最終日!!

2017年12月5日 13日目

「今日こそゴールしてみせる!」
 今までにないほどの強い意志を胸に、弱聴は出発した。
 ゴールの岩手県一関市まで約50キロメートル。いつもは一日30~40キロメートルしか歩いていない。50キロを歩いた日も何度かあったが、後半は疲労困憊で、気力だけでなんとか50キロを歩き切るといった具合だ。
 しかも今日は宮城—岩手間の県境の山越えが後半に控えている。かなりきつい旅になるだろう。
 でも絶対に今日を最終日にしてみせる。何が何でも家の玄関をくぐってみせる。そして、お父さんとお母さんに会うんだ。そう胸に誓って歩き出した。

 景色がせわしなく変わっていく。町並み、田園、荒野、住宅地、山道――辺りがころころ変わるのでかなり距離を稼いだように感じるが、標識を見て思ったほど進んでないことに肩を落とす。
「早く到着したい」という思いが頭から離れなかった。いつものように景色を楽しみながら一定のペースで歩きたいのに、「早く帰りたい」と気が焦り、つい足の運びが速くなってしまっては、疲れてペースダウンしてしまう。50キロを歩くために無駄な体力消耗は避けたいのに。「落ち着け、落ち着け」と自分に言い聞かせ、大声で歌を歌いながら焦る気持ちをなんとか頭の片隅に追いやった。

 昼頃に宮城県栗原市にあるショッピングセンターに到着した。栗原市は岩手県一関市と隣り合う市で、このショッピングセンターも小さい頃に家族や友達と訪れたことがある懐かしい場所だ。四号線を歩くと決めたとき、このショッピングセンターも通るだろうと予想していた場所でもある。十数日前に予想した場所にとうとう到着したのだ。
 ここから先は車で通ったことのある見知った道になる。が、歩いたことはもちろんない。
 子供の頃、姉妹と「あそこまで歩いて行ったらどのくらいかかるかな?」「ぜったい一日じゃ着かないよ」と冗談で話していたが、まさか本当に歩くことになるとは思わなかった。
 車では一瞬で通り過ぎる景色も歩くとまたとてつもなく長い。けれど、見覚えのある景色をいつもと違うスピードで眺めるのもまた乙だ。
 鳥のさえずりが聞こえるのどかな田舎道を歩きながら、弱聴は旅の思い出を振り返っていた。

 やはり最初に思い出すのは野宿のこと。初日の夜は装備が甘すぎて、凍えてほとんど眠れなかった。それからどんどんアイテムを増やしていって、日を追うごとに工夫を凝らし、とうとう弱聴式の野宿スタイルまで確立した。
 野宿する場所を探すのも苦労した。ある時は店先の椅子を借りて、朝起きるとおばさんにジロジロ覗かれていたり。雨の日に屋根のある玄関先を借りて寝ていたら、逃亡犯のごとくライトを顔に当てられたり。おかげで差し入れをくれたかっこいいヒーローにも出会えた。
 夜の野外で寝るのは少し不安だったけど、横になって星空を眺めた時の解放感は心の癒しだった。
 癒しと言えば、歩きながら眺める景色も旅の癒しだった。田畑が広がる田舎道も、鬱蒼と木が生える林道も、建物が並ぶ街道も、河川を横断する橋も。時間とともに変化する空模様とセットで記憶の中に残っている。
それから山道を一日で制覇できなくて、山の中で野宿したあの夜も強烈に印象に残っている。今、思い返すと本当にバカな選択をしたなと自分でも笑ってしまう。後戻りして市街地に降りて行けばあんな苦労をしなくて済んだのに。
 バカな選択だったが、間違ってはいなかったと思う。今考えても「前に進む」を選んだのは正解だったと思う。そのおかげで長年忘れていた闘志の火のつけ方を思い出したのだから。
「♪生きるためのレシピなんて無い」と大声で歌いながら、腹の底からマグマのように溢れ出る熱い感情。あの感覚を今度は現実社会で味わってみたい。選択を迫られる度に、「これが私の生き方だ」と言って、何度でも情熱の火を灯す。そんな生き方が出来たら、めちゃくちゃ楽しいだろう。

 正直、旅が終わって、現実社会に戻るのが怖い。
 これから先の見通しが全くついていないのだ。
 旅をしていれば答えが見つかると思っていた。先の見通しが見えてくると思っていた。しかし見通しどころか、今の仕事を続けるか辞めるかさえ決めかねている。
 何の改善策も見つからぬまま現実社会に戻るのが怖い。また同じ過ちを繰り返してしまいそうで…。

 ふと視線を上げてみる。目の前には見覚えのある、けれど自分の足で歩くのは初めての上り坂が続いている。

 でも、大丈夫。きっと、うまくいく。
 なぜだろう、自信があるのだ。
 そう、弱聴は変わったのだ。――どこが? わからない。
 わからない。けど、わかる。私は変わった。
 このまま人生を諦めたくない。
 差し入れをくれたあのヒーローのように真っ当で美しい人間になりたい。どんな時でも誠実に鼓動を続ける心臓に恥じない生き方をしたい。幸せの意味も見つけて、これが私の人生だと胸を張って言える生き方をしてみたい。

 キレイごとばかり並べて、バカみたいでしょ?

