった。寝たきりと言っても多少動くことはできた。しかし寝返りを打つ、起き上がる、立ち上がる、トイレに行く、食事をするなど、自分の力で体を動かす時いつも激痛が走った。当たり前にできていた動作がすべて苦痛に変わっていった。その時から松葉杖と車いすに頼る生活が始まった。当時元夫とイギリスに住んでいた私はこの状況を打開するべく色んな医者に相談し、レントゲン透視下ブロックや運動療法などあらゆる治療を試したが、たいした効果は得られずほとんどが徒労に終わった。


話は少し逸れるが、日本に帰国してから上記の状況に少し変化がみられるようになったのだけは幸いだった。痛みが生じている原因が椎間板ヘルニアだけではなく仙腸関節の炎症、機能不全だとわかったこと。それにより理学療法士によって正しいアプローチでリハビリを受けることができた。現在もリハビリは継続中で、松葉杖なしで歩けるようになるまで回復した。


自分の足で歩けるようになるまで回復したのは良いものの、相変わらず鋭い痛みは顕在だ。罹患してから5年、終わりの見えない闘病生活に嫌気が差し、何度も何度も心が折れた。
今回この記事で一番言及したいのは、継続的な痛みは人間の精神を疲弊させ、終いにはその人の心を殺してしまう、ということだ。



なぜ痛みが心を殺してしまうのか


単純に痛みに嫌気がさすこと以外にも理由がある。




未来の行動に制限がかかることが、何よりも苦痛


身体に痛みがあることで私がもっとも苦しんでいることの一つに、次の瞬間、明日、来週、未来のすべての行動に制限がかかってしまうこと、がある。これだけ長く闘病生活をしていると、これくらい動いたら腰にどれぐらいの負担がかかり、その時どれくらいの痛みが生じ、回復にどれくらいの時間を要するかがわかるようになる。ある行動に対して、それをカバーするのに未来の自分が割かなければいけない時間、苦痛を全て計算しながら生活しなければいけない。

分かりやすく説明してみる。
徹夜で仕事をする時、眠気や疲れで次の日の作業パフォーマンスにかなり影響がでることがあるのは恐らく想像して頂きやすいだろう。よっぽど丈夫なひとでなければ徹夜をすると次の日に質のいい仕事はできないはずなので、大抵の人は徹夜を極力避けたいと思うはずである。このように自分の体力や体質を理解している人ほど、無理をすると未来の自分に何が起こるのか予想できるので、逆算して今どんな行動をするか考えるものである。


私の場合は、数時間座って仕事をする、数十分歩くレベルの小さな行動でさえ、未来の自分の体に大きな影響を与えてしまう。例えば今日3時間座って働いたら後で恐らく痛みが強く出るので、明日明後日は何もできなくなるだろうな、といった具合だ。


この【行動制限】と、制限しても生じる【痛み】が、私を何よりも苦しめている。これらの所為で私は様々なことを諦めた。一般企業に就職してフルタイムで働くこと、運動すること、大好きだった一人旅をすること、など挙げ始めるとキリがない。これらの自分のしたかったことをすべて取り上げられた世界は、私にとって無意味でしかなく、治る見込みが無い身体を抱えこれ以上生き続ける希望を見出すことができない状況は、私の精神をじわじわと崩壊させていった。これが原因で抑うつ状態に陥ってしまう時もある。抑うつ状態になる度に無理やり自分を鼓舞し、なんとか日常に小さな喜びを見出しどうにか生きている。しかしこの状況をどのようにして打破するか、生きる希望を見出すのか、私は未だに答えを見つけることが出来ずにいる。




【障害を抱える】ということ


【障害を抱える】ということは、ただ単に身体が不自由というだけではなく、このような精神的な苦痛を伴う。私だけではなく、多くの病気や障害を抱える人が恐らく同じように苦しんでいるはずだ。それは片頭痛だったり、生理痛だったり人によって病状は様々で、症状の数だけ苦しみは存在する。


もしここまで読んで頂いた方の周りに病気や障害で苦しむ方がいたら、その人がどのように苦しんでいて、何に耐えているのかを一度具体的に想像してみてほしい。たとえあなたが何も出来なくても、問題の解決にはならなくても、苦しむ人にとってはそれ自体がとてもありがたく、心が温まるはずだ。

また、もし同じように苦しんでいる方がおられたら、毎日痛みや病気に耐えている自分を労り、労ってあげて欲しい。私には何もできないけれど、同じように闘病している人間がここにいることが、今苦しんでいる人の心の支えになればと心から願う。




終わりに

重く暗い話になってしまいましたが、ここまで読んで頂き誠にありがとうございました。

障害や病気で苦しむ人の現状や生活をこの世の中に発信することが、私に与えられた役割だと考えておりこれからも少しずつ続けていく予定です。気が向いたらまた読んで頂けると飛んで喜びます。


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