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サルトル『嘔吐』を読んで

サルトルの嘔吐を読んでいる。煙草を吸った。マルボロのメントール、8mm。買ったばかりのzippoで火をつける。最近肺に入れる吸い方を覚えた。肺喫煙はニコチンとかタールをもろに体に入れるので、身体が煙一色になる。俗にいうヤニクラ。こんなにキマったのは初めてだった。がっつり肺喫煙するときは座ってするのが安全だと思う。

嘔吐。必然性という言葉が多く出てくる。昔の自分は、生きる方法というか、世界をどのように捉えたらいいか、他の人たちがどうやって正しいと思われるふるまいをしているのかがわからなかった。でも、最近それが次第にわかってきた。というより、気にしなくなったという感じだ。

気にしなくなったのはたぶん、それができるようになったからで、それができるようになったら、もうそのことについて考えることは減るし、前より深刻に捉えなくなる。昔に悩んでたことについてもう一度考えることは、ある程度時間を置くことが必要で、距離というか、自分という主観を客観視するということは、かなり難しい。

世界の捉え方がわかってきたのは、単純に慣れたからと、タイプ論とかの学術的な視点をインストールできたのが大きい。まあ、そんな大層なものではないけれど、生き方とか、他の人の考え方とかの日常会話では踏み込まない領域は、Twitterやブログみたいに匿名的で個人的な発信を見たり、本とかの媒体で補う必要があると思う。インプットを必要とせずに、実地だけで他者とのコミュニケーションにコミットできる人間もいるけれど、僕はそんなに器用なタイプではないこともその学びの中で知った。

ああそれと、かかわる人たちが大人になったのも大きいと思う。子供のころは、コミュニケーションの「空気」がすごくわかりづらくて、脈絡のないことが多かった。善意も悪意も性欲も、あらゆる倫理観や衝動が未発達で、ダイレクトに飛び込んでくる。当時の自分はその原色感に胃もたれして気押されていたのだと思う。

大人になると、関係性に淡い色が足されて行って、優しいかかわりが多くなる。複雑ながらある種の必然性をもつようになった気がする。人は年を取るにつれていろんなことが記憶の中に溶けて、ゆっくりと抽象的になっていく。そんな気がする。

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