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浪人と留年、院試と就活。

ゲイドルのぽたろうです。
いかなる理由にせよ、これらを全て経験出来たことは親の支援がなくては出来なかったことで大変感謝しています。

中学卒業後に親元を離れ、高校では男子寮生活だった。
いまにして思えばなんでエンジョイしなかったのか、と後悔してるし、中学までとは人間関係が180度変わってコミュ障で友達がほとんど出来なかったことも後悔しているし、部活に入らずオナ三昧だったことも後悔している。

帰宅部なのに勉強もやる気をなくして格好だけで、何がやりたいでもなく時間を潰していた。その結果、浪人して関西の予備校に。
ここでも男子寮生活で、いま思えばなんで(二回目)。まじで、男子寮なんてゲイの私にとってみたら最高の環境、二度とないんだから。あっても、もう年齢的に色々と厳しいんだから。

留年して第一志望ではない大学(そもそも浪人時代に第一志望がどの大学かもよくわからない状態になっていたが)に進学し、なあなあに過ごしていました。1限2限をオナ休みで自主休講したり、スーファミのパネポンばかりしたり、やることがなさすぎて大して好きでもない読書をしたり、大学はそれなりに大きいところだったから同年代の男が沢山いて退屈はしなかった。

で、三回生になったら就活したけど持ち前のコミュ障で箸にも棒にもかからず、四回生になっても内々定を得られず、サークルを立ち上げ、モラトリアム期間延長のために同じ大学の別の研究科(大学院)の入試を受けたら受かってしまった。志望理由書でサークルの延長でNPOを立ち上げるから、非営利組織論を学びたいとか行動を伴わないのに文章だけは一丁前で笑ってしまう。そしたら春学期終わった時点で単位が足りてないことがわかって留年した。就活留年ですらなく単位が足りないピュアな留年。

そして二回目の就活をしてなんとか今の会社に内々定を貰って(コネではないけど実家の取引先笑)、五年目の春学期に主席で卒業して、半年間実家に帰って派遣のバイトを転々としていた。

そのときそのときで後悔も多いけど、それらの経験があって今の自分があるので、後悔ばかりもしていられません。
大学生の頃に入ったサークルがきっかけで音楽をままごとで作るようになって音楽は音楽でいまだに成長していないけれどやっぱり好き。

なんだかんだ悪いことがあっても、生きていける幸せをひしひしと感じる。
自分のイメージする大人像とは程遠いけど、少しは大人に近づけたかな。

断捨離を推し進めた結果、男の子が寄ってこなくなりました。