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自分の研究視点から子育てを見てみようとした、児童中心主義編

 先日の研究視点からみてみようとしたら、前置き長すぎた編の続き
保育を大きく4つにわかてみて、その一つの軸を児童中心主義ー系統主義としました。
 児童中心主義、系統主義については、恩師が共著された「幼児教育課程論入門」を大変大変参考にしています。
 以下、先ほどの本を抜粋・編集し、私なりにまとめたもの(当時)の引用です。

児童中心主義
重要なのは、子ども観
「子どもとは、一個の人格をもった人間として、さらに善なる存在として認めるが故に、どこまでも子どもの可能性を信じ、尊重していく」
①環境重視の原則
 探求心旺盛な子どもが環境に能動的にかかわり、自発的活動が十分に行えるよう、また子どもが自由に創意工夫ができるよう、豊かで多様な環境を準備します。
②子ども中心の保育―待つ保育ー
 子どもは「有能な存在」であるという考えをとるがゆえに、子どもの能力をどこまでも信じて尊重していく立場です。ですから、成長し発展することを信じて待つのです。
③自己充実―発達を充実させる―
 知識を系統的に教え、発達の速度を速めることよりも、それぞれの発達段階で習得すべきことを十分に行わせることのほうが先決であると考えます。興味ある活動に没頭し、自己充実できる条件として、自由を最大限認めることが必要です。
④情意の育ちを大切にする
 具体的な情意としては、充実感、満足感、達成感、信頼感、自律性感、解放感、有能感、旺盛な好奇心、感動する心、仲間に対するやさしい心、命に対する畏敬の念、悔しさ、悲しさ、葛藤など枚挙がありません。これらは、何よりも、自発性を発揮して遊びを展開する過程で味わうことができる情感です。児童中心主義保育では、このような情感を多く、そして深く味わうことがこの期の最も重要な内容と考えます。


このまとめを今一度読み返して、コウ(息子)との関わり・子育てを見てみる

児童中心主義な関わりしているかなと感じる点
🍎能動的にコウが関われるように、基本的に過ごすリビング(6畳くらい?)と寝室(6畳)は何を触られてもなめられても大丈夫な物だけを、コウの手の届く範囲には置いている。写真は和室。
 ①スライドドアがうっかり閉まってしまわないように、突っ張り棒で開けておく②布団の紐をひっぱってコウの上に降ってこないように、そうならない角度にずらす(おかげで全然映えではない笑)③洗濯物も楽しむだろうとほっておく(案の上)⇒コウが集中して一人遊びしている間はほったらかし…間違いなく、自由に能動的に動いている

 しかし、ズリバイできるようになってからというもの、大人が台所(リビングと続き)にいるとそこに行きたくてたまらない。しかし台所まではやはり手の届く範囲でも危ないものがある。

写真は、台所一部の備蓄水などを置いている所。この隣に電子レンジを置いているのが一番危ない……前までは上に置いていたのだけど、地震を機に、もし落ちたら危険ということで下に移動

結果、台所とリビングの間に柵を設ける。基本的には開けておいて、コウあ触りたいようにできるだけ対応するが、できないことももちろんあるので、柵は活躍(9か月になりつかまり立ちを始めて柵のところでするけど、後ろに倒れる可能性があるのが危ない)

🍎待つ・一人の人間として接する
 子どもに「早くしなさい」とか「こうしたら、あぁしたら」とよく言うようになるのは、根本的にこちらが言っている言葉を子どもが理解しているという前提があるので、そういう意味では急かしてはいない。
 しかし、コウ(息子)がまだ泣くとか、喃語をあうあう言う段階であることをいいことに(自分のいいように解釈して)、困ったら抱っこしてその場から遠ざけるとか、おしゃぶり吸わせているのが、急かしていないのかと言われたら自信ない。今一度その視点をもってコウの姿を見ていかなくてはと思う。
  写真は、手に持っているイガイガを口に入れようとしたので私に止められて納得いっていない顔。全力で抗議している。しかし、衛生面的にも安全的にもこれは食べさせ(なめさせ)られない。経験して口の中怪我して身をもって知ればいいという所には私としてはいかない一線。これは嫌という感情だよ^^  

🍎自己充実を発達させる
 これは系統主義編でも書こうと思うが、「発達の速度を速めることよりも、それぞれの発達段階で習得すべきことを十分に行わせることのほうが先決」という部分が自分は十分なようで、十分でなかったと気づく。
 どちらかと言うと「あ、この月齢にはもぅこんなことできるんや、やってみよう」という意識があった。「まだ、これできてないやん。どうしよう」というような焦りはないので、速度を速めよう速めようとやっきにはなっていないものの、今の段階ででは何を十分に習得すべきなのか、十分にコウか満足して行っているのかをもう一度みていこうと思う。

例:寝返り⇒寝返りかえり⇒ズリバイ⇒ハイハイ⇒つかまり立ち
 コウはズリバイが6か月頃だったが、ハイハイはつい最近の9か月、ほぼ同時につかまり立ちをした。今もハイハイもしつつ、ズリバイもする。そして大変立ちたがる。危ない。
 自分としては、どうしてハイハイにならないんだろうとか、もっとハイハイじっくりやってほしい。とか考えてしまっていたけど、これからこれから…体重の思いコウはきっと手首で支えるよりズリバイが体として使い勝手いいのかもしれない。立てる喜びをしったら、もぅ視界が広くなって立ちたくて仕方がい、楽しいんだろう。今のコウの姿をそのまま十分に行えるように見守っていこう。今の段階でできる楽しい遊びをもっともっと考えよう。

🍎情意の育ちを大切にする
 コウ(息子)は、喜怒哀楽がだいぶ分かりやすい方だと思う。表情も感情表現も大変豊かで、あぁ、きっと今こんな感情なのかなぁと微笑ましく思ったり共感したりすることが多い。
「嬉しい」にも、
出来て嬉しい達成感だとか、「あ、やっぱり!」という予想通りのうれしさだとか、きっと喜んでくれるだろうな~という相手の反応を楽しみにするうれしさとか、会えてうれしい!とかどんどん種類が多くなっている
楽しい、面白い、不思議、驚き、おいしい、悲しい、寂しい、甘えたい、こっちを見てほしい、褒めてほしい、かまってほしい、納得いかない、イライラする~、眠い、こうなるかなぁ実験してみよう、あれが触りたい・あっちに行きたい・食べたい等欲求、初めて見るもの触るものを何だこれ?と知ろうとする。
本当にコウの中に芽生えている感情は種類も深度もどんどん増加している。
「これらは、何よりも、自発性を発揮して遊びを展開する過程で味わうことができる情感です。」と最初の引用にあるが、自発性を発揮して遊びを展開できるような環境設定だったり、関わりが重要になってくる。これからもそこは意識してやっていきたい。今の感情をより深く感じるように遊びを充実させることと、新しい出会いが生み出す感情もあるわけで、そこを設定するには系統主義編でも考えていきたい。

写真はつかみ食べできた!おいしい!という嬉しい表情と
   絵本を見る時のふと見せる真剣な表情、吸収中吸収中

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