2人の奇才と時代の変化~宇多田ヒカルと藤井風
「きらり」を聴いていたら、宇多田ヒカルが過ぎりました。
彼女のデビューは、ちょうど私が上京した1998年。曇り空の渋谷スクランブル交差点に映し出されたAutomaticを、今でもはっきりと覚えています。当時田舎から出てきたばかりの私にとって、宇多田ヒカルの纏う空気は、都会の洗練された空気そのものでした。
それから20年以上過ぎて、藤井風の「きらり」に心奪われます。特にこのフレーズを聴いた瞬間、この人天才やと思いました。
それは、一瞬でびゅん!と通り過ぎた後ろ姿を振り返って「あ。」ってなる感覚。これ、前にも経験したことあるぞ?
そこで思い出したのが、宇多田ヒカルの「Wait & See 〜リスク〜」です。
ヒッキーこの頃まだ10代。うそやん!!!と思ったものです。
心地いいサウンドに気持ちよくハマる言葉をあくまでサラッと入れてるんだけど、「え?今なんつった?」って思わず聴き返してしまう深み。それも、誰にでもわかる平易な日本語で。
2人とも、とんでもない奇才だと思います。
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こうして並べてみると、この2曲になんとなく時代の変化を感じます。
Wait & Seeの発表は2000年、きらりが2021年。両方とも軽やかな疾走感を持つ曲だけど、少しニュアンスは違います。
Wait & Seeは、自分の中にどこかうっすらと迷いが残りつつ、それを振り切って前に進もうとアクセルを吹かす感じ。
きらりは、いろいろ受け止めた上でひとつ息を吐いて、体の力は抜いてアクセルを踏みこむ感じ。
2000年当時の私は、ヒッキーの歌に軽やかさと新しい空気感を感じていました。疼きや戸惑いすらも力に変えよう、そして道を切り拓こうというエネルギーが曲に漲っていて、それが眩しくて心強かった。
今、風くんの歌を聴くと、軽やかというよりもはや重力から解き放たれているなと感じます。その様子はまさに「風」。脱力感が逆に推力になっているというか。
いい感じに力が抜けたことで、自分の力をフルに発揮できる。
そうありたいという意味で、今の私にはこの感覚がしっくりきます。でも、2000年の自分には全く理解できなかっただろうなぁ。
これは、私が歳を取ったということだけではなくて、時代の変化でもある気がします。
逆流をがむしゃらに泳ごうとするよりも、一旦体の力を抜いて水に浮いてみる。そんな感覚は「風の時代」ならではかも、と。
それぞれの時代の瑞々しい感性は、それぞれに眩しく、どちらもとても美しいなと思うのでした。
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