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1/1000000〜骨肉腫と戦う息子〜 「腫瘍の疑いがある」

2023年の2月に骨肉腫の診断を受けた12歳の息子の想いのために書き記しています。

最後の試合


6年生最後の大きな大会には、お隣の少年団との合併チームで望むことになりました。自チームだけであればスタメンであったものの、人数が倍になるとどうなるかわかりません。控えあることが長かった息子にとって、スタメンは喉から手が出るほど欲しいもの。合同練習ではいつもよりも気持ちが入っていたように思います。

合併になって初試合。息子はなんとか8人の中に選ばれ、スタメンとして起用されました。飛躍的に伸びた運動量と俊敏さ、大きくなった身体を駆使してがむしゃらに闘いました。右膝は間違いなく痛かったはずです。たまに練習では見学する場面もありましたが、試合ではそんな素振りを一切見せず、臨んでいったのです。

チームは順調に勝ち進み、優勝候補との対戦では、後半残り30秒のコーナーキックで、息子の背中に当たって勝利をもぎ取るなど、ジャイアントキリングを見せるなど、チームの雰囲気は最高潮。しかし、右膝は日に日に痛みを増していきました。

ベスト4をかけた大一番。息子もスタメンとして試合に臨みました。拮抗した試合で、私達保護者も息を呑んで見守りました。しかし結果は1-0で負け。決して負ける試合でなかっただけに、悔しさが込み上げてきます。息子も含め、全員が涙を流し、大会は終わりました。

思い返すと、これが息子にとって小学生最後の試合となってしまいました

腫瘍

翌日、リモートワークで家にいた私に、息子が「右膝が本当に痛い」と学校から帰ってから言ってきました。ちょうど仕事も一段落した時だったので、いつもの整形外科へ行くことにしたのです。

レントゲンを撮り、先生の診察を2人で聞くと「おそらく疲労骨折だけど、ちょっと気になるから明日また来てMRIを撮って欲しい」と

“また明日来ないといけないのか?“と面倒臭い感じを顔に出しながら、病院を後にしました。車に乗ると「ごめんさない。ママにも怒られる…」と泣きそうな声で息子が言ってきます。私は「疲労骨折だったら、残りの大会はほぼ出られねーからな」と、吐き捨ててしまいました。

翌日、学校には病院に行く旨を伝え、MRIの予約時間に病院に到着。1時間ほど経ち、先生の診察を待ちました。部屋に呼ばれ、再び先生の話を聞いていると
「やはり腫瘍の疑いがあります。紹介状を書くので、出来る限り早く専門医に診てもらってください」

腫瘍?

「腫瘍」のワードが先生から出た瞬間に頭が真っ白になりました。その後の先生の話も全く頭に入ってきません。看護士さんに紹介された病院の電話番号が渡され、とにかく予約を取るように言われ、なにをどう話していいのかわからないまま、なんとか翌週の月曜日に予約を取ることが出来ました。

その病院は「がんセンター」

その後、撮影したMRIのCD−R を渡され、病院を出ましたが「腫瘍」が頭から離れず、しばらく車で固まってしまいました。息子はいまいちわかってないのか、「学校行かないとダメ?面倒だな」などと言ってきます。

仕事中の奥さんにこの事を報告すると、電話の向こうでもショックを受けているのがわかりました。当然です。息子に腫瘍の疑いがあると言われているのですから、普通でいられるわけがありません。

その日は学校を休み、翌日からはリモート授業に切り替えましたが、私達夫婦は、翌週に控えたがんセンターのことで頭がいっぱいでしたし、腫瘍でないことを信じ、落ち着かないまま月曜日を迎えたのです。


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