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Essay Fragment/ 追憶のブランディーユ ② 客愁 

🎹 三十年前の記憶の風景とは違っている……古い寺と塔のある町の何処に佇 (たたず) んでも。けれど寺の境内に歩み入ると、記憶している風景がそのままに立ち戻る。寺院と塔の輪郭を視線でなぞれば、記憶の下絵にぴたりと重なる。
こんな田舎町だから、堀口大学の訳になるアポリネールの詩「ミラボー橋」の詩句を借りれば、恋を…疲れたまなざしを乗せて、同じ水が橋の下を流れ続けただけの、変化に乏しい三十年であったろうとしか窺 (うかが) えない。
 つらつらとそう惟 (おもい) みれば、歳月の無常に添い合うわが忘却のみごとさに呆 (あき) れるが、いやあるいは記憶に刷り染めたつもりの町の風体 (ふうてい) は、そのときかぎりの まだ干 (ひ) ぬ水絵 (みずえ) の色の照り映えにすぎなかったのかもしれない。
 三十年前この古い寺町へと私を運んだ、ゆえ知らぬ憂 (う) さという押船…。三十年前の私という壮年の春秋を生きる身の、それゆえに心うちにそぼった客愁 (かくしゅう) を、再び訪ねた町で、私は今さらに思い知るばかりであった。

📘 ランドセルを背負った女の子がひとりで、下校の道を歩いているのを、すれ違いに見かけると切なくなる。家までこのまままっすぐ帰るんだよ、心の中でそう声をかける。
また別の日にはランドセルを背負った子が、二人で歩いているのを見かけ少しほっとする。二人でも家までこのまままっすぐ帰るんだよ、やはり心の中でそうつぶやく。
 ― おとなの人に話しかけられても応 (こた) えないのよ
こどもは親にいつもそう諭(さと)されているだろう。
― 悪い人はにこにこやって来るんだからね
こどもはそういうものだと学習する。

妻にはいつも言われることがある。
― 小さな子に気やすく話しかけたらだめよ
― 周 (まわ) りから見たら、あなただって怪 (あや) しいんだからね
そんなものだろうなと思い、妻のことばに抗 (あらが) わない。しかたない。妻の意見も世の親の諭しも、現実の恐ろしい出来事を踏まえてのことだから。
何の悪意もないかかわりでも、見も知らぬおとなとこどもは、鎖で遮 (さえぎ) られている今日 (こんにち) の、この社会。わたしが悪意のないおとなであると、こどもたちがすぐに認めてはいけないのだ。
 わたしは聞く。
― 家までこのまままっすぐ帰るんだよ
たくさんのおとなたちがそう心で言っているのを。(その心の声にだけはどうか気づいてほしいな) そんな願いをもって、こどもたちの下校姿を見つめる。

📝 名のわからない花が一輪庭に咲いた。鳥が運んで来た種のようだ。花がきれいだったので放っておくと、次第に勢い付いてきて庭の主役になった。
増やしたい薔薇の方は、二輪ほど咲いただけなのに。

少し離れたある町を歩いていて、サクランボの大きな木に目が止まり、その家の主人と話すうちに、近所のS邸の薔薇を紹介された。その薔薇庭園は陶酔を誘うほど美しかったが、隙 (すき) を許さない雰囲気があった。
さまざまな種が、鳥や風などに運ばれてくるだろうに、薔薇だけを生かすために、他の植物は芽吹けば摘み取る。その粛然 (しゅくぜん) とした空気感が漂っていた。
意図してはいないのに芽吹いてくる人生の諸々 (もろもろ) を放 (ほう) っておくか、すぐに摘み取るか、薔薇のみが咲き盛る人生にしたいのなら、S邸の庭のように…。
知らないうちに芽吹いた種に勢いがついて、これはいかんと思ったときには除くのに大わらわ。それが人生のたいていの姿かもしれない。
 
ふと我が家のすっかり老いた雌猫を見て思う。こいつは最晩年の父が拾ってきたはぐれ子猫だった。父はその後間もなく亡くなった。だから種を運んだだけで、空の彼方に去った鳥だった。父を見送った家族が結局、すっかり老い猫になるまでの春秋を過ごしている。
花はそのまま放っておき、枯れるに任せようと思った。
                    令和5年5月   瀬戸風   凪
                                                                                                       setokaze nagi

 


 

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