数学を学ぶ意義について✏️🗒️
はいこんにちは!ポジティブ先生です🔥
本日は【数学を学ぶ意義】について考えていこうと思います!
準備はよろしいでしょうか!?
よく、「数学は大嫌い。」「数学を学ぶ意味が本当にわからない。」「数学なんて将来四則演算しか使わないでしょ!」と言った声を聞きます。
子どもあるあるなのですが、自分で「学ぶ意義がわからない!」と叫んで、そのまま「学ぶ意義がわからないのでやらない」という状況に堕ちいっていきます。それで成績は下がっていきます。
これは非常に良くない傾向だなあと思います。
本日はそんな子が現れないようにするために、数学を学ぶ意義について教えちゃいます。
ズバリ、全ての人に共通する数学を学ぶ意義は、
【論理的思考力を鍛えること】です。
数学はルールをこれ以上なく大切にしている学問です。
四則演算、図形、微分・積分などどれをとっても、決まったルールをもとに考え、問題を解いていきます。
「A ならば B、B ならば C」というように、1つ1つの事象を飛躍することなく繋げていき、最終的に答えまで辿り着くのが数学の醍醐味です。
そして、ルールから外れたら答えに辿り着くことはできません。
「A ならば B」と繋げていく際に、論理的思考に誤りがあると破綻してしまうのです。
例えば三角形の内角の和は180°なので、2つの角の和が120°だった場合は、残りは60°というように引き算をして導かれます。
しかし、この「三角形の内角の和が180°」というルールを知らなかったり、190°と勘違いした場合や、180°-120°について、引き算のやり方を知らなかったり、180-120=70と勘違いしてしまった場合には、答えに辿り着くことはありません。
そして、数学の場合は答えが完全に1つに定まるので、
自身の論理性が正しかったのか、正しくなかったのか一目瞭然なのです。
これだけルールに基づいて、ルールから逸脱することを許さない学問は数学以外にはありません。
論理的思考力を集中して育みたい場合は、数学を学ぶのが最も効率的かつ効果的であると言えるでしょう。
そして、この論理的思考力は、実生活のありとあらゆる場面で利用されます。
現代社会で、「なぜ勉強するのかわからない」と考える子は本当にたくさんいます。
論理的思考力がない子は、
「わからない」だから「やめよう」と考え、勉強をせずに遊びに走る傾向が非常に強いです。
しかし、これは論理的に破綻しています。
「勉強する理由がわからない」ならば本来は「その理由を考えたり教えてもらったりするべき」です。
論理的思考力がある子は、
まず「受験で確実に使うから○○くらいはやっておかなければ数年後に後悔する。」という発想が出てきます。
そして、「後悔」の内容も論理的思考力があればあるほど、鮮明にイメージすることできます。
・浪人する
・浪人すると一年間余計に受験勉強する必要がある。
・その間自分が本当に好きな学問や趣味には集中して打ち込めない。
・予備校の費用もかなりかかり、家計にも〇〇程の負担がかかる。
・浪人をしても初任給は変わらないので、定年最後の1年の給料がまるまるなくなることにる。→それは経済的に苦しくなるのでいやだ。
・婚期も遅れる可能性が高まる。→一年ならば体力的にはさほど問題ないから「婚期」についてはまあ大丈夫か。ただ、2浪で博士課程まで行くとなると、社会人1年目が30歳になるから、出産の体力などが心配だな・・(女性の場合)
いろんなことを論理的に考えることができます。
そして「分からないこと」があったとしても、論理的に「〇〇を調べればこの疑問は解決できる」と調べれば分かることも判断できますので、自分の知識でまかなえること以上にアドバンテージがあります。
論理的な思考力があるかないかで、人生が大きく変わるような気がしてきますね。
実は、我々の人生で起きる全ての現象は、「A ならば B、B ならば C」で出来上がっています。
勉強だけでなく、人とのコミュニケーション、経済、金融、研究、そして体内の細胞1つ1つなど全てのものが、論理的に動いていて、論理性を極めることで理解に至ります。
かの有名なレオナルド・ダ・ヴィンチはモナリザの絵で有名ですが、美術だけでなく、音楽、数学、建築、解剖学、物理学、土木工学などありとあらゆる分野で才能を発揮していました。
ヘリコプターや戦車、自転車、コンタクトのアイデアを出したのもモナリザです。
あまりに多才すぎると思われる方が大半でしょうが、私は、ダ・ヴィンチが「論理的思考を極めた人」のように見えます。
多分野に見えますが、ダ・ヴィンチにとってはどれも同じ学問のように見えていたのかもしれません。
「論理的思考力さえあればどの分野についても極められる」とでも言わんばかりに。
そして、ダ・ヴィンチは、「私の芸術を真に理解できるのは数学者だけである」と言っています。
全ての事象の大元の基盤が、「A ならば B、B ならば C」の「論理的思考」であると言っているようにも考えられます。
数学は「この世の全ての事象に対応する力」を最も効率的かつ効果的に鍛えることができる学問なのかもしれませんね。
さて、いかがだったでしょうか。
数学を学ぶ意義は「論理的思考力」を鍛えること。
そしてその「論理的思考力」はこの世の全ての事象に活用・応用することができる。
「なぜ勉強するのか分からない」なんて言っている場合ではないですね。
それではまた次回お会いしましょう!
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