 でもほら、女のくせに坊主頭だし、勢いで徒歩の旅なんかしてるし、それにこの前なんて死体と疑われて警察に声を掛けられた! これ以上笑える状況ある? 私はすでに「イタイ人」だ。バカにされたって、笑われたって気にすることない。
 それにこれから先、辛いことがあっても、今回の旅で経験した痛みや苦しみに比べれば大したことはないと思えるかもしれない。
 頑なに徒歩にこだわり続け、途中で電車やバスを使うようなズルもせず、最後まで諦めなかった経験が、何かの糧になってくれるかもしれない。

 少しずつ辺りが暗くなり始め、気温も下がってきた。弱聴は最後の難関とも言える宮城岩手間の山越えに入っていた。例のごとく長い長い上り坂が続く。
 今、何時だろうか? 今日中に家に到着できるだろうか? 不安と焦りが生じる。
 上り坂が緩やかになり、やがて平坦な道になっていった。うつむきがちだった視線を上げると、目に飛び込んできた白の標識。そこには「岩手県」の文字。
 ついに岩手に到達したのだ! 弱聴の故郷、岩手! 目指していた場所、岩手!両腕を高く上げバンザイをする。
「待ってたよ、岩手~ 会いたかったよ、岩手~」
と、標識に向かって声を上げる。
「岩手県」の標識に走り寄って抱き着きたいとまで思ったが、あいにく無駄な体力消耗はしたくないので、平然と通過する。

 さて、岩手県に入ったはいいが、ここからが長いのだ。町に出るにはこの山を下らないといけない。その道のりが上り下りを繰り返しながら、たらたらと下っていくようになっているのだ。

 今、何時だろうか? 日の沈み具合から見て四時か五時頃だろうか。
 辺りが暗くなるにつれ、どんどん焦りが募っていく。
 下り坂。上り坂。また下り坂。また上り坂。あぁ、早く着きたいのに、まだ着かない。もどかしさに呼吸が乱れる。スピードを上げたいところだが、苦手な下り坂のせいでなかなかスピードに乗れない。

 日は完全に沈み、暖かかった空気もとうに冷たくなってしまった。外灯の無い山道で、行き交う車のヘッドライトを頼りに坂道を下っていく。
 今、何時だろう? 時間ばかりが気にかかる。
 上り下りを繰り返していた四号線はいつしか上るのをやめ、勾配のややきつい下りになっていた。
 足を踏み出す度、前足に大きな負担が掛かり、痛みが走る。だから下り坂は苦手なんだ。痛みのせいか、それとも焦りのせいか、険しい表情のまま無言で歩き続ける。前から向かって来る車のヘッドライトがやけに眩しい。それでも、道の先に見えてくるだろう町の明かりを見逃すまいと先を見つめて歩き続ける。

 まだ町は見えてこないのか。何でもいい。外灯でもスーパーでもパチンコ店の看板でもいい。早く町が見たい。
 すると、ぴょこっと顔を出すように山間から灯りが見えた。右カーブの先に、灯りが一つ二つと歩みに合わせゆっくりと姿を現していく。とうとう弱聴の故郷、一関の町に到着したのだ!
「見えた! やっと着いたー」
弱聴は思わず叫んだ。
懐かしい町の景色がどんどん近づいてくる。
 今日一日中、頭から離れなかった焦りや不安。そして旅の間ずっと持ち続けていた「絶対にたどり着いてみせる」という意地やプレッシャー。それら全てが吹っ飛んでいき、弱聴の頭には、懐かしい故郷の思い出と家族に会える喜びでいっぱいになった。

 すぐに国道四号線を降り、まっすぐ家を目指す。
 足が痛いはずなのに、疲れているはずなのに、時間を知りたいはずなのに、ベンチもコンビニも無視して闘牛のごとく家路を飛ばす。

 痛み? 疲れ? まったく感じない。
 旅の達成感? 将来への不安? そんなの、どうだっていい。
 ずっと目指してきた場所がもう目と鼻の先にある。待ち望んでいた瞬間がもう少しでやってくる。これ以上に興奮することがあるだろうか?
 実家まであと数百メートル。
 小さい頃から何千回と歩いて来た馴染み深い坂道を、息を切らしながら上っていく。
 玄関を開けて「ただいま」と言う自分と、迎え入れる母と父の表情を想像して、思わずニヤけてしまう。

 が、ふと不安がよぎった。
 もし家に誰もいなかったら――。
 それは旅の間、ずっと付きまとっていた不安。私の身を案じて両親が探し回ってはいないかということだ。
 作戦通り事が進んでいれば、出発した2~3日後に実家に手紙が届いて、歩いて旅していることを知るはずだ。でももし、手紙が届く前に捜索に乗り出していたら? 13日間、当てもなく私を探し回っていたら?
 背中にぶあっと冷や汗が沸き立ち、幸福な妄想は一瞬にして恐怖の妄想へと変わる。
 頼むから居てくれ、家に居てくれ。何事も無く、普段通りに、私を待っていて欲しい。お願いだから――。

 どんどん家が近づいてくる。
 そして、最後の角を曲がった。
 その先には――明かりの灯った、私の大好きな家があった。
 安堵のため息とともに、父と母の顔が浮かぶ。
 そして弱聴は、勢いよく玄関を開け、家中に響く声で叫んだ。

「ただいま!」

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