希希 シシ

希希 シシ

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「鬱」と「過去主義生活」創作概念、歌詞

いつからか、人生を体験する形式が感情の断片を組み合わせた断片的な記憶に変わったのか、わからない。おそらくそれは常にそうだったのかもしれないが、私は連続性の幻想を信じていた。断片的な言語はまだ文章にできないかもしれないが、断片的な音は橋や階段を作り、言葉を超えて感情を媒介なしに抱きしめる場を提供している。 いつも過去の自分との対話:人間は本来、忘れる傾向があるため、すべての物語や登場人物を知性に頼って覚えようとすることは無駄であり、プルーストがまだアルベルティーヌを愛している

    • 一人が優れた作品を生み出すには、どれだけの自己愛と彼愛が必要なのか。

      (chatGPT使用した場合ある) 最初に感じる失望は、おそらく「Combray」の綴りを知った後で、本来の想像していた有声音の「G」ではなく、全体を指揮する最初の無気音子音「C」が代わり、「Combray」の足も、私の想像では美しい意味を持つ閉じた音符の文字éから、この精巧で軽やかな、まるでプルーストの記憶に永遠に残るべきギールマント夫人の赤い靴のようなものを引き抜いて、「ay」という2つの母音文字から成る重い高跳びに乗り出した。そして、「Gombré」は「Combray

      • いっさいは、カフェインのせいか

        アイスコーヒーを飲み過ぎたので眠れない。 自分のSNSで小2の時に書いた日記と父が記録した育児日誌みたいものを発見。また不真実感が来てしまった、自分はそのまま育てられていたというコンテキストはちっとも信じられない。悪過ぎた記憶力のせいか、まるで他人が身の代わりに俺の過去を体験したみたいな気持ちだった。それとも、もしかしてこの世界はもう滅ぼされて、俺たちいまは作り出されたニセモノの記憶の欠片を踏んで想像の中で生きてつつあるかもしれない。わからなくて眠れない。 "いつか君は父さん

        • 2023年一人で忘年会

            瞬きもせずに年末が迫っている。とはいえ、今年の出来事が多すぎて十年も経たんばかりに思っている。なんと長年が流れたという錯覚でもあろう、ただ一瞬の出来事という不現実感でもあろう、こういう朦朧で紛らわしい情緒を抱えて人生を送ってきた。 実家に帰り、おせちを堪能し、ほぼ毎年同じようなオープニングで始まってきた。今年の正月で初めてのアルバムをできたあと、意外にラベル屋さんからコラボを求められてCDの販売を始めた。 なんのきっかけだもうわからない、突然に日本に旅行しようっていう

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