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つれづれ📑マイ・アフォリズム ① 地上の虹をつかまえて

🔹 他郷を知らぬ不幸にすら気づかず、他郷へのあこがれの地熱も持たなかった少年期。いわば城砦の中の安逸の苑で、紋白蝶や、鬼ヤンマや、プラタナスの葉や、天道虫や、ヤドカリや‥‥みなぎり合う小さな生命に、地上の虹をつかまえて、詩の言葉の生み出す影のまわりを泳ぎ続けていた時代。
歓喜と言う言葉がそれ以上にふさわしい時間を知らない。

🔸 昭和20年代から30年代、手帳を持ってそれにメモを書く習慣はまだ一般的ではなかったのだろう。
こどもの頃、二つの数字が並んで、何組かになって鉛筆で走り書きされているお札を見た。父は、勝ち馬予想の連番だろうと言った。人の名前が書いてあるお札を見た記憶もある。人手にまみれて、しわくちゃにされ、絵柄も薄れ、字も書かれて、それでもしぶとくという表現がふさわしく、お札は世の中を回っていた。

🔹 浦島の話は、青い鳥の話と同じだとふと思った。元の場所に帰って来たからこその気づき。竜宮のことは夢だった。この浜で生きてゆくしかない、そう思い、箱の紐を解いた。幸せはほんとうはここにあると悟った瞬間の暗転。それは飛び立った青い鳥。
青い鳥が逃げ去った後のチルチルとミチルは、再び平凡と言う名の幸せな生き方には恵まれなかったと思わせる終わり方で、後味がつらい。過ぎていた時間を取り戻してほどなく世を去った浦島の方が、優しい結末だ。

🔸 散る花や女人の髪ゆ雫して       瀬戸風  凪
こんな俳句を詠んだ。風が桜の花びらを揺すり上げて、花びらが突然空に振りまかれた一瞬、女人が濡れた髪をはね上げて、雫を切る幻を見た。

🔹 『風の又三郎』は悲しい物語だ。唐突に、連れて来られ、唐突に連れ去られてゆく又三郎の孤独が心に突き刺さる。父親は、又三郎を実存の者と見せるための添え物である。父親が添えられたせいで、又三郎はこの世に留まり続ける。
又三郎は、やがて東京へ出て市井の片隅の住人になってゆくだろう。けれど都会では特異な人ではあり続けられない。

🔸 みどり、はその語感に、みづ、を含む。はるかな語源では、ミンドゥリイでありミンドゥであったかもしれない。漢字では、緑のなかに水がある。
日を透かす若葉は、魂の場所を垣間見させるほつれだ。今ここにいない人の、かつて人として存在した魂の、優しさばかりが瞬いている。
けれど、誰も緑の輝きをつかめない。誰も水をつかめない。

🔹 にくたい、とキーボードを打ったつもりで変換すると、温体(ぬくたい)と出て来た。打ち直すと今度は、縫う躯体(ぬうくたい)と出て来た。図らずもどちらとも、人間の体を表している気がした。縫い目のない人体だが、じつは陰部で縫い合わされているのだし、温かいうちが肉体である。 

                                                                          令和5年5月   瀬戸風  凪
                                                                                                      setokaze  nagi


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